意思による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

求む!イギリス人男性の同居人 井形慶子 ***

2014年11月27日 | 本の読後感
「人との比較で自分の幸福感や不幸感の度合いを決めることは、結局自分の幸福を他人の価値観で決めようとしているに等しい」、どこかの幸福論にでも書いてありそうなことをこの本の筆者は生涯かけて証明しようとしているように思える。

最初の結婚はできちゃった婚、カメラマンの夫とは赤ちゃんのひよ子が生まれるとすぐにうまく行かなくなり離婚、25才でシングルマザーとなった。19歳の時に留学で滞在したイギリスに憧れ、そして日本人との結婚に失敗したあとは、イギリス人と結婚したいと考えるようになる。時代はバブル、しかし月収6万円程度で不安定な仕事しかなかったため、タイトルにあるような張り紙を外国人が立ち寄りそうな箇所に貼り、電話を待った。

直ぐに電話があった。会ってみるとその彼は自分が頭のなかで描いていた理想のイギリス人「金髪碧眼、清潔感漂うアッパミドル」のイメージとは程遠いイタリア系で中東の血も交じるバックパッカー風の英会話教師で稼ぐ貧乏そうな男、名前はガイだった。積極的なガイは初めての顔合わせから何回も電話で同居はOKかと迫ってくる。そして、夕食に招いて、自分の子供ひよ子も見せて、彼の話をもう少し聞いてみることにする。そしてその日はガイを自宅に泊めてしまう。そしてなんとなくガイは頻繁に自宅を訪れるようになる。半同棲である。

当初はイメージと違うガイに違和感を持っていたが、積極的で優しいガイに次第に心を許すようになり、娘のひよ子もガイになつく。ガイは友達を連れてきたいという。友達は理想のイギリス人と頭に描いていたイメージ通りの男性で、その彼女は性格もよく美人でスタイルもいい、言ってみれば美男美女の国際カップル、自分たちと比べればなんという違いかと落差を感じてしまう。ガイはファミリー志向、しかし筆者はなんとか自分の仕事で身を立てたいともがく。そんな彼女を「ワーカホリック」と言うガイ。もっとリラックスしようよと遊びに誘うガイに「仕事があるから」と振り払う。表面上はうまく行っているように見えても相手も違和感を感じていたことに気がつかない。

あるときガイはイギリスの両親にあって欲しいと言う。いよいよプロポーズしてくれるのかと期待が高まる。会ってみるとガイの両親が暮らすのは日本人から見れば素晴らしい環境に建つお屋敷、しかし母親というのは父がガイの母と離婚した後に再婚した相手だと知る。それでも両親は彼女とひよ子を大歓迎、息子をよろしく、と言うので、すっかりその気になる。しかしガイからのプロポーズはない。なぜこれからの生涯を一緒に暮らそうと言ってくれないかと迫ると、ガイは急に冷淡になり、成田についた時にはもう別れよう、と言われる始末。嘘でしょ、と思うがガイは本気だった。ガイとの別れに焦って、外人ならだれでもとパートナー求めるがそんなにいい具合には行かない。イギリス人と文通した上に、ガイとのイギリス旅行中にその文通相手とも会ってしまう。あやふやな返事をする間に相手はその気になってしまう。

帰国後、雑誌の創刊を企画していた時に出会ったのがロジャー、日本の大手電機メーカーに勤める駐在員で37才、バツイチだったが金髪碧眼、知的でユーモアのセンスもあり日本人のことも理解してくれている理想的なパートナーだった。そんな時、文通していた彼が日本に来たと連絡、会ってくれと言う。とんでもない、自分はロジャーと結婚、しかし彼はすでに日本に来ている。会って断るが相手はそれが信じられない。大変な迷惑をかけてしまった。一方、ロジャーとの結婚話はトントン拍子に進み婚約、長崎に済む実家にも連れて行って両親にも合わせ、あとは結婚式という頃、元妻と電話でいいから話をしてくれと頼むロジャー。自分も元夫と今でも連絡を取り合っていたのでOKした。しかしそれは不幸の始まりだった。元妻は、「本当に子連れの日本人とうまくやっていけると思っているのか」と詰め寄り、ロジャーは一気に結婚する気をなくしてしまう。

どうしてもイギリス人との結婚にこだわった自分、しかし誰ともうまく行かなかった。映画で見た「ノッティングヒルの恋人」に憧れていただけなのか、夢の様な理想をイギリス人との生活として空想していただけなのか。それとも最初の結婚の失敗を相手が日本人だったから、と他責にしたいだけだったのか。

今は50歳になり憧れのロンドン郊外にフラットを手に入れた自分、二十代の失敗を顧みて、今同じような悩みや失敗で苦しむ日本人女性がいて読んでくれることで救いを見出してくれたら、というのが筆者からのメッセージである。

さて参考になるだろうか。なるだろうと思う。異文化への憧れや、よりよい生活への向上心、仕事に対する一途な思い、失敗を恐れない勇気、どれをとっても人生にプラスになると思うが、幸福感の多くを外形的な部分に求めるところに引っかかりを感じるのは私だけだろうか。ガイと自分の二人連れを他人はどう見るか、人が綺麗に着飾っているところに惨めな姿で行きたくはないと友人の結婚式参列を躊躇う、文通相手の性格や相性ではなく見た目から嫌悪感を抱いて拒絶する、本人はひょっとして今でも比較幸福感の不具合に気づいていないのかもしれないと感じるがどうだろう。今や成功して幸せに暮らす筆者にはまったく余計なお世話ですが。


