モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

近代遺跡探検③ 軍艦島はインスタレーションのミュージアムと思う

2007-09-07 07:03:49 | 近代遺跡
時折 強い風と雨が横殴りに吹き付けます。
台風の目が上空を通過するかと思いましたが、
左側を50kmほどそれて、北上中です。

セージ類は避難させましたが、大型のもの、地植えのものは避難できず
強い風に相当いじめられており、午前中一杯はまだまだ続く模様です。

今日は、ハーブ関係は中止せざるを得ませんので、
書きかけ中の近代遺跡の復活です。
気分的にはちょっと異なりますが・・・・・



1974年4月20日から“端島”は無人になった。

外界から隔絶されたところでは、その環境に適合するために、
特異の進化をすることがある。

ダーウインの進化論で有名になった“ガラパゴス諸島”の生物は、
南米の種に近似するが、他の大陸から隔絶した島独特の進化をしていた。

生命起源と“端島”のビジネス的・生活的社会構造とはもともと異なるが
社会を形成し維持発展させようとする意思・意図をその社会の遺伝子とすると、
オープンな社会から隔絶された“端島”の社会の遺伝子は、
戦争という狂気の時期をはさみ、
産業革命後の勃興から衰退までのライフサイクルを
特異な進化を遂げ
短時間で駆け抜けていった。

そして、歴史から消えていった。

その遺物・遺産・化石が“軍艦島”である・・・と思う。

生活があった“端島”。
生活が消えてしまい入れ物・容器・殻だけが残ってしまった“軍艦島”。

“軍艦島”は恐ろしい。 そして 美しい。
これが実感だった。


長崎市高島町“端島”の広さは6.3haで、後楽園ドームのわずか1.35倍だ。
このスペースに、7~9階建ての高層アパートを林立させ、
炭鉱という一点で結びついた人々が、最盛期には5千人強が住んでいたという。

1960年には、日本一人口密度が高いところだったというから
人が働き・住む 極限のスペースのデザインの結果が“端島”そのものだとも言える。
労働は、海底深く。
休息は、空高く。高層住宅で。
島からの出口は、船だけ。


1980年代の後半に、“軍艦島”に上陸し調査した。
海上タクシーで船着場に着いたが、
もはや、船を寄せ付けない船着場となっており、外海の波の荒さとあいまって
上陸しにくい。

“軍艦島”を歩き
圧倒される存在感に、
目線は下を向きがちになり敗者のポーズとなる。
“常識”が破壊され、“美”も否定され、永続性がない“効率”のむなしさを感じた。

そこには、絵画、写真、漫画などでは感じられない、“生”“ナマ”“ライブ”があった。
“軍艦島”は、体感の芸術 インスタレーション(Installation art)そのものだ。
人間が見捨てていったモノ・コトが“軍艦島”であり、
入場禁止だが、バーチャルでなくリアルに、その現実を体感できる。

“軍艦島”には、“ハレ”の場がデザインされており、子供達にはプール、
大人には映画館だ。
茶色と灰色が多い廃墟の中で、映画館の外壁タイルはカラーだった。
なまめかしいときめきを感じ、唯一ホットした瞬間だった。
ここにも世俗があった。
安心を覚えた。


無人島は、ロビンソン・クルーソーの漂流記のように、生きることについての強烈な願望がある場所だと思うが、
“軍艦島”には、これが感じられない。
それよりも、人間の知識・技術などの驚異と脅威を感じる。
私達が創ったもの。そして、見捨てたもの。
その壊れていく強烈な恐怖感と美しさ。
そのミュージアムだと思う。
いまとなっては。

シリーズ参照
(軍艦島①) 
(軍艦島②)



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文化
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