意思による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

日本農業への正しい絶望法 神門善久 ****

2012年11月23日 | 本の読後感
神門善久さん、渾身の書物、農家も農業評論家も、JAも政治家もマスコミも学者も、すべてを敵に回してもいい、と開き直った。

問題点の提示は明快、解決策は短期的にはもう手遅れだという。

主張は次の通り。
1. 農業にはマニュアル通りに営農すればいいというマニュアル依存型がいる。有機栽培を謳っていても自然の変化や土地の特性などを生かさずに言われたとおりに耕作をする名ばかりの有機栽培がある。まずは自然と土地の特性を知って土作りをすすめ、できるだけ化石エネルギーに依存しない農業をする。熟練の業で健康的に動植物を育てるのを「技能集約型農業」と呼び、これこそが日本の目指すべき農業スタイルであるとする。規模の拡大により機械化を勧め、農業効率化、企業化などを目指すのは農地の狭い日本では好ましくないとする。
2. 耕作技能を全国に発信する努力を怠らない事が重要。農業振興だけではなく、国民健康増進、国土環境保全が期待できる。
3. 現在の農業問題は3つに集約できる。一つは、農地利用の乱れ、2つ目は消費者の舌の劣化、三つ目は放射能汚染。
4. マスコミ、識者は耕作技能低下から目を背け、現状逃避的に日本農業の復活を美化するばかりであり、これでは本質的な農業問題は解決しない。

識者と言われている人の多くは農作業の実経験が乏しい。マスコミ受けする主張をすることでマスコミから次の声がかかるために、本質的問題指摘よりも視聴者ウケする主張を繰り返すことになる。農家は零細で貧乏だというイメージがあるが、土地があり兼業農家でもあれば食うには困らず税金も安いので都市のサラリーマンより生活レベルは高い、という。そこに農業補助金や関税減免、租税減免などがあるものだから、農業復活といっても、困っていない農家は現状の維持に務めることになる。また、経済効率向上を農業に持ち込むのは間違いだとも言う。取引相手を探すこと、取引に違法行為がないこと、決済も滞りがないことなどが経済効率発揮の前提となるが、それは農業には実現が難しい。

農作技能が衰退してしまった理由を次のように解説する。
1. 日本では明治以降、殖産興業と富国強兵のため、教育を充実、工業インフラを蓄積することで労働力の商品化を進めてきた。それでも第二次世界大戦までは、就農人口は1400万人を維持されてきた。しかし戦後は機械化が進められ、化学繊維の浸透は養蚕を衰退させ、食料輸入が進められると同時に工業発展のためにと農村からも労働力が調達された。
2. 政府により保護されるべき農地が、規制緩和や地方分権などの流れの中で農地利用の無秩序化が助長された。
3. 優良な農地ほど宅地や工業団地への転用需要が大きく、土地の所有者により転用の決定が可能なため、農地の虫食いが進んだ。農業は一人ではできない。村が一体となって農作をすすめる必要がある。耕作されない土地の放置や宅地化は優良な耕作者が残っていても、農業には障害となる。
4. 放射能汚染問題は耕作者のモチベーションを著しく低下させている。

TPP参加への是非の議論のなかで、農業保護と関税撤廃の議論がされているが、筆者から見ればすべてが上滑りの議論であるという。農業には国際分業が必要だという主張がウルグアイ・ラウンドの時にはあったはずなのに、現在のTPP議論にはそれがなくなっている。農産物自由化反対は農家からの得票を見込めるだけではなくて、農業賛美、日本農業復活などというノスタルジーをもつ都会住民の得票も見込むために多くの議員たちがTPP反対を叫んでいるというのである。

最後に、手遅れだと言いながらも筆者が主張する施策案である。
1. 農地情報の徹底開示、つまりずるをして農地課税でありながら工場に転用する、などということがやりにくくなる。
2. 人から農地への転換、つまり農家となる人、を語るのではなく永続する土地、農業にふさわしい耕地に目を向けるべき
3. 消費者の舌の能力向上のためには、自らが農作、農業経験をして本当の作物の良さをしることが必要。

神門善久さん、1998年ころにアメリカの大学でご一緒したことがある。優しい人であったので、本書の強烈な主張とはイメージが合わないが、軽薄な農業賛美や上っ面のTPP議論などに「業を煮やした」のではないだろうか。



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老いと死は遺伝子のたくらみ 日高敏隆 ***

2012年11月23日 | 本の読後感
竹内久美子の師匠、言っていることの根本は同じ、語り口はずっと上品である。

生き物は遺伝子の乗り物であり、遺伝子は自分のコピーを増やしたい、というドーキンスの説を補強する。生き物は遺伝子が与えてくれたプログラムにそって生きる。プログラムは「一太郎」のようなものであり、そこで作成される書物は書き手が創作するもの、しかし一太郎のもつ機能以上の書物を書くことはできない、というレトリック。

