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上野誠氏の家族史・民俗誌・私小説『万葉学者、墓をしまい母を送る』を読む/奈良新聞「明風清音」第38回

2020年05月05日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞「明風清音」欄(木曜日掲載)に月2回程度、寄稿している。先週(2020.4.30)掲載されたのは《上野誠氏「死と墓」考》、上野誠著『万葉学者、墓をしまい母を送る』(講談社刊)の話だ。この本については松森重博さん(NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」理事)も、ご自身のブログにこんなコメントをお書きである。

一気に一晩で読み終えました。率直な打ち明けた文でよくわかりました。江戸時代からの旧家。おじいさんが家とも見まがう立派なお墓を建てられたこと、一方呉服から洋装店への転換、船場の仕入れを近県を取りまとめた大きな卸小売のご商売、スーパーなどの大型店の影響で小売一店舗への集中、おばあさんの死去に続くお父さんの死去。墓じまい。お母さんは福岡を代表する俳人であったこと。

お母さんと上野先生の会話。海援隊の武田鉄矢の母子の会話を思い出す博多弁の率直な会話でした。長男であるお兄さんの死去。お母さんを奈良へ引き取り7年間にわたる介護と別れ。古事記、万葉集やいろいろな書物、儒教や西欧のことなどを紹介され、生きることと死ぬことを哲学されているように受け止めました。


同書の「あとがき」に上野氏は、このように記している「七年間母親を介護し、家じまいをした私は、家族とその歴史に思いを馳せた。そんなときに執筆を思い立ったのが、この本である。(中略) これまでの著作とは異なり、背伸びして、多少、文学青年気取りのところもこれあり、鼻につくが、本書がいまの私の思索の帰着点であることは、まちがいないと思う」。ではそろそろ、「明風清音」の全文を紹介する。

奈良大学文学部教授・上野誠氏の最近著『万葉学者、墓をしまい母を送る』(講談社刊)を読んだ。まさに巻を措(お)く能(あた)わず、一気に読了した。これは久しぶりの経験だった。昨秋母を亡くしたばかりの私としては、身につまされる思いがした。帯には「現代万葉研究を大きくリードする学者は、故郷福岡の墓をしまい、老いた母を呼び寄せ、7年のあいだ介護して見送った息子でもあった…」。上野氏は同書を「死と墓をめぐる心性の歴史」とする。私は氏の「私小説」として読んだ。

最初、ご母堂の介護体験記と思って読み進めたが、前半部分はお祖父さまの話だった。47年前、誠少年(当時13歳)は祖父の葬儀を手伝った。それは土地(福岡県朝倉市甘木)の風習に即した古式ゆかしいものだった。圧巻は「湯灌(ゆかん)」のくだりだ。仮通夜の翌朝、祖母、母と誠少年は3人で祖父の遺体を風呂に入れた。遺体の冷たさを感じないようにと少年は背中にバスタオルをかぶせてもらい、その上に遺体を背負った。

「背負って、立ち上がった瞬間のことだった。祖父の右手がだらりと下がり、私の頬を撫でたのである。冷たい肉の感触。なにごともなかったかのように取り繕おうとすればするほど、その感触を思い出してしまう苦しさ」(同書、以下同様)。47年後の今も、思い出すと身震いがするという。

湯灌に男衆は立ち会えない。「女たちは、湯灌の最中に、まるで赤ん坊をあやすかのように、祖父に声をかけていた。その姿を見られたくなかったのではないか。つまり、女たち、ことに妻にとって、愛する人の体を愛(いと)おしむ最後の時間であり、そういう愛の行為を他の男に見られたくないと心の奥で思っていたのではないか」。

祖父は昭和5(1930)年、高さ約4㍍の墓を建てた。「上野家累代之墓」の書は菩提寺の宗門の管長の筆で、米30俵を寄進した上、高額の揮毫料を支払ったという。「一階部分に納骨室を作り、その上に墓を建てたのである。納骨室は、五、六人ほどが立ったままで入ることができた。内部は総タイル張り。木製の棚が備えつけられていて、骨壺が並べられるようにしてあった」。

2階の石塔の前には、立てば10人が入れる石畳の空間(拝礼を行う前庭)があった。この墓に祖父、のち祖母と父の遺骨が納められた。冒頭で「墓をしまい」とあったのは、この墓を取り壊し、郊外の霊園に墓地を買ったことを指す。羽振りの良かった商売が時代の変化で立ち行かなくなり、自主廃業した。そこで分不相応なこの墓を解体したのである。

誠氏は次男だが、兄を平成20年に亡くし、母親の面倒は誠氏が見ることになった。母は福岡を代表する俳人だった。「お母さん。しばらく奈良に来んね。よか病院のあるとよ」と誘い、福岡の病院に空きが出るまでという条件で、奈良の施設に入れた。「もう、故郷に生きて戻ることはない。息子である私が住む奈良で死んでもらうのだ」。

平成28年、ご母堂は逝去された。「七年前、私は母を騙(だま)して奈良に連れてきた。その日から、とにかく、ものごとを割りきって考えるようにしてきた。とにかく、できることはたくさんしてやって、楽しませて、楽しませて、歓楽を尽くさせて死なせたい、と」「私は、この大作戦に成功し、勝利を収め、あの小ぢんまりとしたお墓に、母の遺骨を納めた」。上野家の家族史であり民俗誌であり私小説とも読める本だ。ご一読をお薦めしたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)



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