紙屋さんブログ

土佐の自然を愛する親父です。

少し不満足の方が、人間幸せです

2018年11月14日 16時36分35秒 | 日記
  今朝は2度と冷えました。 天気は晴れです。 一昨日吊るした渋柿も順調です。 今日も午前中は庭の畑で手入れです、始めて黒豆の枝豆をほんの少しばかリ引き抜いてお昼に頂きましたが美味しかったです。
 
  「逆も又真なり」・・・。 「弱み」は「強み」に変えられます。 それをやったのが私です・・・私が大阪に出てから「田舎者」とか、「貧乏百姓でだとか」を、あえて公言し続けていました。 四万十川源流の山間の村の出身が効きましたです。
 実際、昔はには電話も無く・・・村の「駐在さん」に電話してもらえると・・・駐在さんが自転車で電話が有ったと・・・「電話しに来い」と、伝えてくれたモノです。 「ホヤ」・・・?って解りますか。 良く、ホヤ(油ランプのガラスカバー)を磨かされていました,一時は、電気も無かったです。
 
 高等学校の「3年間」・・・は、片道15kmの山坂を、自転車で通学しました。 我が家は貧しくお金が無くて、下宿が出来なかったです。 (バスは1日に4本くらい) 行きは山からの下り坂・・・帰りは,漕いで上がれない上り坂・・・自転車は押して、突いて帰りましたから,家に着くまでに毎日、日が落ちました。
 雨に日は,カッパです。 何度も,何度も母が云いました「見てると胸が痛い・・」、「可哀相やから、止めてくれて良い」と、云ってくれた程のむごたらしさだったのです。・・・でも,友達に負けるのが心底イヤでしたから頑張りましたよ。 試しに受けてみろや?の、高知大学入試には合格しましたです。・・・其所からが又々苦労の始まりです・・・何せ,現金収入の無い百姓家だったのですからね。

 「貧しさ」は私の勲章、誇り、宣伝になったのです。 それは、私は・・・素朴な「正直者」だというレッテルを張ることだったし、小さな親切にも,小さな注文にも、ご馳走してもらう時にも・・・大感激する人間だと、認識してもらえたのです。
 随分と、得しましたね(大勢のお金持ち可愛がってもらえました)・・・お礼は田舎の近くの須崎市や、久礼の干物「ウルメ」や、「ジャコ」,「かつお節」でした。(必ず、これは必ずです・・・気持ちばかりが、必須です! 「品物に気持ち」を託せるからです・・・即ち,私は貴方が好きです・・・。 私は何時も,「貴方の事」を思っていますと,云う意思表示が出来たのです)
 少し足りない・・・少し不十分・・・少し不満足の方が、人間幸せです。 次には、何とかして工夫してみると云う「やる気」が持続出来るからです。

 南海トラフ巨大地震で、津波が全国最大「約34メートル」・・・の、高知県黒潮町が、「34M(メートル)」をあえてデザインした「非常食缶詰」(地元食材を使うこだわりで“日常食”として味わうこともできる)、町の活性化の未来が込められた缶詰は、4年前の販売開始から生産量が9倍に増えて好調だそうです。(第三セクター「黒潮町缶詰製作所」,今年・年間37万個)

 「高須クリニック」の高須克弥院長(73)です。 彼は「ガン移転の患者」だそうです。 でも、その彼が云ってます、「がんは病気のうちでも、すぐに死んじゃう病気ではありません。・・・脳卒中や心筋梗塞のように「即死してしまうがん」はない・・・ゆっくり準備をする暇もある」。 又、僕は「高齢者」ですから、がんは全然怖くないですと・・・。
 ・・・「献体・解剖」(医学部で)・・・解剖してみると、みんな「がん」を抱えていたそうです。 そう云えば、先だって亡くなった90歳越したおバーちゃんも「子宮がん」だったそうです。・・・90歳過ぎのおじさんは「肺がん」でした。 
 ・・・・仕入れ先の京大での専務が云いました「ハーさん、ガンで死ぬのがいちばんやぜ・・・?」・・・第一、「病院」で死ねるし,家族に苦労はかけない「余命何ヶ月」なんだよ・・・と、でも残念ながら、その彼は長生きして老衰で亡くなりました。 (世の中は思う様にはイカンのです)

 所で、「薬は、命を縮める毒」だと言われています。・・・毒を薬として使うのが医学なのです。「効く薬」には、必ずプラスの部分もあれば、マイナス(副作用)の部分もあるそうです。
 「40歳や,50歳〜60歳前後迄のガン」は「人生半ば」・・・悲惨・悲劇ですが・・・「早期発見」が絶対ですね。



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