あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

古民家 雛の飾り

2013-03-04 00:00:01 | 散策
 

 

     

 

 

          

3年ぶりに見学した。
昨年から始まった「手毬」の展示に人気があるようだ。
ひとつひとつ糸をかがった「糸かゞり手毬」と木目込み手法の「木目込み手毬」が展示されている。
「吊るし飾り」や「布絵」などが、案内の家人が住まいとされる部屋内に飾られている。
また、平安時代から伝わる「貝合わせ」の展示はめずらしい。貝に蒔絵が施されているので江戸時代の流れの「貝合わせ」なのだろうか。

 

 

 

 

茅葺を新しい屋根で覆っている築百数十年の建物、調度品や尺(30cm)太さの大黒柱も魅力だが、2階に蚕棚がある事を聞き、そちらのほうに興味をそそった。でも、上がれないようだ。
この辺りの養蚕業は、明治の中ごろで農家の20%前後で行われていたが、大正期に入ると80%以上と大幅に増加し、近隣の製糸工場が姿を消した時代になっても農家の大きな収入源として行われていた。
蚕を育成中の農家は、蚕中心の生活となり、孵化(ふか)から繭をつくるまでの1か月余は休眠期間を除いて、蚕が24時間休みなく桑の葉を食べるので、毎日3~4回補給する作業が行われ、朝早くから夜遅くまで桑の葉の刈り取りと蚕の世話に追われ、家族にとって養蚕は大変な労働であった。
1935(昭和10)~1938(昭和13)年の養蚕終末期になっても、この辺り一帯は70%強の農家が養蚕業を営んでいた。
しかしながら、太平洋戦争を前にして食糧増産を図るために国策によって殆どの桑園が畑に切り替えられ、養蚕も桑園もこの地域から姿を消してしまった。
戦後の化繊にその座を奪われる以前に戦争によって養蚕業が消えていたのである。

 



 

              


                                             味噌蔵を改造した茶室
              



この展示は今年で10回目を迎えた。
ご当主の女性は80歳ということで、今回限りで展示は終了するとのこと。残念な限りである。
しかし、 糸かゞり手毬つくりはこれからも続けていくと話される。お元気で。