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フェルメール 光の王国 福岡伸一 ***

2014年11月26日 | 本の読後感
生物学者の福岡伸一がフェルメールが展示されている美術館を順々に訪問して、それぞれの都市ごとにフェルメールが生きていた時代と重なる人や歴史を思い起こしながら、各作品について語る、という趣向。飛行機の機内誌で昔読んだ記憶もあったがやはりそうだった、ANAの2008年から2011年の連載記事だったという。

まずはオランダから。ANAでフランクフルトに入り、空港のそばにある美術館を乗り継ぎ時間の間に訪れるところから始まる。そしてアムステルダム、ライデン、ハーグ、生まれ故郷のデルフトと巡っていく。フェルメールと同じ町、同じ日に生まれて洗礼を受けたのも4日違いというのが学者のレーウェンフック。ハーグではだまし絵のエッシャー美術館にも立ち寄る。フランクフルトのシュテーデル美術館では「地理学者」を見て、そのモデルがレーウェンフックではないかと推測する。アムステルダム美術館の「牛乳を注ぐ女」では注がれている牛乳の細い筋の中にも光のきらめきを見つける。マウリッツハイス美術館では青いターバンの「真珠の耳飾りの少女」をみてその青色にラピスラズリの宝石を見つけ、デルフトの「小路」では、その実際の場所を近くの教会から見下ろす場所から見てみる。その場所とはエッシャー作の絵にも描かれていたのである。

アメリカではワシントンDCのナショナル・ギャラリー、そしてNYCと続く。NYCでは20世紀のはじめに日本から彼の地に徒手空拳で渡った野口英世に思いを馳せる。野口英世が彼の暮らしていたアパートから研究所に通う道すがらにあったと思われるフェルメール作品がある。フリック・コレクションと呼ばれる作品の中に「兵士と笑う女」「稽古の中断」「女と召使」がある。この3点はここから移動することを禁じられているという。そのためここでしか見ることができないが、それらが一般公開されたのは1935年、野口はその前を通っていたはずだというのだ。アメリカにフェルメールのすべてをもたらしたのは画商のノードラー、そのギャラリーもマヂソン街にあった。

そしてパリ、ブールラ・レーヌ。ルーブルには「レースを編む女」がある。23.9X20.5cmの小さな作品であるが、描かれた絵はまさに精密である。先日亡くなった赤瀬川原平は「これがコンピュータのICチップの組み換え作業だった、と言われても納得する」と表現した。繕う指先の二本の糸はきっちりとした二等辺三角形を形作る。両目と針先を結ぶ線も二等辺三角形、こうした精密さがフェルメールの特徴である。そして「天文学者」もルーブルにはある。

そしてエジンバラ、スコットランド美術館にあるのが「マリアとマルタの家のキリスト」、フェルメール作品中最大のもの、160X142cm、焼失したと言われるものを除けば最も初期作品である。絵のモチーフになった福音書のキリストの逸話も紹介される。キリストが訪問した村にいた姉妹がマリアとマルタ、キリストと話をしたがる妹マリアを羨むおもてなしに忙しい姉マルタを諭すのがキリスト、マリアの楽しみを取り上げてはならないのだよと。そしてロンドン、ケンウッド・ハウスにある「ギターを弾く女」、弾いているギターはオベーションで、そのコードはGだと推測する。それがどうした、と言われればそれでおしまいだが。

このようにして次々にめぐる美術館、最後はドイツに戻る。「取り持ち女」という不思議なタイトルの付けられた絵。客が娼婦に回す左手、そして右手では金貨を娼婦の右手にまさに渡そうとする瞬間が描かれていて、その金貨を必死で確認する取り持ち女。その右側にいるのが帽子とマントを纏い、絵を見る人に笑いかけている「ほらこんなに間抜けに見えるのですよ」と。それを言っている人こそはフェルメールだと推測する。同じ美術館に並んで飾られる「窓辺で手紙を読む女」フェルメール作品で初めてフェルメールの部屋が使われたという。ベルリン国立絵画館、「真珠の首飾り」「紳士とワインを飲む女」があり、「二人の紳士と女」はアントン・ウルリッヒ美術館にある。ワインを飲む女はちょうどワインを飲み干した瞬間が描かれ、二人の紳士と一緒にいる女は軽薄とも思えるような笑いをこちらに向けている。なにを語りかけているのか。

最後にレーウェンフックが画家に依頼して描かせた観察画があるが誰が描いたのかはわからない。それを直接見せてもらった筆者はその観察画は絵描きによるものであり、レーウェンフックとフェルメールの関係や時代考察から、フェルメールによる可能性があることを匂わせる。

フェルメールの全作品を見て回る旅行、まことに贅沢であり、聞きようによっては鼻持ちならないスノッブともとれる一冊である。しかしあの「動的平衡」の筆者がこれを書いていると思うと、そんなつまらない考えは吹き飛ぶ。フェルメール自身が何気ない一瞬を切り取って、風景や人物の微分とも思える瞬間を写しとり、光りと陰りがあふれるすべての作品を通して「世界の動的平衡」を表現しているようにも思えるからである。フェルメールが2008年に東京に来た時に見た作品、それ以外の作品も含めて、あといくつの作品を自分で目にすることができるか、欲張る必要はないと思うが、こうして本で作品を巡ってみると、パリ、アムステルダム、ロンドンと直接見る可能性がある将来の楽しみも膨らむというものである。おっと、ANA機内誌、いい仕事してる。


