日がな一日のんびり暮らしています

のんびり暮らす中で、気になったことなんかを書き込んでみたいと思います。

いじめの記事をみて考える

2018-02-27 11:57:12 | 日記
学校における“いじめ”には、関係する大人が十分に、児童・生徒の話を聞き取り、検証できなければ本当の姿が見えてこない。

いろいろな現場で、十分な聞き取りや、理解が出来ず本来の姿を見出し解決できないために、好ましくない素行が見えづらい形で継続してしまう。
児童・生徒を看ようとしなければ、見えない。同じ厚生員との会話の中でもよく話す。見えるのではなく、感じるものなので、「どうしたら見えるのか?」と聞かれることがあるが、十分に回答をすることが出来ていない。
母親が、新生児の泣いている様子で、母乳なのか、おむつなのかがわかるように、子育てや児童・生徒との関係も、感じるものだと思う。感じるということは、関係がきちんとできているということでもあると思う。
人は一人では生活することが成り立たない。何らかの形で、共存する生き物だ。まして、人として未成熟な、児童・生徒では、大人のかかわりが必要だ。

担任である教員がこの事象にきづけず、第三者である探偵という著者がこの事象を闇の中から掘り出せたということは、言い換えればしようとすれば出来ることなのだと思う。しかし、現場ではできていない。
出来ない様な環境がそこにあるということではないだろうか。
学校という特異な環境が、その土壌を形成してしまう素養があるのではないだろうか。
学校に限らず、児童・生徒が生活をする児童厚生施設も、同じだと思う。
新生児や幼児に関わる施設では、子どもだけではなく保護者の置かれている環境にも、更に、配慮が求められる。
各施設にいる職員は、気づくことを求められる立場に置かれている専門職だという自覚が必要だと考えているが、関わる中には“賃金を稼ぐ”ことが目的で、その施設に身を置いている職員も少なくない。そういった職員が、本来の「職責」に気づける人間関係を各施設で築いていくことも、大変なことではあるが必要ではないかと思う。
中には、「職責」を感じていない職員同士で業務指示書にないことはやらないと“権利”を主張されたことも少なくない。
職業に“特権意識”が強い公的業務に就いている職員にこの傾向が観られるように感じる。
そして、学校以外の子どもたちに開かれている施設が、指定管理方式に移行し、外部委託という経済活動の中に移行されいる現状にも不安を感じてしまう。

いじめだけではなく、破損行為、窃盗行為、そして今回の記事にある傷害行為、これは事象ではなく、事件であり犯罪だと思う。こうしたことがあっても、見過ごされてしまうということは、この環境で成長する児童・生徒に対し「わからなければいいのだ」ということを学習する機会にもなってしまう。
このような悪い循環を断ち切るような環境整備も急務ではないのだろうか。


いじめの「学校調査」に闇。被害者の依頼で探偵が突き止めた真犯人
http://www.mag2.com/p/news/351205

3日に亘った研修が終わった

2018-02-26 10:21:33 | 日記
先週後半に四ッ谷の上智大で健全育成財団のセミナーがあった
金曜と土曜の2日間は、各地区から14人の仲間が、自分の得意分野で戦っている実践発表を聞くことが出来た
ここで発表される内容は、どこの地域でもあったり、課題として日々対応が山積する課題でもあり、仲間の発表から見えてくる課題も少なくない
どこの地域でも外国籍の家庭、異年齢交流、地域活動など、待ったなしで対応をしなければならない事が視えてくる

人ごとではなく、発表を聞きながら
  対応したブラジル籍、中国籍、フィリピン籍の子どものたちには、十分に支援できていたのだろうか、
  体育館で行った防災訓練では、もっとやれたことはなかったのか、
  保護者参加の行事では、もっとやれたことはなかったのか、
  もっと地域ボランティアに、入ってもらえたのではないか
過去の反省だらけの記憶でいっぱいになった




久しぶりの電車では、
  先を争う様に、座席を取り合い
  判で押したように皆んなが携帯電話を同じように開き見入っている
現職の仲間の活動を聞きつつ、私は現在、在職中に満足出来なかったことを振り返り、学び直しの日を暮らす
その中で、見えてくる物もある
  道端にひっそりと咲く雑草の花、季節の中で風の色が変わること、
日々風を切って走り抜けてきたからこそ分かること、そんなことを伝えるのも、今の私の役目なのかもしれないと感じた

今日の鈴木理事長先生の話にも聞かれたが、本物は嘘をつかない
30年前、まだ若かりし頃にマーケティングの御指導を受けた先生にも言われたこと
その言葉に納得した私は、機会がある毎に伝えてきたことでもある
一方で、百均やディスカウントの愛好者でもある私には、説得力には欠けてるのかも

3日目の日曜の研修は、発達に隔りのある子とその保護者に対し関わる際の基礎を学ぶ講座だった

ここ数年の間に、発達に隔りのある子どもの判断や評価方法が大きく変更になったる
しかし、第一義的な対応に迫られる我々には、十分な研修の機会があるとは言えない環境にある

講習は三部構成で、
基本理解、具体的な対応、参加者の具体的質問に答える形での対応アドバイス、となっていた

私が理解出来たところでは、
・児童、保護者に寄り添い、理解をする事が大切で、そのために信頼関係の構築が欠かせないこと
・注意すべきは、私たちがいいと思ってした行動が、好ましくない行動に対して強化機能になる事があること
・自閉症やADHDには特異な行動を伴うことから、単純に判断してはいけない





このところ始まった花粉の飛散もあり、通しの3日間の勉強会は、流石に疲れた
この3日間、多くの厚生員との交流も出来、収獲の多い日々でもあった
研修に参加した各地から来ていた厚生員の皆さん、お疲れ様でした

移動の時に読んでいた、深谷和子先生の書籍
40年前に書かれ出版されたものですが、子どもたちの自己肯定に関しての認識に、ヒントがいっぱいで読み切ってしまった