モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

No48:ヒントンが採取したサルビア⑥

2011-08-19 19:47:30 | メキシコのサルビアとプラントハンター
メキシコのサルビアとプラントハンターの物語 No48
ヒントン父子が採取したサルビアでこれまで記載してこなかったものをアルファベット順に紹介しているがこれが最終回となる。
1930年代から1940年代にかけてメキシコのゲレーロ州・ミショアカン州・メヒコ州で採取している。狭いエリアではあるが、メッシュで区切ったように注意深く数多くの植物を採取していて、サルビアに限っただけでも数多くの新種を発見採取している。しかしその多くは今日まで生存していないようで乾燥した標本しか残されていない。

24.Salvia perblanda Epling (1939) サルビア・ぺルブランダ
 
(出典)ミズリー植物園

種小名“perblanda”は、ラテン語で“非常に魅力的”という意味があり、ヒントンがゲレーロ州2350mのMina で1936年12月に採取したサルビアで、彼が最初に発見したサルビアだが、標本しか存在せず現存していないようだ。

25.Salvia praestans Epling (1940) サルビア・プラエスタンス
 
(出典)University of California, Berkeley

ラテン語で“傑出した”という意味を持つサルビア・プラエスタンス(Salvia praestans)は、1937年12月にゲレーロ州ミナでヒントンが初めて採取した。
これも標本しか存在しないようだが、その標本でも赤系の花で姿かたちがスッキリしていることがわかる。

26.Salvia purpurea Cav. (1793) サルビア・パープリア

(出典)hanas garden

パープルの花が美しい「サルビア・パープリア(Salvia purpurea)」は、“Mexican purple sage”とも呼ばれ、メキシコ南部からグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスに生息する。意外なことに丈が2-3mもある大型の多年草のサルビアで、晩秋から冬にかけて開花する。
風、夏の暑さ、霜に弱いので温室的な環境が必要なのでちょっと手が出にくい。

記録に残る最初の発見者は、エドワード・パーマー(Palmer,Edward 1831-1911)が1886年にメキシコ南部で、ドイツのナチュラリストで法律家のトッケイム(Türckheim 、Hans Freiherr von 1853―1920 )が1年前の1885年にグアテマラで採取している。
このサルビアの命名者はスペインの植物学者、カバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745-1804)で、メキシコで植物調査活動していたセッセ探検隊が採取した植物などを分類・同定し命名しているので、最初の発見者は、セッセ探検隊なのだろう。

27.Salvia remissa Epling (1939) サルビア・レミッサ
サルビア・レミッサは、メキシコで生まれ米国に移住した女性プラントハンターのメキシア(Mexia ,Ynes Enriquetta Julietta 1870-1938)が1927年の1月にハリスコ州で最初に採取し、他にヒントンがミチョアカン州で1938年10月に採取している。ミズリー植物園に残されている標本はヒントンが採取したものであり、楕円形の大きな葉と長く伸びた花序が冬場に花を咲かせる。

 
(出典)ミズリー植物園

しかしこのサルビア・レミッサは、サルビア・ロシーダ(Salvia roscida Fernald.1900)が正式な学名で、種小名の“roscida”はラテン語で“露にぬれた”を意味する。開花期に多くの水を必要とするので名づけられたようだ。
草丈100-150cm、冬場に淡いブルーの花を咲かせる。日本では、温室でないと開花させることが難しそうだ。

(出典)flickr.com

このサルビア・ロシーダ(Salvia roscida)を最初に採取したのは、1892年から1906年までメキシコで生物学的な調査研究を行ったアメリカの動物学者、ゴールドマン(Goldman, Edward Alphonso 1873 – 1946)で、1899年3月にドゥランゴ州で採取した。

28.Salvia riparia Kunth.(1818) サルビア・リパリア

(出典)California gardens

サルビア・リパリアは、フンボルトとボンプランがペルーで発見・採取し、1818年にクンツ(Kunth, Karl(Carl) Sigismund 1788-1850)が命名した。
草丈60-90cmで淡いブルーの花を年中咲かせる。葉は先端が尖った楕円形で芳香があり、フロリダ、メキシコからペルーまで中南米に幅広く生息する。
ヒントンは、1938年の10月にメキシコ、ミチョアカン州でこのサルビアを採取する。
ただ正式な学名は、サルビア・ミセラ(Salvia misella Kunth,1818)であり、ラテン語では“貧しい”という意味を持つ。
華々しさがないためなのだろうが、年中咲くサルビアとしては悪くないと思う。