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「時代認識と日本経済への提言」 寺島実郎  ****

2014年11月20日 | 本の読後感
寺島実郎さんの著書には非常に気づきを与えてもらえる。「時代を見つめる目」「大中華圏」など、時代認識と日本経済の処方箋などで考えさせられた。最近のアベノミクスへの評価や異次元緩和と言われる量的緩和とその第二弾、そして直近の消費税導入と10%への再値上げの延期について、寺島実郎さんの考えが知りたくて、今週講演会で話を聞いてきた。

セミナーの要旨は以下のとおりである。

<セミナー要旨>
「経営とは時代認識である」
企業経営者は時代認識をしっかりと持つ必要がある。企業の経営環境認識を正しく持てなければ成功する経営戦略など立てられないからである。2014年10月以降の日本をどう捉えるか、日本の量的緩和第二弾、そして衆議院解散、この今をどう捉えるかが本日のテーマである。

「日本経済は失速、米国実体経済は堅調」
世界経済はエボラ騒動やISIS対応で下振れ状態、日本経済も消費増税の影響から抜け出せず、欧米メディアからは「リセッションに入った」と分析されている。一方、ユーロ圏は昨年のマイナス成長から今年はプラスに転じ、米国の失業率は二桁から5.8%まで改善した。こうした中でドイツは財政出動の要請が強い中で財政均衡は崩さないというポリシーを守り続けているが、日本は財政均衡に程遠く、経済も低迷、財政も赤字拡大と日本経済への失望感が欧米では広がっている。
日本の貿易相手国は1990年には米国が27%、中国は3.5%、だったのが2014年には米国が13.4%、中国が19.9%、台湾や香港、シンガポールも含めた中国系が過半数を占める国である大中華圏では28.9%にも達している。2040年には世界のGDPの約半分がアジアによると予測され、日本経済のためには今後のアジア諸国との経済的つながりが最重要となる。

「ユーラシア流動化と世界のエネルギー地政学的変化」
ウクライナにおけるロシアとの確執やシリア、ISIS対応で米国の世界へのグリップ力低下が確実となったのが2014年である。しかし、米国経済が回復してきていることも事実、これはシェールガス開発とビッグデータによる次世代ICT革命によるところが大きい。実は日本のエネルギーの約半分は今やLNGに依存、その入手価格はBTUあたり16-18ドルと世界的には最高値で購入している。これは長期契約による。日本は中東危機以降、エネルギー石油の一極集中を分散するという目的からLNGをロシアなどからも輸入、今や全輸入の8.7%はロシア、2020年には2割に達すると見込まれるが、現在のロシアの世界での立ち位置を見ると逆にリスク要素が増えてきている。今後は米国からのLNG輸入を増やし、価格帯もBTUあたり11-15ドルとシフトしていくことが見込まれる。

「ビッグデータ時代の到来」
自動車社会の未来はガソリンから電気や水素などへの転換が予想される中、さらにETCの義務化で車のトレーサビリティを高め、位置情報から得られるビッグデータを活用し、課金、マーケティング、徴税などで活用しているのがシンガポール、日本はこのモデルを目指すべきである。また、インターネットが米国国防省ArpaNetの民間開放から始まった歴史をPh1と考えれば、今はインターネットのPh2とも言える時代。民間企業のAmazonとGoogleの戦略が世界のICT革命を牽引している。日本企業はETCやビッグデータ活用の可能性とPh2で活躍する企業との連携を模索する必要がある。

「危機に瀕するアベノミクス」
米国ではQE3の収束が決まり、2015年には金利の引き上げ局面を迎える。アベノミクスが始まった2012年末以降の外国人投資家による日本株買い越しは16.2兆円、同じ期間日本人法人投資家は3.9兆円の、個人投資家は10.5兆円の売り越しであった。日本の株高は外国人投資家によるものであり、彼らは日本経済の行く末などどうでもよく、短期保有の売り抜く資本主義、日本人のなかで株式を保有するのは12%、株高で日本経済は良くならない。ここに来てGPIFの株式保有比率を変えるのは禁じ手、日本経済の今や土台も柱もなく天井(株価)だけが上がっている「吊り天井経済」である。アベノミクスは第一の矢、第二の矢ときてまた第一の矢に戻ってしまった。第三の矢こそが日本経済回復の鍵だったはず。ここで消費税増税延期に伴う景気刺激策などは、財政悪化を招くだけの最悪手である。
一方、企業収益の従業員への配布は大企業では実施されているが中小企業では難しく、実質所得は増えず、生活保護世帯や年金世帯など弱者と高給取りのサラリーマンとの格差は拡大するばかり、法人税減税などをしても所得への分配は期待できない。

