町田市議会議員 山下てつや “獅子奮迅”

てつやではたらく“山下てつや”が日々の活動や出来事、お知らせしたいことを報告します。

政教分離の原則について

2008年10月16日 | Weblog
参議院の予算委員会の場で、ある国会議員が特定の政党や宗教団体に的を絞り、宗教と政治を徹底的に議論すべきとの発言をした。

この議員は、それに関連して政教分離云々という発言をしたが、そもそもその言葉に対する正確な認識を欠いている。

政教分離あるいは、政教一致という言葉が、憲法に出ているわけではない。したがって、政教分離の原則がどのような意味を持つは、憲法に定められた条文から理解すべきである。それは、憲法20条に定められた「信教の自由」を実質的にまもるためのものであることに他ならない。

おそらく、この議員が言っている政教の政とは「政党」、そして教とは「宗教」ということであろう。そのため、宗教者が、政治活動をするのはいけないことであるかのような発言をしている。

個人にしろ、あるいは団体にしろ、また、宗教者であろうが、無宗教者といわれる人であろうが、その信念にもとづいて、政治的活動を行うことは、自由である。そして、宗教の側が、政党として参画することは、極めて、合理的であるし、平和な社会を望むといった宗教的信条からすれば、自然の発露であり、当然のことであると私は思う。それをこの議員は、否定しているのである。しかも、特定の政党に的をしぼり、国会の場で発言をしている。

私の知る限りでは、こうした国の最高機関における宗教への介入、特に特定の宗教への介入を許さず、信教の自由を守るために、政教分離という原則がある。つまり、政教分離における政とは「国家」であり「国家権力」である。したがって、宗教の側が、政治に参画することを国家が排除をしたり、介入をするために、この原則があるのではなく、それを許さず「信教の自由」をまもるためにあるのだ。この点では、政教分離の原則を破り、憲法に定められた「信教の自由」を脅かす行動として、この議員の発言を疑いたいものだ。

予算委員会の場では、政治家としての信念を持って予算の審議をすることが、健全な国会議員であると考える。目先の政局のために誤った「政教分離」の原則を持ち出して、予算に全く関係のない話をしている点から見れば、その信念も感じられない。本人が希望をしている宗教と政治を議論するには、宗教に対する理解が程遠いと言えるのではないか。