29.Salvia seemannii Fernald (1900) サルビア・ゼーマニー

(出典)Robins Salvias

サルビア・ゼーマニー(Salvia seemannii Fernald 1900)は、ドイツの探検家ゼーマン(Seemann, Berthold Carl 1825-1871)によって1848-1849年頃メキシコ北西部のシエラマドレで採取最初に採取された。
ゼーマンに関してはこのシリーズ「No12:「サルビア・マドレンス」と 世界を一周したプラントハンター、ゼーマン」を参照。
唯一見つかった画像から見ると、花序が伸び小さな淡いブルーの花が多数咲くサルビアで、これ以外の情報はあまりない。
ヒントンは、1939年1月にゲレーロ州の低地で採取しているので、晩秋から冬場に咲く花のようだ。

30.Salvia teresae Fernald (1900) サルビア・テレサ

サルビア・テレサ(Salvia teresae)は、1897年8月にメキシコ南西部のTepicでアメリカの植物学者でスミソニアン博物館のローズ(Rose, Joseph Nelson 1862-1928)によって採取された。
ヒントンは、これより遅れ1932年7月にTemascaltepecで採取しているが、しかしこのサルビアの実像は良くわからない。

代わりに似た名前のサルビア・テレサ(Salvia greggii 'Teresa')という素晴らしい花があったのでこれを取り上げてみる。
このサルビアは、赤色の花のサルビア・グレッギーの突然変種で、上唇が明るいパープル、下唇は白地にパープルの線がかすかに入っている。
この変種を発見したのは、テキサスのDavid Steinbrunnerで妻の名前teresaをつけ、Salvia greggii 'Teresa'と名づけた。
発見した時期は良くわからなかったが、2004年にテキサスの自生植物の園芸化に貢献した賞である“The Lynn Lowrey Memorial Award”を受賞しているので、この数年前に発見したのだろう。
それにしてもこのサルビアは美しい。

(出典)flickr

31.Salvia thyrsiflora Benth.(1846) サルビア・ティルシフローラ

(出典)Robins Salvias

ヒントンは、サルビア・ティルシフローラを1940年11月にミチョアカン州で採取した。これまで実写が見つからなかったが、“Robins Salvias”に珍しいサルビアとして掲載されていた。コバルトブルーの花であり冬場に開花するサルビアのようだ。
このサルビアの最初のコレクターはBarclayという人物であり、メキシコ南西部にあるTepicで採取したという。しかし、このバークレィという人物は良くわからない。
採取した時期的には、1846年に英国の植物学者ベンサム(Bentham, George 1800-1884)によって命名されているのでこれ以前であることは間違いない。

代わりに面白いデータがフィラデルフィラ標本館にあった。
出典は英国のキューガーデンにあり、コレクターがビーチー(Beechey, Frederick William 1796-1856)となっている。
 
(出典)Philadelphia Herbarium

Project: Photographs of Type Specimens at Royal Botanic Gardens, Kew, England.
Country: Mexico
Collector: Beechey F.W.
Lamiaceae Salvia thyrsiflora Benth.

ビーチーは英国の海軍士官・探検家・画家で、彼が艦長として1825-1828年に実施した北西太平洋・ベーリング海峡の探検ではアラスカの北岸を発見したことで知られる。また、1935年には南アメリカの海岸線を調査しているので、1820年代から30年代にメキシコで採取したものだろう。
しかし、ビーチーはプラントハンターではなく、この探検隊に同行した植物学者などの隊員が採取し、この標本を英国(キューガーデン)に送り、ベンサム達がこれらを研究するというシステムが出来上がっているのでビーチー以外の誰かが採取した。
これがバークレイなのかどうかは確認できていないが、時期的に見てビーチー探検隊が採取して英国に送ったものの可能性も否定できない。
19世紀初頭には拡大していく英国の植民地、世界に派遣した探検隊などから送られてくる植物資源がキューガーデンに組織的に集められ、これらを分類するために命名者のベンサムがキューガーデンにヘッドハンティングされた。

ところでこのビーチー探検隊は鎖国中の日本との接点もあり、1827年6月9日に小笠原諸島父島に来航し、ここに1週間滞在し地図を作る調査、動植物の採取を行い英国領を宣言する。
日本の国土面積は狭いが、この小笠原諸島が英国領ではなく日本の領土であったため日本領海としての海洋面積は格段に広くなり、日本が消費する天然ガス100年分に相当するメタンハイドレート、レアメタルなどの海洋資源を確保することが出来たというからありがたい。
また小笠原諸島は2011年6月にその生態系の特異性が認められ世界遺産に登録されたばかりだが、亜熱帯から熱帯ゾーンにある小笠原諸島が東京都小笠原村であるということ自体が不思議でしょうがない。


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