tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

乾城古墳と真弓鑵子塚古墳

2009年01月30日 | 奈良検定
1/24(土)、高取町(奈良県高市郡)に出向く用事があり、ついでに沿線の古墳を訪ねてきた。タイトルの古墳は、いずれも橿原市一町方面から近鉄飛鳥駅の南に出る道路沿いで、貝吹山から南に延びる越智(おち)丘陵の突端にある。

高取町には古墳が多い。総数では奈良県下で4位だが、人口当たりの古墳数(古墳密度)では県下ダントツ1位で、いわば「古墳銀座」なのだという。
http://www4.kcn.ne.jp/~yukiharu/kodai3%20kofunnmitudokennkaitinotakatorityou.htm

まず訪ねたのは乾城(かんじょう)古墳(高取町与楽)である。『奈良まほろばソムリエ検定公式テキスト』にはこの名前で出ている(P185)が、一般的には「カンジョ古墳」とか「与楽カンジョ古墳」の名で知られる。与楽古墳群の一角にある。



Wikipedia「カンジョ古墳」によると《高取町与楽に存在する古墳。奈良県一の高さの石室を持つことで知られる。墳丘の北側と西側が掘削されているため、原形や規模が不明だったが、調査の結果、一辺約36メートル前後の方墳と判明している。埋葬施設として、両袖式の横穴式石室をもち、石室の天井が極めて高いことが、この古墳の特徴である》。

《床面に土砂が流入していたため、石室の正確な天井高が不明であったが、平成20年の再調査により、石室の高さ5.27メートルであることが判明した(平成20年8月5日高取町教育委員会発表)。石室の高さは、石舞台古墳(高さ4.8メートル)を上回り、奈良県内一と見られる。また、石室の幅は3.7メートル、長さ6メートルと判明した》。なんと、石舞台古墳より高いのだ。

《石室の床面から、渡来人系の古墳で多く見られるミニチュア炊飯具の一部をはじめ、銀製指輪、玄室の中央部から棺台の一部と推定される高さ15センチメートルの盛り上がりや、木棺に使用される鉄釘が出土した。石室や出土品の特徴から、6世紀末から7世紀前半頃の渡来系の有力氏族(東漢氏)の首長の墓とみられている》。



次は、この古墳の東にある真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳である。ここは高取町の境を少し越えた明日香村真弓にある。

「鑵子塚」と名のつく古墳は複数あるが、「鑵子(かんす)」とは、広辞苑によると《(1)湯を沸かすのに用いる青銅製または真鍮(しんちゆう)製の器。茶鐺(ちやとう)。(2)茶の湯に用いる茶釜。真形(しんなり)の釜を指す場合と弦のある手取釜を指す場合とがある》。要するに、背の高い円墳を指すようだ。確かに茶釜の形に似ている。



明日香村のHPによると、真弓鑵子塚古墳は《直径約23m、高さ約5mの円墳です。埋葬施設は花崗岩の巨石を使用した横穴式石室で全長10m以上を測ります》《石室規模は玄室長6.33m、幅4.23m、高さ4.8mで北側の羨道は幅1.92m、高さ2.35m、長さ3.9m、南側の羨道は幅2.26m、高さ2.28m、長さは現長で約5mあることが明らかとなりました》。



《石室内からは金銅製装飾金具や金銅装馬具(尾錠)、須恵器や凝灰岩片も多数出土していることから石棺が安置されていたと考えられます。築造年代については石室構造や出土遺物などから6世紀後半頃と推定されます》。



《貝吹山の南側斜面に位置し、近在には乾城古墳や与楽鑵子塚古墳など穹窿式で巨石を用いた古墳が点在しています。またこの地域にある与楽古墳群からはミニチュア炊飯具や簪子など渡来系要素をもつ遺物が出土していることからこの地域の古墳は渡来系氏族東漢氏の墓域ではないかと考えられています》。
http://www.asukamura.jp/chosa_hokoku/mayumi/mayumi.html

発掘調査により、この古墳の石室は全長19m以上と石舞台古墳より長く、国内でも最大級であることが判明し、話題になった(08年2月発表)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080207/acd0802072057009-n1.htm



石室の「高さ」が国内最大級の乾城古墳と、石室の「長さ」が国内最大級の真弓鑵子塚古墳が、すぐ近くに並んでいて、しかもどちらも渡来系の有力氏族である東漢(やまとのあや)氏の墓とみられているのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%BC%A2%E6%B0%8F

よしっ、これで覚えた。これで、乾城古墳と真弓鑵子塚古墳の奈良検定対策は完璧だ!

