意思による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

魚影の群れ 吉村昭 ****

2013年05月30日 | 本の読後感
なんといってもすごいのは「海の鼠」、四国の西南にある小さな島に鼠の大群が押し寄せて、そこに暮らす人々の暮らしが一変した。イワシやアジなどの漁と段々畑でほそぼそと、しかし、しっかりと島に住み着いていた人々は、この島が住みやすく、離れたくなかった。その島に、海を越えて鼠の大群がやってきた。海を鼠が泳いで渡るなんていうことは学者でも信じてくれなかったが、それは本当におきた。3000人程度の島民は、鼠の大群になすすべがなかった。その数は50万びきから多い時には100万びきを超えた。人々は自治体に訴え、国の機関も大変な問題だと大学の先生やねずみ駆除の係官を送り込んだ。毒団子、ネズミ捕り器、イタチ、青大将、パチンコ式ネズミ捕り、とあらゆる方法によってネズミを採ろうと努力したが、鼠の繁殖力には全く効果がなかった。そしてアメリカで開発された劇薬が用いられ多くのネズミを退治できたのだが、それでも根絶は果たせなかった。結局、住民が島を出て行ったり、死んだりして半数以下になった時に、鼠の大群が再び島を泳いで出て行ったのは7年後のことであった。なんということ、人の知恵や努力は鼠の繁殖力の前には無力だったのである。フィクション風のストーリーにはなっているのだが、筆者の取材による事実の積み重ねの上に成り立つフィクション、強烈な印象である。

「蝸牛」はちょっとエロチックな香りもする、幻想的とも言えるお話。日本のカタツムリの固有種ではない、外来種は固有種の敵であり、とくにアフリカマイマイは大きくてグロテスク、こうした固有種が繁殖しては大変なのだが、この物語に出てくるのは紫色をした、食べてみるとクセになる、「後を引く」味の蝸牛、これを研究する男の物語。男の妻が「美味しい」と蝸牛を食べる様がなんともエロチックなのだ。

「鵜」は鵜飼いの頑固おやじのお話。鵜飼いには娘がいて、その娘には好きになった妻子持ちの男がいた。そのことに気がついた鵜飼いは激怒したが、なんとも仕様がない。鵜飼いには養子にしたい鵜飼いの弟子の若者がいたのだが、娘はこの若者には関心を示さない。娘になんとか言うことを聞かせたい鵜飼いは暴力に訴えるが、娘は好きになった男と出奔してしまう。鵜も力ずくではなつかないし言うことは聞かない。娘も鵜も同じだと悟るがもう手遅れであった。

「魚影の群れ」はマグロの一本釣りをする老漁師のお話。漁師には娘がいて、娘には好きになった男がいたが、その男は漁師ではなくサラリーマンだった。しかし、その男は娘と一緒になりたくて仕事をやめて漁師に弟子入りさせてほしとたのみこむ。漁師はサラリーマンが気に入らないが娘が好きになったのなら仕方がないと船に乗せてやるが、足でまといになって使えないやつだった。ある日、マグロの一本釣りの糸が男の頭にまとわりついて男が大怪我をするが、漁師は糸を切らずにマグロ漁を続ける。この話を聞いた娘は家を出て、男と一緒に暮らすようになる。男は船を買ってマグロ漁を始めるがなかなかマグロは釣れない。そうこするうちに、大マグロが釣り糸に掛かり、マグロを深追いして死んでしまう。漁師は、深く反省するがこれも手遅れ、頑固おやじにはろくな結末は待っていない、というお話。

ノンフィクションの吉村昭だと思っていたが、こうした物語仕立ての話も面白い、しかしこれも綿密な取材の上に成り立っていることに変わりはないのが吉村昭である。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

夏と花火と私の死体 乙一 ***

2013年05月27日 | 本の読後感
表題作ともう一つ、「優子」という二編がおさめられている。いずれも幻想ホラー小説、というジャンルかと思う。

表題作では、主人公はすぐ死んでしまう五月、小さい女の子で友達の弥生ちゃんに後ろから押されて木から落ちて死んでしまう。死んでしまうのに物語は五月の視点で五月の言葉で語られるのがユニーク。五月が弥生の兄の健くんが好きだ、といったことが小さい弥生に嫉妬の気持ちを生じさせて押してしまったのだ。小学6年生の健と3年生の弥生は死んでしまった五月ちゃんを隠すことを考える。小さな村のお祭り、近所の人たちと幼い兄妹のやり取りが物語を彩るオカズのようなものだが、読者は五月の死体を幼い二人が隠し通せるのかどうかが気になって仕方がない。

