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かねさわ北条氏の称名寺

2013-03-14 15:31:59 | 横浜歴史散策
称名寺

                                      横浜市金沢区金沢町212-1
                                      京浜急行金沢文庫駅下車徒歩15分

 
 鎌倉幕府三代執権北条泰時が自ら現場に赴いて指揮し切り開いた朝夷奈切通が開かれると、泰時の弟実泰(さねやす)が鎌倉に接した六浦の地頭となり、その子実時(さねとき)は、鎌倉から六浦荘金沢に館を移した。実時は金沢(かねさわ)北条氏の祖といわれる。
1260(文応元)年、実時は別邸敷地内に母の菩提を弔うため持仏堂を建立したのが称名寺のはじまりとされるが称名寺創建年は明らかではない。
称名寺はその後、子孫が発展させ全盛期には、三重塔を含む七堂伽藍を完備した大寺院となった。
1333(元弘3)年、新田義貞の鎌倉攻めによって北条氏が亡びた後衰退する。後醍醐天皇、豊臣秀吉や徳川家康らの庇護を受けたが、寺運は回復せず、江戸期には大きく衰退した。但し、現存する建物は江戸時代に造られている。
創建当初は念仏宗だが、真言律宗別格本山の寺院で金沢北条氏一門の菩提寺である。本尊は弥勒菩薩。

1771(明和8)年の赤門
  
赤門は徳川幕府から御朱印をもらった証として門を赤く塗った。四脚門、切妻造、本瓦葺(再建当初は茅葺)である。山門を潜ると桜並木の参道となっている。

関東では最大級の仁王が納まる仁王門
 
1818(文政元)年に再建されたもので、三間一戸の楼門、入母屋造、軒唐破風付、銅板葺(再建当初は茅葺)で、間口10m(5間半)奥行6m余(3間半)の楼門。
納められている木造金剛力士立像は、1323(元亨3)年製作、神奈川県指定重要文化財。

金堂
 
1681(天和元)年再建、禅宗様。桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺(再建当初は茅葺)。

釈迦堂
 
1862(文久)年建築、禅宗様。方三間、廻縁付、宝形造、茅葺。
堂内には鎌倉時代、1308(徳治3)年銘の釈迦如来立像が安置されている。国の重要文化財に指定。

称名晩鐘
 
称名寺の鐘は、かねさわ北条氏の祖・実時が、1269(文永6)年に父実泰の七回忌に寄進したもの。のちに破損していた鐘を、嫡子・顕時(あきとき)が1301(正安3)年に改鋳した。このため、鐘には実時と顕時の二人の銘が刻まれている。
鐘の総高は128.5cm。形の美しい鎌倉時代を代表する名鐘のひとつで、国指定の重要文化財。
         
立ち込めた夕もやの中、称名寺のこんもりとした森の中から鐘がゴーンと鳴りひびいてくる。
辺りは静かに暮れていく情景の金沢八景のひとつ「称名の晩鐘」として知られる鐘である。なお、「称名晩鐘」と呼ばれるようになったのは、元禄時代に中国の心越禅師が金沢八景詩を詠んだ以後のこと。

阿字ヶ池を中心に中之島・反橋・平橋を配した浄土庭園
 
配置は平安時代中期以降盛んになった浄土曼荼羅の構図に基づき造られた梵字「ア」をかたどっている。
顕時の嫡子、鎌倉幕府十五代執権・貞顕(さだあき)の時代、1319(文保3)年から翌年にかけて造られた。現在の阿字ヶ池は昭和時代末になって復元された。

新宮とかねさわ北条氏の祖・実時の銅像
 
熊野新宮を祀る、新宮は称名寺の鎮守。1790(寛政2)年に再建。 三間社造、銅板葺(再建当初は茅葺)。

三重塔址
 
この地に七堂伽藍を完備した全盛時代には三重塔が建っていたと「称名寺絵図」(1323(元亨3)年)に描かれている。

北条実時廟
 
墓地中央の宝篋印塔が、実時の墓と伝えられている両脇左手に3基、右手に2基の金沢北条一門の墓がある。

境内の石仏像
 
半ば土に埋もれた野仏のような感じで祀られている


金沢文庫
金沢文庫は、鎌倉中期の武将、北条実時が晩年に金沢館で過ごした1275(建治元)年ころ建設した武家の文庫である。実時の遺志は、顕時・貞顕・貞将(さだゆき)の三代にわたって受け継がれ、膨大な書籍を遺した。その後、小田原北条氏や徳川家康などにより各地に流出した。
日本の初期における私設図書館とも位置付けられている。
現在の建物は1990(平成2)年に新築され、鎌倉時代を中心とした所蔵品を展示公開する歴史博物館と、国宝や重要文化財を含む金沢文庫の蔵書を分析・研究する施設が設置されている。
 
称名寺からはトンネルを抜けると金沢文庫

歴史的、慣例的に金沢文庫は「かねさわぶんこ」と読まれている。しかし、地域名や駅名が「かなざわぶんこ」と発音しているため、神奈川県立金沢文庫も同様に「かなざわぶんこ」と発音するようになったようだ。

やっと、春到来

群れて咲くタチツボスミレとカントウタンポポ


トビのカップル、オナガガモとアマサギか


八角堂
 
金沢山山頂に置かれている八角堂の休憩所。境内からは大した距離はないが階段となっている山道の勾配はきつかった。
この八角堂は浅見光彦登場する「横浜殺人事件」で物産会社の課長が服毒変死する現場として使われている。
探偵・浅見光彦は我がBlogに3度目の登場となる。
山形県酒田市の日和山公園東京都北区の団子の平塚亭である。

展望
 

 
金沢山から八景島シーパラダイスが展望



称名寺は1月15日の鶴岡八幡宮の左義長神事の帰りに回る予定にしていたが、生憎の積雪となり日を変えての散策となった。
本日は、京急新逗子から金沢文庫下車となった。
阿字ヶ池に浮かぶ朱色の反橋と平橋を楽しみにしていたのだが、意外と色あせていたという印象だ。「写真で見る橋はもっと赤かったのに。」と思った。同じように感じた御仁がいて地元の人に話しかけていた。
金堂裏では園児がお昼をとっていた。
参道に桜が植わっているので花の咲く時期か、境内の古きいちょうの紅葉時期が訪れるには良いかもしれぬ。


称名寺ライトアップ:5月6日(月祝) 17:00~21:00