マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

EF8181牽引:寝台特急「北斗星」

2013-01-21 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
EF8181牽引:寝台特急「北斗星」


また「北斗星」シリーズで恐縮ですが、今回は召ガマことEF8181牽引のシーンを集めてみました。



平成21年8月9日



平成21年8月15日



平成21年9月21日



平成21年9月30日



平成21年12月29日

結構撮ったような気がするのですが、あまり納得できるようには撮れませんでした。
デジカメの性能も良くなかったので、ブレが多かったのも原因の一つです。




「北斗星」の上りトップバッターはEF8181でした。
ローズピンク時代は1年程度であり、この時代に撮っていなかったのが非常に悔やまれます。

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485系:勝田区 K40編成

2013-01-19 00:30:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
485系:勝田区 K40編成


勝田車両センターには、波動用の485系として6両編成のK60と4両編成のK40編成が配置されていましたが、平成25年1月16日、K40編成が郡山車両センターへ帰らぬ旅へと旅立ってしまったようです。

K60編成は定期的に設定される臨時列車や団体列車等にも多用されていましたが、K40編成は比較的に利用頻度は低かったように思います。
K60編成の運用が平成24年12月度から無くなってしまったことは知っていましたが、K40編成はこの時期も訓練運転?目的で上野駅へ姿を現していたようです。そんなこともあって、K60編成よりも先に廃車なってしまうとは予想していませんでした。





平成19年8月9日 勝田駅にて

先頭車の一方(クロハ481-1501)は、サロを先頭化改造したクハをさらに「あいづライナー」用としてさらに半室グリーン車に改造した車両で、485系でありながら運転席上のヘッドライトが無い、円形の固定型フォンカバーを装備するなど、かなり違和感のある表情が特徴でした。

常磐線がホームグランドのため、なかなかこの車両に接する機会が無く、過去写真を探しましたがこの写真しか見つかりませんでした。



平成12年2月5日 旧中山駅跡にて 特急「ビバあいづ」 旧中山宿進入

特急「ビバあいづ」で活躍を開始したころの485系、塗装こそはまるで違いますが、基本的なスタイルはほとんど変わっていません。
この時代は6両編成で、インビテーションカーというフリースペース車両を組んでいましたが、車内復元で元に戻り、平成14年に磐越西線から撤退し、勝田区の波動用として移動しました。その際に4両編成化されています。

残るK60編成も運用はまったく設定されておらず、同じ道を辿る可能性が高いと思われますが、貴重な1500番代を含め、485系そのものが消滅する日も目前に迫ってきたようです。

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旧型国電 牽引車:クモヤ90102+381系

2013-01-17 00:30:00 | 旧型国電
旧型国電 牽引車:クモヤ90102+381系


先般、『旧型国電 牽引車:クモヤ90』で首都圏のクモヤ90形牽引車をご紹介いたしました。
クモヤ90は登場(改造)当初こそバリエーションの無い車両でしたが、その地方に合った再改造が施されるようになると、2灯化したもの、2パンタ化されたもの、低屋根化されたものなど、大変多くのバリエーションに発展しています。
首都圏では殆ど差異が見られず、その点においてはあまり興味深いところはありませんでした。

そんなクモヤ90ですが、最終増備されたものについては、クモヤ145並みの車体を新製し、載せ変えたものが存在しました。
当時、このような改造は、廃車期にあった101系を利用したものが多く存在し、牽引車の性格上、何故この時代に旧型国電を使用したのか、いささか疑問を感じます。
ただ、当時の時代背景として、まだ旧型国電が全廃されていたわけではありませんので、新性能車ですと旧型国電を牽引することが出来なくなることから、あえて旧型国電から改造したのではないかと推測されます。
この末期の改造車には100番代及び200番代の区分が与えられますが、101号のみが0番代と同様の車体で、102号以降の番号が新製車体となっています。
そんな100番代に1度だけ逢ったことがあります。
飯田線の旧型国電の撮影を終え、浜松へ向かう前に豊橋駅でチョット駅撮りをしていたとき、思わぬ珍編成がやって参りました。



昭和58年6月28日 豊橋駅にて クモヤ90102+381系

偶然来たとなっては放っておくわけには行きませんので、短い編成に追いつくように、ホームを走って撮ってきました。

なんとも「珍」な編成です。381系は、その特殊な性能から他の系列と手をつないで走ることはありませんので、このような編成は工場の入出場ならではのシーンと言いえるでしょう。
また、このアコモ改造の「クモヤ90100番代」も初めて見ましたので、大変感激いたしました。