大人が死体を隠す、という小説はあるが、小さい兄妹が見つかりそうになりながら死体を隠す、それを死体自身が神のような視点から解説する、というサスペンス風ストーリーなのでユニークある。最後のオチはさらにホラー風、なかなかやるな、というお話である。

「優子」は人形と人間、結核患者と村人、ベラドンナという毒と妄想、行き倒れになった女性と子供、旧家とお手伝い、などが折り重なるように組み合わさって展開する。誰が夢を見ているのか、誰が現実を語っているのかが最後まで定かではない。これだけのネタがあればちょっとした長編ホラーになりそうである。解説者絶賛のサスペンス小説、作者16歳の時の作品、ちょっとびっくり。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

悼む人 天童荒太 ***

2013年05月26日 | 本の読後感
好き嫌いが分かれる作品かと思う。悼む人とは坂築静人、新聞や週刊誌、TVなどで死んだ人、殺された人などの報道があると、その場所に行って、亡くなった人の関係者に話を聞く。「誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されていたか」どんな人にも、善人ならずとも殺人犯でも必ずこの3つを見つけるという。『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』悪人正機説のような話なのだ。

悼む人の噂はWebなどで広がり、雑誌記者の蒔野の耳にも入る。蒔野は静人を取材しようとする。蒔野はフリーのライターで、きわどいストーリーを取材で裏付けを取り、読み手に強烈にアピールすすような記事に仕立てあげるというタイプであり、その筋では有名人、しかしあまりにあくどい取材もするというので最近では敬遠されることもある。静人を取材した蒔野は、あまりに惨たらしい殺人事件にも3つのポイントを見つけ出し、心の底から悼む静人の姿に偽善を感じるが、しかし本当かもしれないとある意味の感動を覚え、聞いた取材内容を美しい話に仕立てあげる。記事は評判をとるが蒔野にはなにか物足りない。

静人には家族がいた。ガンで療養している母の巡子、妹の美汐、コミュニケーション障害を持つ父の鷹彦である。明るい性格の巡子であったが、静人が「悼む人」になり全国を回っていることを知っていて、自分の寿命が切れる前に会いたいと思っている。この巡子本人の目から見た、ガンとの戦い、余命数ヶ月と宣告されてからの葛藤と、患者から見た命の末期がなんとも言えない本作品の読みどころである。

もう一人は奈義倖世、最初の結婚相手からDVを受け、かくまってもらった寺の長男の甲水朔也の尽力で離婚、朔也とは1年後に結婚、しかし倖世は朔也を殺してしまう。倖世は朔也を愛していたのになぜ殺してしまったのか、朔也からもDVを受けていたという倖世、4年の懲役判決を受けて刑務所で過ごしたあと、静人に出会う。倖世には死んだ朔也の人格が乗り移っていて、多重人格のような状態になっている。静人と出会った倖世は、静人について悼む旅に随行するようになる。静人の邪魔になってはいないかと考える倖世であったが、静人は知らない人たちに悼む3つのポイントを聞いて回るときに男女二人のほうが怪しまれないから良いと言う。そして、静人に朔也の存在を告げた倖世から、朔也を殺してしまった時の本当の経緯を聞き出す静人、それは倖世の口を借りて朔也が語った言葉であった。二人は愛しあうようになるが、倖世は敢えて別れようと言う。これがこの作品のもう一つの読みどころ。

愛されていると感じられない人、可愛がられてはいなかったのではないかと悩む子、本当は相手を愛してはいなかったのではないかと悩む人、こういう悩みを抱えながらそれでも生き続ける弱き人たちの代弁者であるような静人。全国を回る中で木像を作ったという円空、仏教の布教を禁じた時代に、禁を破り広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬されたという行基、疫病が蔓延していた京の街中を、念仏を唱えながら悪疫退散を祈りつつ歩いたという空也、そして全国に今でも言い伝えや井戸が残される空海、そしてなにより親鸞的である。こうした人達を思いこさせるような静人。宗教的な背景はないといっても、それは宗教的、『善人なおもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや』の世界観である。読む人(の心の状態、体の状態)によっては心のヒダの隅々まで沁み入るような作品ではないだろうか。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

一枚のハガキ 新藤兼人 ****

2013年05月23日 | 本の読後感
映画化されたので見た方もいると思うが、ストーリーは単純である。戦死してしまった戦友から託された一枚の手紙をその戦友の妻に届ける、そしてその女性と一緒になる、というもの。しかし、そこには物語がある。

