先ほどの社で、ついつい顔がほころんだところで、注目のスポ
ットに来た。田圃の中にポツンと五輪塔があり、これが「入鹿首
塚」だ。
五輪塔の立つこの場所に、蘇我入鹿の首が埋葬されていると確
証はない。五輪塔は1336年から1392年間の南北朝時代に流
行した墓の一部である。
この塚があるところから直線で約600mのところに、先ほど
訪れた伝飛鳥板蓋宮があり、ここで起こったクーデター(乙己の
変)によって入鹿の首がはねられ、ここまで転がってきたと伝承
されている。常識では考えられないが、話が雪だるま式に膨れあ
がり伝わってくるのが常である。ここでは入鹿の首塚であると信
じたい。
地元のご老人から伺った話で、心を打たれたことがひとつある。
入鹿首塚には毎日、榊や生花が絶えたことがないという。地元の
方が供えるであろうことは判る、それだけ蘇我本宗家が今でも地
元民に愛されているということだろう。
こんなエピソードを踏まえると、蘇我氏は決して悪者ではなく
賢者であったことが伺える。歴史を改ざんした日本書紀をマジに
信じることはない。今後は、誰かが神話の世界を史実として説い
てくれるだろう。その時、蘇我氏の本性も判るはずだ。
(高市郡明日香村岡字飛鳥小字五輪)
ットに来た。田圃の中にポツンと五輪塔があり、これが「入鹿首
塚」だ。
五輪塔の立つこの場所に、蘇我入鹿の首が埋葬されていると確
証はない。五輪塔は1336年から1392年間の南北朝時代に流
行した墓の一部である。
この塚があるところから直線で約600mのところに、先ほど
訪れた伝飛鳥板蓋宮があり、ここで起こったクーデター(乙己の
変)によって入鹿の首がはねられ、ここまで転がってきたと伝承
されている。常識では考えられないが、話が雪だるま式に膨れあ
がり伝わってくるのが常である。ここでは入鹿の首塚であると信
じたい。
地元のご老人から伺った話で、心を打たれたことがひとつある。
入鹿首塚には毎日、榊や生花が絶えたことがないという。地元の
方が供えるであろうことは判る、それだけ蘇我本宗家が今でも地
元民に愛されているということだろう。
こんなエピソードを踏まえると、蘇我氏は決して悪者ではなく
賢者であったことが伺える。歴史を改ざんした日本書紀をマジに
信じることはない。今後は、誰かが神話の世界を史実として説い
てくれるだろう。その時、蘇我氏の本性も判るはずだ。
(高市郡明日香村岡字飛鳥小字五輪)