「日本経済のためになすべきことは実行計画の実施」
第三の矢として規制改革を行う分野として上げられた女性活躍、農業振興、医療改革などはまっとうな領域でありビジョンとしては立派、あとは実行するだけである。ビジョンは立派だが具体的施策が実行されないなどというのは、出来の悪い経営企画部のやること。具体的プロジェクトの組成が必要である。日本の一人あたりGDPは3.8万ドル、シンガポールは5.5万ドル、いつの間にこんな差がついたのか。日本の雇用は製造業、建設業からサービス業にシフトしてきていて、サービス業の所得水準は建設・製造より年間120万円低い、月給で10万少ない。しかし失業率が下がったわけではなく、シンガポールが知恵を絞って行ってきたサービス業の付加価値創造ができていないのである。その具体的候補は次の6つ。
① マクロエンジニアリング:中央リニア建設の前倒し、首都機能分散、防災志向の産業再生、グローバル物流を睨んだ空港・港湾インフラ整備など。
② 新産業創生:MRJ、自動車・鉄鋼・エレクトロニクス産業で蓄積した基盤技術をロボット、医療などの高度組み立て技術と融合させる。
③ TPPに入っても食料自給率を6割に上げる戦略:農業生産法人化、競争力ある農業開発で輸出産業化。
④ 社会工学的アプローチ:高齢化社会に備えて医療の予防化への進化、遺伝子診断の社会システムへの取り入れ、未病化を地域医療に浸透。
⑤ 資源の外部依存解消とエネルギーコスト低下:賢いエネルギーベストミックス戦略、メタンハイドレート開発、アジアスーパーグリッドに向けた国境を超えた送配電網実現。
⑥ サービス産業高度化:統合型リゾート開発による海外からの旅行者3000万人達成、医療ツーリズム、教育、コンベンション、食と農業(アグリツーリズム)などを組み合わせた統合的観光。

「地域創生」「女性が輝く社会」「TPPによる貿易振興」「競合力ある農業改革」などはキャッチフレーズでしかなく、その先にある具体的施策の実行こそがアベノミックスの第三の矢に期待されている。

<セミナー要旨終わり>
以下は企業人の一人としての感想である。

少子化や高齢化、ゼロ成長、ゼロ金利、財政赤字などという一般的環境認識に上記時代認識を加えるならば、日本企業の一員として目をつけるべき課題としては次のようなことがあげられるのではないか。
1. アジア経済拡大で起きていることは人口増大と、それに伴う生産、物流、販売、サービスの各市場拡大であり、生活の質と量的拡大である。アジア諸国に先行して発展した日本を支えてきた日本企業がアジア市場に提供できる付加価値は多い。競合する先進各国との差別化要因は、地理的優位性、品質であり価格であってはならない。
2. エネルギー資源のシフトにより起きる産業変化に目をつける必要がある。自動車の電気、水素化、電力会社のサービス拡大と資源シフト、発電送電事業への新規参入と発電方法のシフトと安定供給、LNG、再生可能エネルギー開発など、エネルギーが経済の隘路になってはならないはず。
3. 次世代ICT革命の鍵はビッグデータ。ビッグデータを生み出す元を考える必要がある。GPS、ETC、ウェアラブル、各種組み込みデバイス、ロボット、工場、事務機器、建物、交通、物流、などなどIoTの対象物と組み合わせるシステムの可能性を探る。
4. サービスの付加価値化に伴うICTの可能性を探る。医療ツーリズム、教育、コンベンション、食と農業(アグリツーリズム)などが候補。

寺島実郎さんの講演にも今回の解散総選挙で考えるべきポイントがたくさん含まれているようだ。



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資本主義の終焉と歴史の危機 水野和夫 ****

2014年11月19日 | 本の読後感
読者が「分かった気になる」ということが重要だ、とすればこの本は条件にピッタリ、そのとおりだと思えるのだが、若干の不足感もある。本書ポイントはいくつかある。

1. 現在の資本主義経済の発展は限界に来ている。
 金利が現在のように低金利になったことは歴史上400年前のイタリアジェノヴァ以来なく、400年前当時のイタリアにはスペインが世界から集めた金銀が集結してきていたが、イタリアには開発すべき余地がなく、資金がだぶついてしまい、それまでの中世社会の発展が16世紀の100年をかけて徐々に転換、その後の産業革命を経ての資本主義社会の展開へと続く「長い16世紀」だという。今の金利はその時と同じレベル、ひょっとしたら同じことが起きている。
2. 資本主義の発展は格差による収奪だった。
 産業革命以降のイギリス、20世紀のアメリカは、世界の中で最初に産業革命後の生産性向上の成果を産業革命前の周辺諸国からの資源調達と再輸出により得ていたという。石炭石油というエネルギー資源を格安で手に入れ、同様のルートで手に入れた金属資源などとともに加工した製品を生産・貿易することで利潤を得ていた。20世紀末にはその発展も限界を見せていたが、1990年台に資本のグローバル化、自由化が始まり、実体経済である生産、製造業による利潤獲得から金融商品による収益へとシフトした米国はしばらくは資本主義の限界から脱したように見えた。しかし、サブプライムローン、リーマンショックでバブルが弾けて、実態の伴わない金融商品による利潤獲得は必ず弾けるバブルを抱えての綱渡りであることが証明された。ここでの革命は「空間革命」とも言えるものであり、BRICSやPIIGSへの資金投資によりリターンを得られるというセールストークに出会った投資家もいたはず。ここでの限界を筆者は「長い21世紀」と表現、1990年に日本で起きたバブル崩壊が2008年にも米国で起き、同じことは必ず中国でもBRICS、PIIGSでも起きると予言する。アメリカの次の資本主義による覇権国家は中国、ということは長い21世紀には起こらないという見方である。
3. 電子・金融空間でのこれ以上の収奪は未来からの収奪しか残されていない。
 先進国が開発途上国から収奪する時代から、自国内にさえ格差を創りだして上位1%に所得が集約される世界を作り出しているのが現在のアメリカや日本の資本主義だとするとそこから更なる資本主義の拡大を目指すなら未来の人間からの収奪しかない。サブプライムローンやリーマンによる債権パッケージ、財政赤字による国債での公共投資、景気刺激策などというアベノミクスには国民の幸福な未来はない。
4. 日本が定常状態を維持するには分かち合いの経済しかない。
 現在日本の1000兆円以上の国債発行残高に加えて毎年40兆円の国債発行が可能な仕組みは、800兆円に登る預金からの年率3%のリターン24兆円、それに加えて企業に蓄積されている24兆円の資金余剰、合計48兆円に依存している。この資金が金融機関を通して国債購入に当てられているため。1000兆円のストックは民間資産と預金合計がギリギリ1000兆円を上回っているためだと解説。年率3%の銀行のマネーストックが何らかの理由で減少に転じるときに国債発行ができなくなる、その時はあと数年だと筆者は見る。この奇跡的な定常状態は世界で日本が先駆けて経験する資本主義の限界、これをプラスに転じるチャンスと捉えたい。そのためには日本人はこれ以上の成長ではなく、1000兆円を払い込んだ居心地のいい「日本クラブ」のクラブ員になったと考え、どうしたら現状を維持し、分かち合いができるかを考える必要がある。
5. エネルギー生産の効率化が今後の日本の大きな課題。
 原子力発電がこれ以上増やせない現状ではそれ以外の経済的な電力獲得が必須、これが定常状態維持の隘路となることが日本最大の課題となる。日本は世界ではじめて資本主義の限界に到達し、その後のゼロ成長、ゼロインフレ、ゼロ金利という状態を維持する方策を考え実行できることが一番マシなソリューションだという。そのためにはこれ以上の経済発展を求めず、ワークシェアリングで失業率を下げ、格差を最小化する、そして財政健全化の努力を地道にする事こそが目指すべき道だと。アベノミクスに代表される施策はこうした日本が世界に先駆けて実践するポスト資本主義の社会へのチャレンジへの有利なポジションを台無しにする施策だと。