物語とは何かといえば、人間性であろう。主人公の松山啓太、漁師であり、新妻の美江とは知人の紹介で結婚したばかり、妻を亡くした父と一緒に漁に出る毎日であるが、妻の美江が待っていると思うと漁に出てもやりがいがあった。そんな啓太にも召集令状が来た、昭和19年のことであった。召集されて行ったのは奈良の天理、各都道府県から集まる信者の宿泊施設を予科練の士官候補生のために清掃するという任務である。そこで知り合ったのが森川定造、彼にも故郷には帰りを待つ妻がいた。その名は友子。

知子から来たハガキには検閲を通るために次のような文面だった。「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、なんの風情もありません」森川にこのハガキを見せられた啓太は、夫を待つ妻の思いが詰まった文章だと感じた。100人いた天理での任務から南方に派遣される60名がくじ引きで選ばれ、森川は選ばれ、啓太は残ることになり、このハガキを受け取ったことを故郷に残る妻に、そのことを伝えて欲しいと頼まれたのが啓太だった。南方に派遣された60名は潜水艦に攻撃され戦死した。

残る40名のうち、さらに34名が戦地に赴き戦死した。つまり生き残ったのはくじ引きで残った6名、啓太はその一人だった。生き残ってしまったことを恥ずかしいと感じる啓太、戦争が終わって自宅に帰ると、待っているはずの妻と父は手に手を取って逃げたという。なんということか、茫然自失の啓太は4年にわたって叔父の世話になった。そして森川に依頼されたハガキを思い出したのだ。啓太は夢を持てない日本を捨てて新しい世界であるブラジルに行こうと考え、その前にハガキを届けようと思う。

ハガキの住所に行った啓太を迎えたのは一人で暮らす友子、啓太は森川との天理での兵隊生活と戦死したことを伝える。そしてここがこのお話のポイントなのだが、友子に想いを寄せる近所の吉五郎はどこの馬の骨ともしれない啓太に決闘を挑む。そして吉五郎を啓太は投げ飛ばすのだ。そして友子は啓太にブラジルに一緒に連れて行って欲しいと頼む。そして家に火を放つが、火を放った跡地には大きな青空が広がっていた。ブラジルに行かなくても新天地がここになるではないか。そうして二人はこの森川の家のあった場所で新しい生活を始めたのである。

啓太の誠実さ、正直さ、友子の雑草のような生活力と真面目さ、これは戦後の日本人の共通する特徴である、復興する日本の大きな活力のもとであった。1枚のハガキは、戦後日本の復興を支えた日本人の誠実と正直、真面目の象徴であった。映画の場面が思い浮かぶようなストーリーであり、新藤兼人監督の実体験とも思える印象的なお話である。
読書日記 ブログランキングへ
コメント

ウツボカズラの夢 乃南アサ ***

2013年05月22日 | 本の読後感
ウツボカズラというのは食虫植物の名前、壺のような器官の中には甘い香りがする液体が入っており、その匂いに惹きつけられて入ってくる昆虫を餌にする植物、主人公の斎藤未芙由のことらしい。

未芙由の長野の実家では、母親が病気で死んでしまい、父はすぐに若い女性と再婚、そして赤ちゃんも生まれるということになり、未芙由には居場所がなくなった。高校を卒業したばかりの未芙由は母のいとこという東京渋谷に住む鹿島田尚子を頼って上京してきた。尚子の家は渋谷にある閑静な住宅街にあり、テレビで見る渋谷とは全く異なる世界であった。

鹿島田家に着いた時に、玄関でチャイムを鳴らすと出てきたのは老女、それも大変な剣幕で「誰なのあなたは」と怒鳴られるような女性であった。それは尚子の義理の母であった。同じ家を上下に二つにしきって、二世代住宅になっていたのだ。出かけていた尚子は夜になって帰宅、初めて会う尚子は気さくな人だった。しかし、鹿島田家は変わった、というより家族がバラバラな家庭だった。尚子の夫は財団法人に勤めるサラリーマンのようだが、尚子とはあまりコミュニケーションを取らないようだった。外に別の女性がいるようなのだ。息子の隆平は大学生らいいが、あまり家には帰ってこないようで滅多に顔を合わせない。そして娘の美緒は高校1年生だが、生意気な小娘であった。しかし、未芙由にはもう帰る場所などないと感じて、この家に何とかして置いてもらおうと決心するのだった。

