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後南朝を偲ぶ朝拝式(川上村・金剛寺)毎年2月5日に催行/毎日新聞「ディスカバー!奈良」第50回

2018年01月24日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。早いもので、先週(1/18)で第50回を迎えた。
※トップ写真は、金剛寺で朝拝式に並ぶ人たち

栄えある50回目に掲載されたのは「後南朝(ごなんちょう)を偲ぶ朝拝式(ちょうはいしき)川上村の金剛寺」、執筆されたのは川上村在住の前田景子さん。前田さんは「ホテル杉の湯」に勤務され、村内で唯一の「奈良まほろばソムリエ」として、時には観光ガイドもされている。

ところで南北朝時代、一般の理解は《延元元=建武3年(1336)に後醍醐天皇が吉野に移ってから、後亀山天皇が京都にもどり南北朝が合体した元中9=明徳3年(1392)までの57年間、吉野の南朝(大覚寺統)と、足利氏の擁立する京都の北朝(持明院統)とが対立して争った時代。吉野朝時代》(デジタル大辞泉)といったところだろう。

私も高校時代、南北朝の合一を「1つさ国は(1392)」と語呂合わせで覚えたものである。なので、てっきりこの後はもめ事もなくスムーズに事が運んだと誤解していた。しかし、それは全く違っていたのである!キーワードは「後南朝」。では、記事全文を紹介する。


自天王の遺品

後南朝を偲ぶ朝拝式 川上村の金剛寺
応仁の乱からさかのぼること75年、足利幕府三代将軍義満のあっせんで南北朝講和が成立し、後亀山天皇は京都嵯峨の大覚寺に移ります。しかし、和睦の条件は守られず、南朝方が皇位に就くことはありませんでした。

後南朝の皇子は再び吉野に逃れ、奥吉野に身を潜め再起の機会をうかがいます。しかし、南北朝合一から65年後の大雪の夜、後南朝の自天王は赤松一族に襲われ、殺されてしまいます。

後南朝に忠節を尽くした川上村の子孫たちはその死を悼み、村の奥地、三之公(さんのこ)仮御所で行われた自天王の即位の大典をしのび、御遺品の鎧(よろい)、兜(かぶと)、太刀に礼拝し、元旦に宮中で行われる儀式「朝拝式」を、翌年より毎年欠かさず行ってきました。561回となる朝拝式は、2月5日に金剛寺で行われます。

メモ 金剛寺へは川上村役場から車で20分。道が狭いため、当日は川上村ふれあいセンター(川上村大字北和田312)からシャトルバスを運行。朝拝式は午前10時から行われます(奈良まほろばソムリエの会 前田景子)。


今も「三之公(さんのこ)」という地名や「三之公川」が残るが、これは南朝方の末裔の「3人の皇子さま」という意味なのである。今年の2月5日は月曜日。雪には十分ご注意の上、お参りいただきたい。前田さん、良い記事をありがとうございました!

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