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« メローカフェ(mellow cafe)... | トップ | ならまちで昼食を(6)江戸... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
飛鳥駅から西 (かぎろひ)
2009-01-30 16:47:28
毎日、精力的に更新されていて頭が下がります。久しぶりのコメントですが、ほぼ毎日拝見しています。
行った所は懐かしく、まだの所は「行ってみたい」と思いつつ。

飛鳥駅から西方には特に魅力を感じています。駅すぐ西の岩屋山古墳~牽午子塚古墳~真弓罐子塚古墳、南へ行くとマルコ山古墳。いずれもスケールの大きい、美しい、古墳群。道を北へとると益田岩船へ。観光ルートからややそれるせいか、人影少なく、少し不気味さが漂うくらいですが、おすすめコースです。
写真を見ると、真弓罐子塚古墳の石室には今は入れないようですね。2~3年前までは通り抜けできたのですが。コワイッと思いながら、偶然居合わせた人たちと一緒に中に入ったことを思い出しました(1人では無理でした^^;)。

今日は河根ですが、明日は奈良へ戻ります。先日、電話でお母様とお話ししましたよ。
返信する
静かな観光コース (tetsuda)
2009-01-30 19:37:39
かぎろひさん、コメント有難うございました。

> 毎日、精力的に更新されていて頭が下がります。
> 久しぶりのコメントですが、ほぼ毎日拝見しています。

恐縮です。書くネタがたくさん集まりすぎて、整理するのに困っています。

> 飛鳥駅から西方には特に魅力を感じています。

さすがにお詳しいですね。確かに観光客も少なくて、お薦めのコースです。

> 真弓罐子塚古墳の石室には今は入れないようですね。

残念ながら写真の通り、通行禁止になっていました。通り抜けできたとは、うらやましいです。

> 河根ですが、明日は奈良へ戻ります。先日、電話でお母様とお話ししましたよ。

おおっ、九度山町に帰られていましたか。母ともども、これからもどうぞよろしく。
返信する
真弓鑵子塚古墳 (畳薦)
2009-01-31 09:15:14
 このあたり探索が出来ていない。ぜひともJR掖上あたりから歩いて明日香へ入りたいものですが・・・・
真弓鑵子塚と牽牛子塚は「検定」のために原付で走破しました。その時は明日香から入ったので、鑵子塚は谷へ下る?牽牛子塚は反対斜面の中腹、突端という印象でした。地形の全体を理解していないし、探索路を通っただけなので・・・・牽牛子塚の位置は何の不思議もないのですが、鑵子塚が探索路から下っていわば谷にありというのが不思議・不思議だったのです。しかも通り抜けできず行き止まりであった。写真のような全体像を見ていないので、石室入り口あたりのフェンス、工事中という印象だけでした。これはぜひとも再訪問が必要だ。谷ではなさそうだ。
 鑵子の意味も我流で辞書を引いていなかったのを反省。
返信する
与楽鑵子塚古墳 (tetsuda)
2009-02-01 14:54:52
畳薦さん、コメント有難うございました。2/1にアップした「烏土塚古墳と西宮古墳」では、畳薦さんのコメントを引用させていただきました。

> 真弓鑵子塚と牽牛子塚は「検定」のために原付で走破しました。その時は明日香
> から入ったので、鑵子塚は谷へ下る?牽牛子塚は反対斜面の中腹、突端という印象
> でした。地形の全体を理解していないし、探索路を通っただけなので・・・・

私は時間切れで、牽牛子塚へは回れませんでした。真弓鑵子塚は、谷というほどではありませんが、少し下った平坦地ですね。乾城古墳の近くに「与楽鑵子塚古墳」(表示は「鑵子塚古墳」)というのもあって、とてもややこしいです。私もJR掖上駅あたりから、歩いて訪ねなければ…。
返信する

コメントを投稿

奈良検定」カテゴリの最新記事