最初はおどおどしていた未芙由も、アルバイトをはじめ、東京の街に馴染み、バラバラの家族のそれぞれの性格を知ると、各人に取り入るすべを学んでいった。尚子の夫には「ダンナさん」と言って親しくなると、二人でドライブする仲になった。奈緒は高校1年生なのに妊娠していることを妊娠検査薬の袋がゴミの中にあるのを見つけることで知り、その袋が部屋に落ちているかのようにして、尚子が見つけるように仕向けたのだった。尚子は、夫とはもともと没交渉であり、美緒の妊娠のショックもあってか、若い男に気が向いてしまうのだった。そうこうするうちに、実は外で女性と同棲していたという隆平がその女性と分かれて家に帰るようになると、未芙由は隆平とも関係を持つようになる。未芙由が関係を持っていたダンナさんは都合の良いことに鹿児島転勤となり、尚子は若い男と一緒に暮らしたいと家を飛び出してしまう。さらには奈緒は留学すると言い出して、家には隆平と未芙由しか残らないことになった。

こうした時に同じ家に住んでいる美緒と隆平の祖母が倒れた。最初に邪険にされた未芙由だったが懸命に隆平の祖母の面倒を見た。祖母に、隆平のことが好きだと告白した未芙由のことを、龍平の祖母は不憫に感じて、可愛がるようになる。そして隆平と未芙由は結婚、この家を二人が相続することになる。それを決めたのは龍平の祖母、未芙由はついに東京での邸宅と夫を手に入れたのだった。未芙由が家族崩壊をさせたわけではないが、崩壊の触媒となったことは確か。なにも悪巧みなど考えないような未芙由が一番したたかな人間なのか。

ウツボカズラとは未芙由のことだと言ったが、この家自体がウツボカズラなのではないかと思う。未芙由は安定した暮らしを手に入れた、と考えたかもしれないが、介護が必要な老女と、バラバラになったとは言え、勝手気ままな家族まで背負い込むことになったのだから。形を変えたホラー小説、とも言えるストーリーだが、大逆転はない。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

殉国 吉村昭 ****

2013年05月21日 | 本の読後感
現在は那覇でタクシーの運転手をしている、という男性が実体験した太平洋戦争末期の沖縄戦での経験をドキュメンタリーとしてまとめたもの。男性の名前は比嘉真一、昭和20年5月、旧制中学3年生、15歳の愛国少年であった。ただ淡々と、しかし自分も国を守るためにできることをするんだ、という純粋な心が描かれる。

描写は生々しい。砲撃で飛び散る人間の肉の塊、傷口にわき出る蛆虫と、それをピンセットで挟みとる兵隊看護の女子学生、積み重なる死体、昼間はその山の下に隠れる真一。沖縄戦はただただ一方的な物量に任せて攻撃してくる米軍と、38式銃とそれもなくなり竹槍で戦うような日本軍。

解説者も書いているが、愛国心いっぱいの真一の目から見て語られる沖縄戦は、一方的に攻撃されながらも、いつかは反撃する、そして最後は日本軍が勝つ、と信じている希望のある戦争なのである。当時であればこのまま陸軍の教科書に載っていてもおかしくないような書きっぷりなのだが、今では立派に反戦的な内容になっている、これが不思議である。

戦争末期になり、中学生までもが兵隊として徴用することになり、中学生も3、4、5年生が徴用される場面が冒頭にあるのであるが、その時1、2年生は徴用されない自分たちが不甲斐なくて、悔しくて泣きじゃくるのだ。それも純粋な心で。洞窟から洞窟に逃げ回るようになって、ある洞窟に日本の兵隊たちが女子学生を4-5人、荒縄で手を縛って連れてきた。理由を聞くと、切込突撃をすると言って聞かないからだと。これも純粋な愛国心からである。愛国教育の恐ろしさ、ということだが、いわば狂気の世界である。

真一は摩文仁の丘に追い詰められたあと、最後の抵抗をしていると聞いた国頭に向けて歩き始め、昼間、死体のしたに隠れているところを米兵に捕まってしまう。最後までお国のために戦おうとしていたのである。

それにしても、メモもないのによく記憶していたものだと思う。よほど強烈な体験だっただからか、それを徹底的に聞き出した筆者の取材力か、筆の力か、いずれにしても、強烈なドキュメンタリーである。こんな15歳がいた事、いいこと悪いことに頭を巡らして、今の中高生にも読んで欲しい。当時の徹底した軍国教育が日本人、特に若者たちにいかに強烈な影響を与えたのかを感じ取れるのではないか。

