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コロナ禍の今、カミュ著『ペスト』を再読する/奈良新聞「明風清音」第39回

2020年05月29日 | 明風清音(奈良新聞)
以前、当ブログに「再読!アルベール・カミュ著『ペスト』新潮文庫」(2020.5.7)として掲載した『ペスト』、昨日(5/28)の奈良新聞「明風清音」に《カミュ『ペスト』再読》として紹介した。この本については知人のFさんがご自身のFacebookに詳しい書評を載せておられた。その一部を抜粋すると、

不条理は多くの人々の人生を変える。人により変わり方が異なるだけで、我々は変わることを受け止め、淡々とその後の人生を生きなければならない・・・ということを思い出した。阪神大震災、東日本大震災、そしてコロナ禍。不条理とは、人をそして、社会を襲う理不尽な出来事だろう。

小さな不条理は乗り越えなければならないし、それが生活であり仕事である。病気、事故、貧困、クレーム、トラブル、揉め事、誤解・・・。大きな不条理とは、たとえば、大災害、巨大事故、ナチス、ファシズム、戦争、パンデミック、大恐慌・・・。大きな社会的な不条理には、社会や国家が対応しなければならない。政治である。個々人は協力したり、批判したり、何らかの態度を求められる。

個々人の人生が変わるとは・・・。死亡したら人生は終わる。大切な人をなくしたら、大きな欠落を抱える。遠くに離れていて当事者ではないと思っていても、政治や経済や文化が変わり、生活や仕事は変わる。現在、全世界の人々の人生が、社会が、国家が変わらざるを得ない局面を迎えている。

最後の文章・・・しかし「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり」「数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、待ちつづけていて」「いつか人間に不幸と教訓をもたらすために」「ふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう」・・新型コロナも・・・


これに対して、Sさんという方がFさんのFacebookにこんなコメントを寄せられた。

この感染によって、世界的なヒトの不条理が広がっています。現在では、情報を世界が共有しながら、一人一人が生存し連携することで不条理から抜け出す必要があります。便乗や差別、無関心に気づき、コロナ後に向けて、自らだけでなく、他者を考えることが必要な時ですね。

これに対してFさんは、

素晴らしいコメント、ありがとうございます。コロナと共存しなければならないので withコロナという人もいますが、私はコロナの時代と呼ぼうかなと思います。そんな大変な時代には、人は情緒が不安定になり、感動したり、喜んだり、逆に悲しんだり、怒ったり、感情の起伏が激しくなると思います。それで人同士は、助けあったり、支えあったりする、その一方で不信感を持ったり、攻撃したり、差別したりします。

つまり、人の素晴らしい面と、どうしようもない弱点が、くっきりと現れるのです。そんな中、「連携」することによって、いろいろな人の、そして集団の「便乗や差別、無関心に気づ」く「ことで不条理から抜け出す」ことができると思います。今の政府も、外国の首脳も多くは情緒不安定に見えます。他者と連携する中で冷静になってほしいものです。


カミュの『ペスト』にも、こんなくだりがあった。タルーは主人公で医師である。《タルーは、ペストに冒された町における1日のかなり精密な描写を試み、それによってこの夏の市民たちの仕事と生活について1つの的確な観念を提供している―「誰も、酔っ払い以外には笑うものはない」と、タルーはいっている。「そして、酔っ払いたちは笑いすぎる」》。これも「情緒不安定」の証左であろう。ではそろそろ「明風清音」の記事全文を紹介する。

新型コロナウイルスで「ステイホーム」の大型連休中、アルベール・カミュ著『ペスト』(新潮文庫)を読んだ。この本は今、世界的なベストセラーになっている。カミュの思想は「不条理の哲学」といわれる。この小説でカミュはペストという不条理に反抗し、戦う人々を活写した。そこにヒーローはいない。自分ができることを誠実に粛々と行う市井の人々がいるだけである。

舞台は当時フランス領だったアルジェリアのオランで、人口は約20万人。カミュもアルジェリアの生まれである。小説はこのような書き出しで始まる。《この記録の主題をなす奇異な事件は、一九四*年、オランに起こった》《四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診察室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠につまずいた》。

鼠の死骸はどんどん増えていく。《四月二十八日には報知通信社は約八千匹の鼠が拾集されたことを報じ、市中の不安は頂点に達した》。4月16日に鼠の死骸を片付けたリウーのアパートの門番は、28日に発症した。《熱は三十九度五分で、頸部(けいぶ)のリンパ腺と四肢が腫脹(しゅちょう)し、脇腹に黒っぽい斑点が2つ広がりかけていた》。やがて門番は、救急車の中で死んだ。

リウーはペストを疑うが、医師会長はそれを認めない。しかしその後も死者の数は毎日増え続ける。リウーは思い切って知事に電話をかけた。知事は「アルジェリア総督府の命令を仰ぐことにしましょう」。数日後、総督府から知事に公電が届いた。「ペスト地区たることを宣言し、オランを閉鎖せよ」、つまりロックダウンが命じられたのだ。当時のオランは城壁に囲まれていたので、城門さえ閉じれば封鎖はすぐにできた。《ペストは、彼らを閑散な身の上にし、陰鬱な市内を堂々めぐりするより仕方がなくさせ、そして来る日も来る日も空(むな)しい追憶の遊戯にふけらせた》。

今の私たちの感覚では理解に苦しむが、封鎖された壁の中では、カフェやレストランや居酒屋などが普通に営業し、人々はそれらを利用していた。《八月の半ばというこの時期には、ペストがいっさいをおおい尽くした》《市民たちは事の成り行きに甘んじて歩調を合わせ、世間の言葉を借りれば、みずから適応していったのであるが、それというのも、そのほかにはやりようがなかったからである》《絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪い》。

医師たちは全力を尽くして血清を作り投与し、市民たちは志願者による保健隊を結成し、懸命に看護活動を行う。これらの活動が功を奏し、12月末になって、ようやくペスト退潮のきざしが現れる。《統計は下降していたのである。健康の時代が、大っぴらに希望はされなくても、しかも、ひそかに期待されていたという1つの徴(しるし)は、市民たちがもうこのときから、ペストの終息後どんなふうに生活が再編成されるかということについて、無関心めいた口ぶりながらも、進んで話すようになったことである》。1月、ついに当局はペストの終息を宣言し、2月のある晴れた明け方、門は開かれた。

今のコロナ禍のなかで『ペスト』を読むと、リアリティがありすぎて何度か鳥肌が立った。翻訳が古いので、特に若い人にはとっつきにくいかも知れないが、この時期にぜひチャレンジしていただきたい名作である。



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