町田市民文学館で、本日より始まる「八木義徳」展のオープニングセレモニーに参加の機会をいただきました。
北海道の室蘭で生まれた八木先生が、鶴見からこの町田市に転居をされたのは昭和44年1月11日のこと。山崎団地に住まれ、平成11年に亡くなるまで30年間をこの町田市で過ごされました。
奥さまが挨拶に立たれ、当時の八木先生のことを語っていた。作家という仕事柄、そして不遇な時代も経験されるなか、自宅で黙々と執筆活動に励むご主人であった八木先生のことをご近所から「ご主人は何をなさる方ですか」とよく聞かれ、答えに困ったそうである。そして、そのご主人を紹介する「八木義徳」展が開かれる運びとなったことに、感慨深く感謝の意をのべられました。
会場には、八木先生の遺品や作品など多くの品々が展示され、大変興味深く拝見させていただいた。璞(あらたま)の人-師・横光利一との題名による直筆の原稿に目を通すと、そこには文学の道で師匠と仰いだ作家横光利一への思いが綴られていた。記憶にとどめたいと思いメモを取ったので紹介します。
「いつかは自分の『横光利一論』を書かねばならぬと思いながら、今日までまだ私は果たせずにいる。亡くなられてから、もう七年だ。今年の十二月三十日は師の七回忌にあたる。・・・・・」
この書き出しから読み取ることができる師への思い、とりわけ師を宣揚せんとの思いは、文学の世界を超えて多くの人を魅了することだろう。ともあれ、このあと続いて行われる室蘭の開催も含め、「八木義徳」展が成功することを心から祈るばかりだ。
北海道の室蘭で生まれた八木先生が、鶴見からこの町田市に転居をされたのは昭和44年1月11日のこと。山崎団地に住まれ、平成11年に亡くなるまで30年間をこの町田市で過ごされました。
奥さまが挨拶に立たれ、当時の八木先生のことを語っていた。作家という仕事柄、そして不遇な時代も経験されるなか、自宅で黙々と執筆活動に励むご主人であった八木先生のことをご近所から「ご主人は何をなさる方ですか」とよく聞かれ、答えに困ったそうである。そして、そのご主人を紹介する「八木義徳」展が開かれる運びとなったことに、感慨深く感謝の意をのべられました。
会場には、八木先生の遺品や作品など多くの品々が展示され、大変興味深く拝見させていただいた。璞(あらたま)の人-師・横光利一との題名による直筆の原稿に目を通すと、そこには文学の道で師匠と仰いだ作家横光利一への思いが綴られていた。記憶にとどめたいと思いメモを取ったので紹介します。
「いつかは自分の『横光利一論』を書かねばならぬと思いながら、今日までまだ私は果たせずにいる。亡くなられてから、もう七年だ。今年の十二月三十日は師の七回忌にあたる。・・・・・」
この書き出しから読み取ることができる師への思い、とりわけ師を宣揚せんとの思いは、文学の世界を超えて多くの人を魅了することだろう。ともあれ、このあと続いて行われる室蘭の開催も含め、「八木義徳」展が成功することを心から祈るばかりだ。