当時の日本の雰囲気を感じ取りながら、ついでに慰安婦問題のことも考えてみて欲しい。軍隊による組織的な慰安婦制度の実施が人権問題なのであり、強制連行が政府や軍隊によって行われたかどうか、そんなテクニカルなことが問題なのかどうかを。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

「黄金のバンタム」を破った男 百田尚樹 *****

2013年05月19日 | 本の読後感
うーん、傑作のドキュメンタリーだと思う。筆の力があるボクシングが好きな人間が、戦後昭和の一時代を飾った日本人のボクサーの歴史を、読者に楽しんでもらおう、というサービス精神たっぷりに描くとこうなる。

白井義男の名前は知っているが、テレビでは生で見たことはない。しかし、ファイティング原田は同時代人としてみていた。当時のテレビ視聴率が集計されている。「黄金のバンタム」と呼ばれたジョフレを破った時、1965年5月18日が54.9%、同じ年、初防衛戦のラドキン戦があった11月30日がなんと60.4%、そして翌年1966年5月31日のジョフレのリターンマッチが最高の63.7%である。今であれば、紅白歌合戦であっても出ない視聴率だが、当時は紅白が75%もあった時代、ボクシング中継が毎日夜の8時からゴールデンタイムに放映されていた時代である。確かにこのころ、小学生だった私も見ていた。ビートルズ来日の時も一生懸命見ていたが、ディズニー/プロセスの番組が金曜日、それ以外はボクシングか野球かであった。

筆者は何度も書いているが、当時はボクシングの世界の階級は11しかなくて、ボクシングの団体もひとつしかいないので、そのチャンピオンベルト重みは今と比較にならないくらい重かった。原田がジョフレを破ってバンタム級チャンピオンになった時の世界チャンピオンは、フライ級がイタリアのブルニ、バンタムが原田、フェザー級が史上ナンバーワンと評価されているサルデュバル、ウエルター級のグリフィスは後にミドル級チャンピオンにもなった男、そしてヘビー級はモハメッド・アリである。ボクシング好きなら目もくらむようなメンバーである。

戦後、アメリカ人のカーン博士に育てられた白井義男、カーンが育てたもう一人のボクサー米倉健志、戦前のファイトボクサーであったピストン堀口を彷彿とさせるボクサーとして原田を育てた自らもボクサーだった笹崎、原田がフライ級にデビューした頃に三羽烏と言われた海老原博幸と青木勝利、その海老原を育て上げた金平、その協栄ジムで育ったチャンピオンたちには西条正三、具志堅用高、渡嘉敷勝男がいる。解説者として有名になったフライ級の矢尾板貞雄なども含め、本書に登場するのは戦後昭和を飾ったボクサーの歴史であり、テレビを見て興奮した「三丁目の夕日」のような戦後昭和史とも言える内容である。

昭和25-35年に生まれた男の子になら誰にでも薦めたい。平成生まれでも、女性でも、もっとシニアの方にでも薦めたいし、ボクシングに関心のない人でも読み進むうちにボクシングファンになりそうな、とびっきりのお薦めドキュメントである。ぜひ読んでみて欲しい。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

どこから行っても遠い町 川上弘美 ***

2013年05月14日 | 本の読後感
短編集なのだが登場人物がどこかでつながっている同じ町を描かれていて、「ゆるく渦を巻くかたつむりの殻」という最後の話が「小屋のある屋上」という最初の話につながっているようだ。街の住人のそれぞれが毎回主人公になり、この小さな街で起きている、というより起きてきたことが語られる。

面白いのは、オムニバス風になっているのだが、短編の一つ一つの時間軸が異なり、ある話は数週間の話であるのに、ある話は人の半生を語っている点。

魚春の主人は平蔵、なぜか一緒の家に暮らす源二、聞いてみると平蔵の死んだ奥さんが二人のつながりになっているという。どういう繋がりなんだろう、と物語に入り込んでいく。少年は父親と二人で暮らしているが、母親は少年が3歳の時に死んだからだ。父親は変わった男で、少年から見ても他の父とは違うようだ。少年は家事を担当するが、中学、高校と成長するにつて父親もとっかえひっかえ女性とつきあっている。そしてある日、新しい母になるという女性が来た。こういう話が延々と続くのだ。面白いといえば面白いし、メリハリがないとも言える。平凡な街の人たちが、実はその人生として抱えているお荷物を一つずつ見ていくというような、ちょっとしたプライベート生活ののぞき見的なオムニバスとも見える。どうしても男と女の話になる。それが面白いとも、平凡だとも思えるのだが、どうだろう。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