「そうか」と思う一方で、女性活躍、農業振興、観光立国などといわれている今後の日本の脱工業化社会への処方箋の実践、そのために必要な規制改革が重要であり、アベノミクスで言う「第三の矢」を本当に実行することなのではないかと思う。2014年10月に突然始まった異次元緩和第二弾は第一、第二と来た矢がもう一度第一の矢に戻るだけ、というこここそが現在の大問題だと思うのだが、どうだろうか。その具体策実行がされるという前提がなければ、上記1-5の環境認識も評論家の理論、としか思えない。逆に言えば、こうした具体策が上記環境認識とともに説明いただければ、具体策の説得力が増し、国民はそういう主張を展開する組織体を応援できると思う。どの政党がそうした認識と具体策を提示できるのか、しっかり見て行きたいと思う。


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フェルメールへの招待 朝日新聞社 ****

2014年11月16日 | 本の読後感
フェルメールの全作品37点をすべて解説した本。

「真珠の耳飾りの少女」、ターバンの青色、アフガニスタン産のラピスラズリからフェルメールが自分で作り出した宝石のような輝きをもった絵の具は本当に宝石のように高価だったという。耳飾りの真珠は直径2cmもあり画家が大きくして描いたもので実物大ではないだろうと。モデルは使用人という映画があったがそれはその小説での話で長女のマーリアか家族の肖像画が残っていないので証拠はない。

43年の生涯で画家として活躍したのは20年ほど、22歳の時にデルフトの町で起こった火薬庫の大火災で初期の作品は消失してしまった。

37作品を並べて大きさを比べたページが有り興味ふかい。最大の作品は141X158cmの「マルタとマリアの家のキリスト」という残っている最初の作品。「小路」「兵士と笑う娘」「牛乳を注ぐ女」などは50cm以下で縦は牛乳パック2つ分の大きさ。「赤い帽子の女」「フルートを持つ女」などは縦が牛乳パック1つ以下の小ささ。

フェルメールの活躍した16世紀から17世紀にかけてはオランダがスペインから独立し東インド会社を設立、日本の平戸にオランダ商館を建てた頃。贋作の噂が多いのもフェルメールも特徴。有名な贋作者はメーヘレンという人物でナチスのゲーリングに贋作をフェルメール作品だと敵国であるドイツに売却した。裁判の時には本当に贋作を描けることを証明するためにその場で描いてみせたという。11点の贋作は今でも美術館などで見ることができる。

ホンモノを見ることができるのは17箇所。私も1990年台に行ったはずのロンドン・ナショナルギャラリーとワシントンDCのナショナルギャラリー、これはフェルメールの記憶が無い。一番覚えているのはメトロポリタン美術館、これにはアメリカ人のガイドがいてその説明を聞いたことをよく覚えている。”Vermeer”は英語では「ヴァーミアー」、なんだかわからず一緒にいた日本人に聞いたらフェルメールだと。英語にはよくある話で、Van Gochは「ヴァンゴー」、Michelangeloは「マイケランジェロ」、Degasは「ディガース」、Gauguinは「ゴガン」など。その他の美術館ではルーブル、そしてアムステルダム国立美術館にも行ったがその後に行ったVan Goch美術館に気を取られていてよく覚えていないのは情けない。結局、2-3年前に日本に来て東京都美術館で何点かをまとめて展示してくれた時に見られたので良かった。