同車の消息を調べましたところ、終始「神領電車区」から離れることなく、平成13年6月29日付けで廃車になったということです。

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JR貨物 交直流機関車:EH500-45~50、67~72(3次車その8)

2013-01-15 00:30:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
JR貨物 交直流機関車:EH500-45~50、67~72(3次車その8)


EH500型電気機関車は、平成9年に誕生したJR貨物の交直流型電気機関車で、EH10型直流電気機関車以来、久し振りとなった重連車体・H級の形態となっています。
901号機の試作車、1号機・2号機の量産先行車(1次車)、3~9号機(2次車)、10号機~(3次車)に分類されますが、実際には形態にやや差異があるため、細かく分類することができます。

3次車は、2次車の同様に、着雪による支障を防止するため、ヘッドライトが窓下まで上げられています。さらに、塗色のベースである赤色が901号機のような明るい色となり、窓周りの黒色も省略されたため、2次型とはかなり印象が異なります。

45~50号機は、九州内の老朽化した貨物機を淘汰するために初めて投入されたEH500型で、青函トンネルの通過に必要な装備が省略されています。さらに、追加増備として67~72号機も投入され、現在は12機が活躍しています。

※撮影は、全て平成24年9月23日です。


EH500-45 1073レ 九産大前~福工大前間にて



EH500-67 1052レ 東福間駅にて



EH500-68 ????レ 黒崎駅にて



EH500-71 1067レ 九産大前~福工大前間にて



EH500-72 1065レ 赤間駅にて

九州機の撮影は夢物語だと思っていましたが、幸いにも九州を訪れる機会を作っていただき、12機のうち5機を撮影することが出来ました。
万が一にもまた訪れる機会があれば狙ってみたいと思います。

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東武鉄道:7300系・7800系

2013-01-13 00:30:00 | 私鉄(大手)
東武鉄道:7300系・7800系


東武7300系は、昭和22年に導入された東武鉄道初の20m級電車で、戦後の混乱期に運輸省が各私鉄に割り当てた国鉄63系電車と同型車の東武鉄道における形式です。
導入当初は63系そのものといったスタイルだったようですが、その後各種車体更新が実施され、後の標準型となる7800系と同様のスタイルとなります。

また、東武7800系は、7300系の実績を元に、昭和28年に登場した東武鉄道における戦後初の独自設計による通勤形電車です。

いずれの形式も後の標準型で現在も活躍している8000系が登場するまで、東武線の支線を除く幹線で活躍していました。
外観からは区別の付けづらい形式ですが、例外を除き、グローブ型ベンチレータが7300系、押し込み型ベンチレータが7800系となります。
また、7800系には仕様の違いにより番代区分があるようです。

私が写真を撮った頃には既に活躍が末期となっており、枚数はそれほど多くありませんが、とりあえず並べてみます。



昭和53年3月12日 東武宇都宮線車内より 7800系との交換

私が撮影した唯一の宇都宮線です。すれ違うのは7800系で、乗っている車輌は旧5000系(のちの3000系となる車輌)だそうです。写真が傾いてしまっていますが、古き良き時代の写真です。



昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 7800系 準急

写真は7800系準急列車で、「準急」の種別サボが付いています。行先札も時代を感じさせます。



昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 7800系 普通

こちらは普通列車。国鉄で言うとクモハ42の4扉改造車「クモハ31」に似たイメージです。



昭和56年6月6日 春日部電車区にて 7800系 モハ7865(事故復旧車)

モハ7865は、踏切事故により破損した前面を、復旧に際して高運転台化された車輌。他の7800系では見られないスタイルで、同系随一の異端児でした。





昭和58年4月頃 東武東上線 朝霞台~朝霞間にて 7800系2連+7300系4連

東武の7300系と7800系が少数ながら最期の活躍をしていた頃です。もうほとんど運用がなくなってきており、7800系2両と7300系4両の計6連のパターンで運転されていました。昭和58年では風前の灯状態で、確かこの東上線だけになっていたと思います。
それにしても、この朝霞台駅附近の写真は、複々線化の工事が始まった頃の風景ですが、今と全然違います。

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