羆嵐 吉村昭 ***

2013年05月13日 | 本の読後感
大正時代、北海道開拓時代に天塩山脈の沢を入り込んだ開拓村に暮らしていたのは、開拓民の数家族、ある冬の日に、100貫目もあるヒグマが部落を襲った。2日に渡るヒグマの襲撃で村人の女性と子供たち6人が犠牲になった。身を守る銃を持っているのは数名、しかし実際にクマを、それも巨大なヒグマを撃った経験などない開拓民たちは、部落を上げて麓の村まで逃げ降りてきた。

しかし、麓の村でもヒグマを撃ったものなどいない。結局、警察に助けを呼ぶことになる。警察官、村人たち総勢200名からなる大勢で、ヒグマがおりてくる可能性の高い橋のたもとで待ち伏せる。ヒグマが来た時に銃を発射できたのはほんの一部、半分の銃からは玉さえ発射されなかった。

クマをやっつけようと、依頼した相手はアイヌ人でヒグマを200頭以上も撃ち殺したという60にもなる老人、普段は乱暴者で手に負えないと近づかない人間だったが、この場合には彼にしか頼ることができないと50円もの大金を区長がはたいて、銃を与え羆狩りに連れ出した。200名の村人たちは一緒に山に入るが、老狩人は同一行動を取らなかった。人間の匂いをヒグマは感じて討ち取れないというのである。

結局、200名の村人たちは何もできず、380Kgを超える巨大ヒグマを仕留めたのは老狩人であった。その老人でさえ、仕留めた時には顔面蒼白、ヒグマは恐ろしい動物だった。

実際に起きた羆による人間襲撃事件のドキュメンタリーであり、開拓民の暮らしや熊による人間襲撃の恐ろしさ、そのあとの開拓民や村人たちの恐怖の夜、そして羆狩りの恐怖の描写は迫真、さすがの吉村昭である。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

冬の陽炎 梁石日 ***

2013年05月12日 | 本の読後感
借金でクビが回らなくなり、妻子をおいて大阪から東京に逃げてきた男、タクシー運転手をしながらその日暮らしをしている。アパートに一人暮らし、夜勤明けにビールとつまみで夜遅く寝て昼ごろ、タクシー会社から電話で起こされる、そしていやいや出勤、そのために一番ボロの車しかあてがわれない、という情けない姿。男の名前は姜永吉、在日朝鮮人であるが、それは本書の主題ではない。ある日の夜、お客を乗せて郊外まで乗せて帰ろうとしたら、道に迷った。迷い込んだ道に止まっていたのは不審な車、覗いてみると女性が3人、ぐったりしている。周章てて生死を確かめてみると二人は死んでいるようだが、一人の息はあるようだ。警察に通報、事情を聞かれて明け方まで事情聴取で付き合わされる。警察からは発見者として、しかし容疑者としても疑われているようだった。3人は自殺サイトで知り合った女性同士で、生き残った一人は誰かに乱暴されていたというのだ。そんなことは知らないと姜、被害者は立花美奈子という女性だった。そんな時、姜のアパートに立花美津子という女性が訪れた、美奈子の姉だという、妹を助けてくれて感謝している、というお礼だった。

姜はタクシーの勤務明け、通うスナックが新宿にあった、新宿中央公園のそばの樹林、あまり流行らない店だったが、姜は常連だった。その店に来る宗方も常連の一人、宗方は金回りが良かったので、時々家まで来るまで送ってもらうこともあった。ある日、樹林のそばにあるダンスが踊れるクラブ「21世紀」に行ってみようということになり、宗方と姜は連れ立って行くと、店には美津子がホステスとして働いていた。偶然ということがあるものである、姜は美津子を誘い、美津子も姜の誘いに乗った。しかし美津子には別居中の夫がいたのだ。

ニュースで3人の自殺と、姜の顔が流れたため、大阪に残してきた妻から連絡があった、探していたと。姜はいつかはこんな日が来ると考えていたが、美津子のことが頭を離れなくなっていた。サラ金で20万円を借りて大阪の妻に送金して、持っていたロレックスの腕時計を質に入れて18万円を手に入れた姜は美津子を誘ったが、美津子は気まぐれだった。気があると思えば、全然電話もくれない、そして夫とも時々あっているようなのだ。生真面目で優柔不断な永吉は気がきではない、そんな永吉のアパートに美奈子が訪れてくる。なんと美津子と一緒に住んでいるのだが、美津子の夫が来て、一緒に寝るのでたまらないという。永吉は美奈子とも関係をもつ。