一生の間に残り何点見られるか。


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疫神 川崎草志 ***

2014年11月14日 | 本の読後感
物語の始まりは大いにその後の面白そうな大展開を期待させる書き出しだった。長野県の山間にある街に暮らす幼稚園児桂也には「良いものは青色、悪いものは赤色」に見える力があった。本人にも周りにもその力が何なのかは認識もされていないし理解もないが、桂也は赤いものにはできるだけ近づかず、青いものに囲まれて毎日を過ごそうと必死だった。赤いものは体に悪い物だという桂也の直感は物語の後半で大いに活かされる。

もう一人の登場人物はCDC(アメリカ防疫センター)からアフリカに派遣されケニアでの謎の疫病封じ込め作戦に参加しているエミリー・ディッキンソン、ケニアでは僻地の炭鉱労働者30名がオレンジカビに侵され全員が死亡するという惨事が発生していた。それ以上の被害拡大を防止し、オレンジカビの正体を探ることがCDCからのミッションだった。死んだ労働者のひとりが死ぬ間際につぶやいた言葉に「ムカイが来た」という謎のフレーズがあった。ムカイとは何かが分からないエミリー、そのエミリーに日本の学者で向井という男からオレンジカビの論文が送られてきた。エミリーは一度学会で向井に会ったことがあった。エミリーは日本に住む昔の友人であった隆志を頼って向井を探し出すために日本に向かったが、向井は勤務先の大学を数カ月前に退職、どこに行ったのかは誰もしらないのだった。友人の誰に聞いても向井の印象は薄く「普通の人だった」という言葉ばかり、エミリーはそうした友人たちの言葉に疑問を持った。

そしてもう一人の登場人物、二海士郎、高校時代から「あの人」に出会うと無性に殺してしまいたくなるという謎の性質に悩んでいた。「あの人」はどういう人なのかがわからない、老若男女あらゆる可能性があるようで、電車の中でたまたま「あの人」が乗り合わせるとその人間を殺したくなるので、出歩くことをできるだけ控えるようになった。通っていた高校に「あの人」が転校してきた時にはその人が高校を去るまで休学した。復学した時に自分と同じ期間休学していた女生徒の存在を知る。それが現在の妻美砂であり、二人には「あーちゃん」というあかちゃんが生まれた。二人はできるだけ外出をしないようにひっそりと暮らしていたが、美砂の高校時代の友人から会いたいという呼び出しがあり会ってみると友人が連れてきたもう一人が「あの人」、美砂はその友人の友達を殺害してしまう。二海夫婦は赤ちゃんを連れて逃亡生活を送るようになる。逃亡の末、追い詰められて赤ちゃんのあーちゃんを恩師に預け、二海夫婦は自殺する。

エミリーは日本に来て隆志と一緒の向井の手がかりを探す。僅かな手がかりから向井が鹿児島にいることを察知、鹿児島で向井を見つけるが、その途端に米国と日本の防疫機関と自衛隊員に拘束されてしまう。実はCDCも向井を追っており、エミリーの動きはすべてCDCに捕捉されていた。そして向井のオレンジカビを使った人類の大量殺害の企みはぎりぎりのタイミングで阻むことができたかに見えた。しかし向井はもう一箇所、オレンジカビの散布の仕掛けを施していた。それを偶然発見したのは長野県にいた幼稚園児桂也、町の中に「赤いもの」が増えてきたことを感じ取った桂也は赤いものがどこから来るのかを突き止め、そのありかを近所の病院だと特定、オレンジカビが入ったシャーレを見つける。桂也と一緒に行動していた認知症を患っていた桂也の曾祖母は、自分の命と引き換えにかわいい桂也を助けようと、シャーレに保管されていたオレンジカビを飲み込み命を断つ。

物語はこれでおしまい。死んだ二海夫婦の果たすべき役割は何だったのか、あーちゃんはどうなるのか、読者にはわからない。エミリーには同姓同名の詩人がいたという設定なのだが、それ以上の深堀りはない。桂也はその後どうなるのか、読者は知りたいがなんの説明もない。尻切れトンボなのである。物語の設定はとても良く出来ていて、大いに期待させてもらったその話が途中から急展開、時間切れで終わってしまったような感じ。続編を書くつもりだったのか、もう面倒になったのか、川崎さん、どうしてくれる。


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<日本國>から来た日本人 西牟田靖 ***

2014年11月11日 | 本の読後感
戦後生まれで戦争経験がない筆者が、敗戦後日本国外から引き上げてきた人たちの中で、特に朝鮮半島の鎮海に住んでいた人たちに聴きとり調査を行った。戦前朝鮮半島に生まれたり日本から移住したりして旧日本國の占領地で敗戦を迎えた日本人達がたどった「帰国」、それは敗戦時にどこにいたかにより運不運が大きくその人達のその後の帰国と生活にまで影響を及ぼしたことがその聞き取り調査から分かった。

本の前半部分はそれぞれ異なる事情や理由で日本から移民してきた状況を解説、その時代背景や歴史の流れをたどる。この部分は他の本でもよく書かれている記述。しかし、本書のハイライトは後半部分、聞き取りから判明した引揚者それぞれの大変な苦労と数少ないラッキーな人、そしてほとんどのアンラッキーな人から聞き出した壮絶とも言える帰国の状況である。

聞き取りをした人たちの共通項は鎮海の小学校に通った同級生たち。しかし、その人の職業や卒業後どこに住んでいたかにより、大きな運命の違いを小さな子どもたちが背負い込んだのである。朝鮮半島南部にいた人たちは敗戦後の引き上げは苦労はあったものの、1ヶ月から2-3ヶ月で帰国した人がほとんどだった。しかしその中でも海軍にコネがあるなしでもって帰ることができた荷物の量が大きく違った。荷物の多寡は違ってもこの人達の多くは生きて帰れたことはラッキーだった。

