学校における“いじめ”には、関係する大人が十分に、児童・生徒の話を聞き取り、検証できなければ本当の姿が見えてこない。
いろいろな現場で、十分な聞き取りや、理解が出来ず本来の姿を見出し解決できないために、好ましくない素行が見えづらい形で継続してしまう。
児童・生徒を看ようとしなければ、見えない。同じ厚生員との会話の中でもよく話す。見えるのではなく、感じるものなので、「どうしたら見えるのか?」と聞かれることがあるが、十分に回答をすることが出来ていない。
母親が、新生児の泣いている様子で、母乳なのか、おむつなのかがわかるように、子育てや児童・生徒との関係も、感じるものだと思う。感じるということは、関係がきちんとできているということでもあると思う。
人は一人では生活することが成り立たない。何らかの形で、共存する生き物だ。まして、人として未成熟な、児童・生徒では、大人のかかわりが必要だ。
担任である教員がこの事象にきづけず、第三者である探偵という著者がこの事象を闇の中から掘り出せたということは、言い換えればしようとすれば出来ることなのだと思う。しかし、現場ではできていない。
出来ない様な環境がそこにあるということではないだろうか。
学校という特異な環境が、その土壌を形成してしまう素養があるのではないだろうか。
学校に限らず、児童・生徒が生活をする児童厚生施設も、同じだと思う。
新生児や幼児に関わる施設では、子どもだけではなく保護者の置かれている環境にも、更に、配慮が求められる。
各施設にいる職員は、気づくことを求められる立場に置かれている専門職だという自覚が必要だと考えているが、関わる中には“賃金を稼ぐ”ことが目的で、その施設に身を置いている職員も少なくない。そういった職員が、本来の「職責」に気づける人間関係を各施設で築いていくことも、大変なことではあるが必要ではないかと思う。
中には、「職責」を感じていない職員同士で業務指示書にないことはやらないと“権利”を主張されたことも少なくない。
職業に“特権意識”が強い公的業務に就いている職員にこの傾向が観られるように感じる。
そして、学校以外の子どもたちに開かれている施設が、指定管理方式に移行し、外部委託という経済活動の中に移行されいる現状にも不安を感じてしまう。
いじめだけではなく、破損行為、窃盗行為、そして今回の記事にある傷害行為、これは事象ではなく、事件であり犯罪だと思う。こうしたことがあっても、見過ごされてしまうということは、この環境で成長する児童・生徒に対し「わからなければいいのだ」ということを学習する機会にもなってしまう。
このような悪い循環を断ち切るような環境整備も急務ではないのだろうか。
いじめの「学校調査」に闇。被害者の依頼で探偵が突き止めた真犯人
http://www.mag2.com/p/news/351205
いろいろな現場で、十分な聞き取りや、理解が出来ず本来の姿を見出し解決できないために、好ましくない素行が見えづらい形で継続してしまう。
児童・生徒を看ようとしなければ、見えない。同じ厚生員との会話の中でもよく話す。見えるのではなく、感じるものなので、「どうしたら見えるのか?」と聞かれることがあるが、十分に回答をすることが出来ていない。
母親が、新生児の泣いている様子で、母乳なのか、おむつなのかがわかるように、子育てや児童・生徒との関係も、感じるものだと思う。感じるということは、関係がきちんとできているということでもあると思う。
人は一人では生活することが成り立たない。何らかの形で、共存する生き物だ。まして、人として未成熟な、児童・生徒では、大人のかかわりが必要だ。
担任である教員がこの事象にきづけず、第三者である探偵という著者がこの事象を闇の中から掘り出せたということは、言い換えればしようとすれば出来ることなのだと思う。しかし、現場ではできていない。
出来ない様な環境がそこにあるということではないだろうか。
学校という特異な環境が、その土壌を形成してしまう素養があるのではないだろうか。
学校に限らず、児童・生徒が生活をする児童厚生施設も、同じだと思う。
新生児や幼児に関わる施設では、子どもだけではなく保護者の置かれている環境にも、更に、配慮が求められる。
各施設にいる職員は、気づくことを求められる立場に置かれている専門職だという自覚が必要だと考えているが、関わる中には“賃金を稼ぐ”ことが目的で、その施設に身を置いている職員も少なくない。そういった職員が、本来の「職責」に気づける人間関係を各施設で築いていくことも、大変なことではあるが必要ではないかと思う。
中には、「職責」を感じていない職員同士で業務指示書にないことはやらないと“権利”を主張されたことも少なくない。
職業に“特権意識”が強い公的業務に就いている職員にこの傾向が観られるように感じる。
そして、学校以外の子どもたちに開かれている施設が、指定管理方式に移行し、外部委託という経済活動の中に移行されいる現状にも不安を感じてしまう。
いじめだけではなく、破損行為、窃盗行為、そして今回の記事にある傷害行為、これは事象ではなく、事件であり犯罪だと思う。こうしたことがあっても、見過ごされてしまうということは、この環境で成長する児童・生徒に対し「わからなければいいのだ」ということを学習する機会にもなってしまう。
このような悪い循環を断ち切るような環境整備も急務ではないのだろうか。
いじめの「学校調査」に闇。被害者の依頼で探偵が突き止めた真犯人
http://www.mag2.com/p/news/351205