そしてサラ金からさらに30万円を借りる。ある日、タクシーの後部座席に忘れ物のボストンバッグがあり、宝石と白い粉、そして現金2300万円が入っていた。永吉は借金を返した後、美奈子に現金を預け、誰にも言わないようにと約束させる。しかし美奈子は美津子に言ってしまったらしく、美津子が夫とともに永吉を訪れる。欲の深い美津子は、宝石を香港で現金化できると持ちかける。疑う永吉だが、他に方法を思いつかず、誘いに乗って一緒に香港に向かう。香港では現金化するという話が小切手にするという話になっているが、永吉は疑わなかった。しかし、小切手は現金化できず、騙されたと知った永吉は香港の業者を調べるが、そんな業者はいないという。

そんな永吉のところにヤクザが訪れる、ボストンバッグをどうしたのかと。永吉はすべてを話す。ヤクザは美津子とその夫が現金をだまし取ったと考えて調べあげるとその通り、最後はヤクザも警察に御用になり、美津子は殺される。美奈子と永吉もヤクザに捕らえられて危機一髪だったが、警察に助けられ、永吉は懲役8ヶ月となる。大阪の妻子とこれからは地道に暮らしていけよと諭されるが、永吉はタクシーの勤務明けに再び「21世紀」の扉を開けるのだった。

主人公の永吉がだらしなくて、途中で読むのをやめたくなるようなストーリーである。樹林という店の名前は実際に京王プラザの喫茶店の名前にあったような気がする。「21世紀」という店は、名前に反して昭和の匂いがするような過去の遺物のようなのだが、永吉はそこが唯一の心の拠り所のようである。「21世紀」の扉を開けるのがラストなのは、いかにも皮肉がきいているのだが、いつまでも幸せな生活や落ち着いた暮らしには行き着かない「冬の陽炎」ではあまりに救いがない気がする。タクシードライバーの日常が迫真の描写であり、作者の経験がこれを書かせるのであろう。ちょっとバブルの香りがする、名作「血と骨」を思い起こす部分もある、梁石日らしさたっぷりのお話である。



読書日記 ブログランキングへ
コメント

ジョーカー・ゲーム 柳広司 ***

2013年05月08日 | 本の読後感
昭和12年秋に日本陸軍内に「D機関」と呼ばれるスパイ養成機関が設立された。設立の責任者は結城中佐、当時の日本陸軍には欠如していた「合理性」「効率性」を重視し、スパイの条件として殺さない、死なない、そして存在を露見させない、ということを養成したスパイの卵たちに叩き込んだ。

徹底した教育を受けたのは、当時の軍人養成学校であった幼年学校や士官学校卒業生ではなく、一般の大学で、特にスパイの特質を備えた人材たちであった。彼らは本名を名乗らず、学校時代からその存在を隠すことを教え込まれた。

活躍の場は、日本に駐在する外交官や記者を装ったスパイたちへの対応、海外駐在外交官たちと地元の諜報員たちとの情報戦、その舞台は日本からイギリスのロンドン、上海など様々であるが、共通するのは卒業生たちの徹底したスパイぶりである。

本当に、このような人材が日本陸軍に存在したのなら、太平洋戦争の戦況も違ったものになったのではないかと思うが、現実はそうではなかった。陸軍中野学校でも、徹底した天皇崇拝が貫かれ、合理性、効率性などは「陸軍精神」よりも優先度が低く置かれたはずである。ある意味では、ゆめ物語、舞台を太平洋戦争前の陸軍という場所に特別に設定した現代スパイ小説とも考えられる。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

影法師 百田尚樹 ****

2013年05月07日 | 本の読後感
「永遠のゼロ」を読み終わった時のことを思い出すような時代劇。あの零戦乗りのストーリーをある武士の少年の成長と出世物語に移し替えて、少年時代に契を交わした友人が、その時に語った夢は、海に面した潟を埋め立てて農地にしたいというもの、その夢を叶えたいという約束を一生かけて守り通したことを、功なり名を遂げた年回りになった時に気がつく。一人は藩の筆頭家老になり、幼き日の友人は浪人となりうらぶれて死んでしまったという。

