モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

オウギュスト・ルノアールの花 と オールドローズの系譜②

2008-11-29 01:14:04 | バラ

(写真) オウギュスト・ルノアールの花


フランスのメイアン社が作った香りがすばらしい強健種。
メイアンではベンガルピンクと表現しているが、どこかで見た色彩だと思う。

そうだ、
フランスの画家、ルノアール(Pierre-Auguste Renoir、1841-1919)の肌色ではないですか!
彼の名前を冠したのは、ルノアールがモデルのいないときに、彼の大好きなバラの花びらで肌色を表現したという由来があるそうだ。

オウギュスト・ルノアールAuguste Renoir
・系統:Antique Touch Roses(アンティーク調ローズ)HT(ハイブリッドティー)
・作出:1994年 フランス Meilland(メイアン社)
・花色:ミディアムピンクとカタログにはあるがローズ色、クォーター咲き、花径10cm
・咲き方:四季咲き
・樹高:150cm 半直立半ツル性(冬に強剪定をして直立させることが可能)
・芳香:微香
・1993年イタリア・モンツァ国際コンクール銀賞。

                  

バラの野生種:オールドローズの系譜②
モダンローズの親たち
バラの野生種は北半球に約200種あるが、このうちの8種が現代のバラ(園芸品種)の親と推定されている。
この説は、日本を代表するバラの育種家、鈴木省三(1913-2000 京成バラ園芸)によるが、
中国、日本原産のバラがヨーロッパに渡り重要な役割を果す。
これらが品種改良に使われるようになったのは18世紀後半以降であり、別途テーマとして取り上げる。

ヨーロッパ、小アジアのバラは、古代ギリシャ、ローマ時代には幅広く栽培されていた。
ローマの皇帝ネロ(37-69年)は、冬場でも大量のバラを求めたので、耐寒性の強い品種の改良と、
エジプト、南ローマなどに栽培が広がりローマまで輸送し市場が立ったという。
悪名高い皇帝だったが、バラの品種改良と市場化には貢献したようだ。

476年にローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人などは、
この芳しきバラの美がわからなかったようで、中世ヨーロッパからはバラが消え、
修道院でハーブ(薬草)として栽培されるだけになる。

“美というものは、機能的・合理的なものではなく発見される感性がないと失われる”
という真理・原則が、身近にあるだけでなく歴史的にあったということが浮かび上がってしまった。

バラを受け継ぐ(バラだけでなく科学・芸術も受け継ぐ)のは、イスラム圏の国と人々だった。
そのイスラム圏からモノとしてのバラ及び感性としての審美性がヨーロッパに逆輸入されるのは、
スペイン半島・オーストリアなどへのイスラム勢力の浸透、十字軍でのイスラム圏進攻などの戦争を通じてだった。
戦争という最悪の交流は文化の伝播でもあり、失うものも大きいが得るものもあったということだろう。

ヨーロッパに現代のバラの親となるオールドローズが出揃ったのは、
ルネッサンスから大航海時代を経て19世紀初めには次の8種が出揃ったようだ。

ロサ・アルバ(ヨーロッパ原産)
ロサ・ケンティフォーリア(南ヨーロッパ)
ロサ・ダマスケナ(小アジア)
ロサ・ガリカ(小アジア)
ロサ・フェティダ(イラン・イラク・アフガニスタン)
コウシンバラ(中国)
ノイバラ(日本)
テリハイノイバラ(日本)

モダンローズの祖先8種の紹介は19世紀のビジュアルを探して次回からとする。
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