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久米寺の寿老神(大和七福八宝めぐり・其の四)

2011年01月03日 | 大和七福八宝めぐり
昨日アップした談山神社の福禄寿に続き、第4弾では久米寺(くめでら)の寿老神を紹介する。Wikipedia「久米寺」によると《奈良県橿原市久米町にある真言宗御室派の寺院。山号は霊禅山。詳しくは霊禅山東塔院久米寺と称する。本尊は薬師如来。開基(創立者)は聖徳太子の弟の来目皇子(くめのおうじ)とも言うが未詳》《大和三山の1つ、畝傍山の南方に位置し、橿原神宮からも近い。開基は聖徳太子の弟・来目皇子(くめのおうじ)とも久米仙人とも伝わるが、詳細は不明である。空海(弘法大師)が真言宗を開く端緒を得た寺として知られる》。

このお寺のことは、nara_nakaさんのブログに写真入りで詳しく紹介されているので、ぜひご覧いただきたい。久米寺は花の寺としても知られ、梅雨どきのアジサイのほか、春にはツツジが境内を美しく彩る。昨年の平城遷都1300年祭「祈りの回廊~奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」では、江戸時代に京都の仁和寺から移築され、通常は非公開となっている多宝塔(重文)初層が特別開扉されていた。


久米寺本堂(江戸時代の再建)。写真はすべて07.9.1撮影

このお寺の、久米仙人の伝説が面白い。空中飛行中、娘の白いふくらはぎに見とれて霊力を失い、空から落ちたというのである。《久米仙人の伝説 久米仙人による開基伝承は『扶桑略記』『七大寺巡礼私記』などのほか、『今昔物語集』巻十二本朝仏法部にも収録され、『徒然草』にも言及されている著名な話である。それによると、吉野山龍門寺の久米仙人は仙術で空を飛べるようになったが、ある日空を飛んでいる時、川で洗濯をしている女のふくらはぎに見とれて法力を失い、地上に落ちてしまった。久米仙人はその女とめでたく結婚。その後は普通の俗人として暮らしていた》。


境内には、金色(こんじき)に輝く大日如来像が鎮座する

《その後、時の天皇が遷都を行うことになり、俗人に戻った久米仙人は遷都のための工事に携わる労働者として雇われ、材木を運んだりしていた。ある日仕事仲間から「お前も仙人なら、仙術を使って材木など一気に運んでしまったらどうだ」とからかわれた。一念発起した久米仙人は7日7晩祈り続けた後、仙力を回復。久米仙人の仙術で、山にあった材木が次々と空へ飛び上がり、新都へと飛んで行った。これを喜んだ天皇は久米仙人に田30町を与え、これによって建てたのが久米寺である、という話である》。

お寺のお祭に「練供養(ねりくよう)」がある。橿原市のHPによると《久米寺練供養(5月3日・久米寺)春の農繁期前の祭典。通称、『久米レンゾ』と呼ばれる会式が、近在の老若男女を多数集めて開かれます。薬師如来像を先頭に観音さまなど25菩薩が長い橋を練り渡ります。また、久米仙人長寿の法要も行われます》。


桃山様式を残す多宝塔(重文)は万治2年(1659年)、京都・仁和寺より移築されたもの

さて寿老神(寿老人)とは、Wikipedia「寿老人」によると《道教の神仙(神)。中国の伝説上の人物。南極老人星(カノープス)の化身でもある》《酒を好み頭が長く、白髪で赤い顔をした長寿の神とされる。日本では七福神として知られているが、福禄寿はこの寿老人と同一神と考えられていることから、七福神からはずされたこともあった。寿老人は不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである鹿を従えている。手には、これも長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っている》。


画像は「楽々はがき2009」より

名前の通り、長寿の神さまなのだ。鹿を従えているところが、奈良県のイメージと重なって、興味深い。最近は、「ぽっくり寺」(ぽっくりと往生できるというご利益のある寺)とか、「延命地蔵」さま(延命・利生[りしょう]を誓願する地蔵尊。新しく生まれた子を守り、その寿命を延ばすという。後世は、短命・若死にを免れるため信仰された。「デジタル大辞泉」)をお参りするお年寄りが多いが、ぜひ寿老神も加えていただきたいものだ。

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