朝鮮半島の38度線より北にいた人、満州にいた人たちの苦労は段違いに大きかった。敗戦後時間がたって米国軍が占領軍として日本に駐留、国境警備にも目配りができるようになると不法な帰国者を排除するため、日本近海には機雷が仕掛けられるようになり、九州上陸寸前で機雷に引っかかり沈没する帰国船も多かったという。ソ連軍の支配地域からの帰国では、多くの日本人帰国者達がソ連の兵隊たちの略奪や強姦にあった。極東に配備されてきたソ連軍兵士の多くは犯罪者やならず者が多かったためではないかと帰国者たちは口をそろえて言う。満州から朝鮮半島を通る鉄道を運営するのは中国人や朝鮮人、そして警備を担当するのがソ連軍であった。中国人たちはソ連軍兵たちが日本人帰国列車通るたびにチェックのための停車を命じるのに喜んで応じた。日本人たちからソ連軍兵たちが巻き上げる貴重品のおすそ分けに預かれるからである。日本人たちの中にも悲しい分裂が起きる。ソ連軍達が列車に停車命令を出し、チェックを始めると「誰かいないのか、進んで申し出てくれる人は、彼らは女を差し出せば満足するんだ、芸者や玄人筋の人はみんなのために犠牲になってくれないか」などと大きな声で叫ぶ声が聞こえたという。自分は無事で生き残りたい、人は犠牲になっても仕方がない、という考え方が全面に出てきてしまう日本人の帰国者たちの中で、切羽詰まった時の人間のさもしさを感じたという。

列車に乗ると略奪されたり殺されたりするという噂が立ち、健康な大人は歩いて満州から数百キロを南下し、38度線を越えようとした。それも食料も水も不十分、ソ連兵に見つかったりすると殺される、中国人や朝鮮人たちは日本人とわかれば大声で騒ぐ。体が弱った人や子どもたちは病気などで衰弱して多くが途中で死んでいった。正式な統計はないが650万人はいたという引揚者、1-2割は途中で死んでしまった人、置き去りにされた老人、子どもたちがいたのではないかという。

戦争は二度としてはならない、という言葉は多くの戦争経験者が口にする。戦後生まれの筆者もそのとおりだと思っているが、戦争はダメだ、という言葉の重みをあらためて感じる。人が人を殺すのが戦争、殺されるのが嫌だからということで、他人を犠牲にしてでも自分は助かろうとする人がいるのも戦争。国のため、という掛け声で、他国の土地に出て行ったり、そこに住む人達を殺すのが戦争。人の命よりも大切なことがたくさん出てくるのが戦争。「国のため」、「国家を守る」などという言葉が出始めたら政治に警戒を怠ってはならない、というのが教訓ではないか。


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日本の祭り ****

2014年11月09日 | 本の読後感
神保町の「古本祭」で入手した本。

日本には北から南の端々までそれぞれのローカルなお祭りがある。それも1月から12月まで、つまり一年中、日本の何処かではお祭りが楽しめる国だということ。よく見に行っている、もしくはちょっと興味があって見てみたい祭りを書き出してみる。

1月、お正月には初詣や成人式、世田谷のボロ市と思っていたら、岩手ちゃぐちゃぐ馬っこ初詣、福岡筥崎宮の玉取祭、大分宇佐の鷹栖観音鬼会、新潟十日町のムコ投げ墨塗り。
2月、京都八坂神社節分祭、秋田なまはげ祭り、高知仁淀川町秋葉まつり、徳島ビッグひな祭り、滋賀野洲の火渡り神事、山形鶴岡の金峯山雪灯篭まつり。
3月、新潟村上の町屋の人形さま巡り、広島大竹のひな流し、新潟長岡のほだれ祭、焼津の藤守の田遊び、福岡朝倉の泥うち祭り、長崎雲仙の観桜火宴。
4月、千葉香取御田植え祭、京都やすらい祭、岐阜の高山祭り、京都の松尾大社神幸祭、宮城加美初午祭り火伏せの虎舞、長野東御の祢津東町歌舞伎公演。
5月、岐阜垂井の山祭り、津和野の乙女峠祭り、奥州市の江刺甚句まつり、浜松まつり、神田明神祭、葵祭り、酒田祭、日光東照宮春季例大祭、三社祭など祭り多し。
6月、山形朝日町の空気祭り、高崎のどろんこ祭り、大潟のかっぱ祭り、諏訪の御田植祭、広島の北広島での壬生の花田植、鹿児島日吉のせっぺとぺ。
7月、博多と京都、全国各地でそれぞれ祇園祭、佐原の大祭、和歌山那智の火祭、群馬藤岡の鬼石夏まつり、大阪天神祭、御代田龍神祭り、新座の大和田氷川神社夏祭り。
8月、弘前ねぷた祭り、青森ねぶた祭、秋田竿燈まつり、山形花笠まつり、仙台七夕まつり、奈良東大寺の万燈会、深川八幡祭り、那覇のエイサーまつり。
9月、富山おわら風の盆、熊本山都町八朔祭り、角館のお祭り、城端むぎや祭、岸和田だんじり祭、観音寺の萩まつり、波佐見町の鹿山神社奉納相撲、南砺市こきりこまつり。
10月、北野天満宮のずいき祭、長崎くんち、奈良生駒の往馬大社火祭、酒田どんしゃん祭り、豊田の挙母まつり、今治の菊間祭り、佐賀白髭神社の田楽。
11月、四万十の半家天満宮祭り、毛呂山の流鏑馬、下松市の稲穂祭り狐の嫁入り、善通寺空海祭り、沖縄竹富の種子取り祭り、鳴門市の葛城神社秋祭り。
12月、秩父夜祭り、串本のねんねこ祭り、京都の山科義士まつり、春日大社春日若宮おん祭、浅草羽子板市、桑名の伊勢大神楽、男鹿市のなまはげ行事。