その友人とは竹馬の友であった磯貝彦四郎、家は中士であり、上士ほどではないがそこそこの家格、もうひとりは勘一、武士の家ではあったが下士であり、暮らし向きは町人とも変わらない経済状況であった。勘一の父は上士から勘一を守るために命を落とした。それを見ていたのが彦四郎、力を落とすなと励まし、その後二人は剣道場に通い、藩校に通って交友を深めた。

あるとき藩主を前に上覧試合が行われたとき、勘一と彦四郎の腕前が藩主の目にとまった。それが後年、藩主に逆らった藩お雇いの用心棒を藩主の命令で打ち取りに行く役割を二人は負うことになる。そしてそれが二人の運命を表と裏に分かつことになった。勘一は二人を討ち取ったが、彦四郎は背中から袈裟懸けに切られたのだ。藩主は勘一を評価し、彦四郎は相手に背中を見せたとして卑怯と評価されたのだ。その結果、貫一は藩主の側用人に取り立てられ、彦四郎は職を失い、予定していた婚礼も取りやめになった。

その後貫一は、代官となり潟の干拓事業に成功して藩の家老にまで取り立てられる。その間、何度も命を落とす目にあうが、ギリギリのところで助っ人があり命を落とさずに済んだおかげもあって、藩に貢献する多くの仕事を成し遂げることができた。しかし筆頭家老となったある日、彦四郎が隣町に居ることを突き止めたのだが、よく調べてみるともう死亡しているとわかる。そして、今までの人生で度々命拾いした裏には、彦四郎が助けてくれていたことが分かる。彦四郎は、前途有望な勘一に功を譲り、自分は勘一の影武者になろうと心に決めていたのだ。しかしそれは人生のずっとあとにならなければ勘一は気がつくことがなかった。人生を歩み、運良く筆頭家老にまで出世できたと思ってはいたが、竹馬の友が影で支えてくれていたとは、それに気がつかない迂闊ものだった、なんということなのだと、涙を流す勘一だった。

抜群のストーリー作りとエンターテインメントを知り尽くした物語の展開、読むものを飽きさせず、物語の世界をうまーく理解させる語り口。今まで読んだ百田尚樹に同じような物語はないのが面白い。あえて同じような小説は書かないということ、次はなんだろうと興味がわく。


読書日記 ブログランキングへ
コメント

まほろ駅前多田便利軒 三浦しをん ****

2013年05月01日 | 本の読後感
直木賞受賞作品である。三浦しをんの文章は読みやすい。「風が強く吹いている」に続いて読んでみたのが本書。

まほろ市、とは変わった町の名前だが、東京都下、南西部にある最大の市、というから町田のことと思われる。JRとハコキュウこと箱根急行鉄道が交わる街。その駅前で頼まれれば法律の範囲内でなんでも承るという便利屋である「多田便利軒」を営むのが、バツイチの多田、そこに高校時代の同級生で、一言も口を聞いたことのない行天が現れる。商売をやっているのに”タダ”、突然現れてびっくりさせる”行天”、こういうネーミングがストーリーを予感させる。

依頼される仕事の内容は、小学生の塾への送り迎えや近所のお掃除だったり、恋人と分かれるための恋人役だったり、犬の飼い主探しだったりと、千差万別だが、それでも他人に頼りにされるということは必要とされることと多田は割り切っている。行天は高校時代に同級生が後ろから押したことで指を切断した。その時に叫んだ「痛!」、これが多田が聞いた唯一の行天の声だった、というほど喋らないやつだったのに、今現れた行天はよくしゃべるのだが、妙に一般人とはポイントがずれているようだ。

町の悪い奴らをやっつける訳ではないのだが、なぜか町の住民の役に立っている多田は住みつくようになった行天と一緒になって便利屋業をもくもくとこなす。実は、行天にも分かれた妻と子供がいるようなのだが、詳しくは話をしない行天。多田も分かれた妻がいた。そんな二人が共感するのが、親からあまり可愛がられていないような小学生や女子高生。多田は時々名言を吐く。「自分が愛されていない、としても、そのぶん人を愛することで取り戻すことができる、しかしやり直すことなどはできない」などと。

変わり者の行天と多田は一年ほども一緒に便利屋を営むが、その間、なぜか相手が自分の役に立っている、存在が必要だ、と感じるようになる、というお話。映画化もされて続編も出ているようだが、それはモットモ、娼婦のルルとハイシー、小学生の由良、曽根田のおばあさんなど、いくらでもお話を膨らませることができそうなほど、登場人物たちはユニークである。お話を作り出す力と、サラサラと流れる小川のような文章、続編を読んでみてもいい。




読書日記 ブログランキングへ
コメント