tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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考古学の鬼、森本六爾(もりもと・ろくじ)

2016年02月15日 | 奈良にこだわる
森本六爾という人をご存じだろうか。「考古学の鬼」と呼ばれた異才である。私は雑賀耕三郎さんのブログ「奈良・桜井の歴史と社会」で知った。そこには、
※トップ写真は森本六爾夫妻顕彰の碑」。1/18の撮影

唐古・鍵遺跡の発掘では森本六爾が忘れられない。今回のコースでは大泉(おいずみ=桜井市)の交差点付近で「森本六爾夫妻顕彰の碑」を拝見することが出来る。森本六爾(もりもとろくじ 1903年~1936年)、唐古・鍵遺跡の壺に残る一粒の籾痕から、いまは常識の「弥生時代は稲作の農耕社会」と証明した。松本清張の断碑と桜井の芝房治(故人)さんの森本六爾論に描かれたのは、こちらの森本六爾である。不遇のうち34歳で亡くなっている。

こんな人がいたのである。桜井市のHPには「森本六爾(もりもとろくじ)夫妻顕彰の碑」《大泉バス停すぐ》という記事が出ている。


顕彰碑の裏の碑文。狭くて、このようにしか撮影できない

大泉バス停の南にある石碑は、当地で明治36年(1903)に生まれ昭和11年(1936)に没した考古学者森本六爾(もりもとろくじ)の顕彰碑(けんしょうひ)です。彼は弥生時代が稲作社会であったことをいち早く見抜き、学界に旋風をまき起こしました。それが証明されたのは、六爾が32歳で夭折(ようせつ)した昭和11年(1936)に唐古遺跡(からこいせき)で始まった発掘調査の成果からでした。

「六爾博物館」というHPに、考古学者・斉藤忠氏(元東京大学教授)のこんな言葉が紹介されている。

森本六爾は、日本の考古学上の多くの人物群の中でも、悲劇的な、しかも異彩を放った人物の一人といえる。とかく、明治・大正以来の学風の伝統の根強かった学界に清新な風を吹き送り、つねに考古学の進むべき目標をみつめながら、逆境とたたかい、東京考古学会の旗幟のもとに、『考古学』を刊行し、溌剌とした研究をなした多才の人物でもあった。

私は想う。もし森本が、奈良県の学校の教員生活に甘んじていたならば、地域考古学に活躍しながら、奈良の地に幸福な生涯をつづけていたかも知れないと。また想う。もし、彼が、期待していた東京帝室博物館に就職し生活に安定していたならば、或いは別な学問の世界におかれたかも知れないと。しかし、運命は、異なったきびしい方向に彼を走らせた。

彼の性格も亦、平凡な生活から、苦難に満ちながらもやり甲斐のある人生を選ばしめた。そして経済的にも健康管理の上にも無理があり、本来の志向と異なって、移りゆき転換してゆく人の世の無情にもだえ苦しみながらも、自己のもつ学問を生かし、学者としての短い生涯を終えたのであった。[斉藤忠編『森本六爾集』日本考古学選集(築地書館)]


近代の奈良を作った偉人と言えば、造林王・土倉庄三郎(どくら・しょうざぶろう)、農事改良に生涯を賭けた中村直三(なかむら・なおぞう)、平城宮跡の保存に尽くした棚田嘉十郎(たなだ・かじゅうろう)などの名前が出て来るが、森本六爾にもあい通じるものが感じられる。1つの大きな目的に向かって、脇目を振らずに邁進する。人気のNHK「あさが来た」に登場する広岡浅子や五代友厚などとは、相当違うタイプだ。

森本六爾の記念碑は「大泉バス停」のすぐ南側。ぜひいちど、お訪ねいただき、六爾の功績を偲んでいただきたい。

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4 コメント

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Unknown (あんず)
2016-02-15 16:42:38
水野先生からお話を聞いたことがあります。
今度訪れてみます。
断碑 (tetsuda)
2016-02-25 17:37:51
あんずさん、コメントありがとうございました。

松本清張の「断碑」という短編小説の主人公のモデルは、六爾だそうです。図書館で探されては、と。
鍵遺跡公園資料館で顕彰を望む (若林梅香)
2021-02-19 12:38:30
森本六爾を改めて掘り下げてみたのは岳友菅谷文則の逝去の年で、菅谷文則氏が師と仰ぎ考古学の世界に足を踏み入れたのが森本六爾の影響からだと聞いていたから
生家の大泉で顕彰碑はすぐに見つかったが、唐古遺跡公園では彼の名前がひとかけらも見つからない
田原本町教育委員会に問い合わせて知っていてくれてなにがしかの資料を保管してくれていたのがわかり、ほっとしたが、どうして唐古遺跡公園の資料館で展示しないのですかと投げかけて置いた
昔、近鉄の社内誌の編集で沿線を歩き、県立図書館館長に考古学の考え方などをよく聞きに行っていたが、考古学の世界は専門性が強くて外部から新設を持ち込んでもなかなか動ける体質ではないなとお聞きしていたので、森本六爾の努力が陽を見なかったのは多少うなづけるが、地元はもっと顕彰してもいいのにと感じた
こんなケースの掘り起こしは大事ですね!
リメンバー!森本六爾 (tetsuda)
2021-02-26 04:24:27
若林さん、コメントありがとうございました。

> 菅谷文則氏が師と仰ぎ考古学の世界に足を踏み
> 入れたのが森本六爾の影響からだと聞いていた

そうでしたか、森本六爾さんはスゴい人でしたからね。

> 生家の大泉で顕彰碑はすぐに見つかったが、唐古
> 遺跡公園では彼の名前がひとかけらも見つからない

六爾ゆかりの唐古・鍵遺跡ですから、遺構展示情報館とか、考古学ミュージアムなどで資料を展示してほしいですね。

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