本書に紹介されている写真は「よくぞとった、この瞬間」というものが多くて感心することしきり。カメラをもって日本のお祭を取る心がけの第一は「下調べと集中力」だそう。時間ができたら春夏秋冬北から南の日本中を回ってみたい。

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黒船前夜 渡辺京二 **+*

2014年11月01日 | 本の読後感
名著「逝きし世の面影」の筆者、渡辺京二の本書、期待して読んだがそれほどではなかった。というよりも、明治維新という画期的な価値観転換のあとの日本人論と明治維新前の日本人接触記録という違いが、霧が晴れたあとと晴れる前のモヤモヤ、という違いになっているということか。

1800年前後には樺太、アリューシャン列島、択捉、国後、北海道各地でロシア船とアイヌ、日本人たちとの接触が相次いでいた。なかでもロシアのラクスマン、レザーノフ、ゴローヴニンなどのロシア人、そして高田屋嘉兵衛や大黒屋光太夫などの日本人たちが相互の理解をしようと様々な努力をしたが、幕府の鎖国方針ですべてが阻まれる結果となった。

1778年には商人のラストチキンがナタリア号を派遣、隊長のシャバリンは根室半島に到達した。この時にはなんの反応も得られず、翌年再度ナタリア号隊長シャバリンを派遣、厚岸に来航、しかし、幕府から鎖国の通達を強く求められていた松前藩は通商拒否の姿勢を示す。当時の北海道は渡島半島あたりが松前藩の統治地域であり、のこりはアイヌが住んでいる、もしくは無人の地であり、樺太は島なのか半島なのか、つまりロシアと陸続きかどうかが世界地図でも明示できないでいるほどだった。また、アリューシャン列島でも択捉まではアイヌ居留地、ウルップあたりは中立、その北はロシア人居留地と認識されていた。

1792年にはロシア国の代表としてラクスマンらが、エカテリーナ号で根室港に来航、8ヶ月滞在した。大国ロシアの代表であり、幕府も対応せざるを得なかった。ロシアとしては日本との通商を求めることが中心で、この時、漂流民 の大黒屋光太夫たち3人を同伴、日本に送り届けている。この際長崎入港許可証の信牌をラクスマンは手に入れ、これを携えて長崎にさえ行けば日本との通商は開かれると確信してその時にはそのまま長崎には行かず帰国した。

その後、1804年に商人であったレザーノフがラクスマンの接触方法を真似て、漂着民を送り届けて通商を求めるため、長崎へ来航、信牌を持っていったため通商が開始できると思っていたのが、さんざん長崎で待たされた上に幕府からの通達で通商を断られてしまう。下手に出ると日本は言うことを聞かないと思ったのか、1807年に択捉や樺太の日本人居留地を攻撃させて、日露関係は緊張度を高めた末、ゴローヴニン事件がおきる。ゴローヴニン事件は、松前藩が1811年ロシア人のゴローヴニンを捕縛、人質にした事件。ロシアは1812年に再来日しロシアへの漂流民との交換を求めたが、日本は拒否、国後でたまたま入港しようとしていた観世丸の高田屋嘉兵衛を捕縛した事件が続く。これら一連の事件が解決するのはリコルドたちの努力による翌年のこと。

こうした中でロシア人は欧州人たちからの日本人評価を聞かされていた。「野蛮で嘘つき、役人は威張っていて、プライドが高いが脅せば言うことを聞く」。最初の接触ではそのような感触を持つロシア人もいたが、日本人の中にも徳が高い人物や西洋の文明に関心をもつ人物がいることも発見、特に高田屋嘉兵衛はロシア人にもその教養や人物が高く評価されたという。ゴローヴニンは日本に幽閉された間のことを「日本幽閉記」として記述、彼の在獄が日本人・ロシア人双方に成熟の機会を与えたことを物語っているが、このような日本人の成熟意識も、ゴローヴニンが送還されるさいに与えられた言葉「ふたたび来ることなかれ」の一言で元の木阿弥になってしまう。

ロシア人達はアイヌに対してもある種の賛嘆の念を抱いたという。「アイノ個人の特性は心の良さであり、親切である。彼らの容貌また手足の動静さえも何か内に素朴なる貴いものを包んでいるのを認めた」。クルーゼンシュテルンはアイヌのこうした真に稀有なる性質が、何らかの文化的洗練のせいではなく、「全く単に彼らの自然のままの性格の刻印である」と感じたというのである。家族の平和と和合、物欲の薄さは「アイノ人をもって予が今まで知ったすべての民族中最良のものであると考えるに至った」とまで表現している。藤村久和によればアイヌ人は衰亡したのではなく日本国民の顔をしながら今でも生き続けている、とのこと。こういう日本人の特質は西洋人からは高く評価されるものであるということ。

渡辺京二の著作ということで勝手にハードルを上げすぎたのかもしれない。星3つにしてもいいかな。


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