家畜は食物と安全を与えられ、ペットとなれば食肉となることもなく長く生きられる。未開時代の人類は集団で生活、食べ物を得る担当者や子育てをする担当にわかれていたと考えられている。集団生活は個別に生きるのに比べれば、食物と安全を手に入れることが容易になる。これをデズモンド・モリスは「人類の家畜化」と表現した。そのことで平均寿命が伸び、親が子育てをする期間が長期化、親の知識や智恵を子供に伝える可能性が高まったことが人類の発展を支えたというのである。「おばあちゃん仮説」につながるような話だ。

遺伝子は自己のコピーを増やす際に「性」を発明した。多様性維持により感染症や病気により全滅してしまわないようにするためである。また、細胞の死を繰り返し、細胞が形成するいきもの自身も寿命を迎えて死ぬ、これも遺伝子多様性維持のため。種族維持というよりも遺伝子コピーの保持。つまり生物が死ぬのは遺伝子のコピーを出来るだけ増やしながら死滅してしまうことが内容するための工夫である。

猿が芋を海水で洗うことを覚えた。このように遺伝子のコピーとは異なり、種族の智恵として受け継がれていくことをドーキンスは「ミーム」と言った。ミームは知識と経験であり、母の場合には「子供に伝えたい生活の智恵」、功成り名を遂げた男にとっては「名誉」などという場合もあるであろう。

2009年になくなった日高敏隆先生、本書は2012年8月に発刊されたもの、日本に多くの弟子とミームを残した学者であった。



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コールド・ファイア(上・下) D.R.クーンツ ***

2012年11月18日 | 本の読後感
宮部みゆき推奨のクーンツ、宮部みゆきには「クロス・ファイア」という作品があるが、この「コールド・ファイア」」からヒントを得ているのだろうか。宮部による下巻の解説だけでも20Pもあるのだが、クーンツとスティーブン・キングとを比較して納得の大団円を迎えるクーンツに少しの苦言を呈しながらもそれでもクーンツが好きだという。本作品も納得の結末であるのだが。

ジム・アイアンハートは、事故や殺人を事前に察知することができる。しかしそれは突然のヒラメキによってもたらされるため、自分でもどこに向かうのかがわからないまま飛行機に乗ることもある。場所もカリフォルニアに住むジムにとってはすぐには到着できないアメリアの東海岸やドイツや日本にも行ったことがあるという。あるときは暴走する自動車にはねられそうになる少年を間一髪で救い、あるときは道路で強盗にあって父親が殺されてしまった母と少女を救う。新聞記者の若き女性ホリー・ソーンはジムが突然現れて人を助ける場面に出くわす。そしてその透き通るような青い眼に引き込まれてしまい忘れられなくなる。そしてジムがいたるところで人を救っていることに気がつく。

そこで、あるとき、飛行機に乗り込もうとするジムに気がつかれないように同じ便に乗るが、ジムはホリーに気がついて、自分のそばに席を変えるように促す。理由はその飛行機はまもなく墜落して、ジムの周りの座席に座る客しか助からないから、と明かす。そんな馬鹿な、と思いながらも、そこまでわかるのならこの飛行機のそのほかの乗客を救うべきだと主張する。ジムは操縦士にエンジンの不調を伝えるが、その直後に飛行機は墜落する。ジムから危険回避の方法を告げられていた操縦士はその操作によりジムの予想より少ない被害で事故を処理する。

ホリーは自宅に帰ってからジムの住むカリフォルニアのLAを訪れる。そして、ジムと結ばれ、ジムが抱える過去の事件と彼が持つ能力、そして彼の周りで起きる怪現象に立ち向かおうとする。ジムが小さい頃の時間を過ごしたスベンホーに二人で向かう。場所はLAから車で北にIS5、そしてサンタバーバラからソルバンに向かう。(ソルバングだと思っていた。デンマーク風の家並みが美しい街でSolvangである。一度家族旅行をしたことがある場所であるため身近に感じる)

スベンホーにはジムの祖父母が暮らした風車のある農家があった。そう、その風車がホリーの夢にも出てきたのだ。そこで出会ったのは過去のジムの両親が出会った悲劇、そこにジムもいたのだ。そしてその時のトラウマがジムにもたらしたのは、心の中に住む「友」、その友は二人の目の前に現れた。「友」は今までのジムの救助劇すべてを知っていた。「友」とは何者なのか。「友」の謎を解いて、ジムを助けたい、ホリーはジムを愛していた。「友」は「敵」もいるといい、「夢が扉だ」と謎の言葉を残す。ジムをホリーは救えるのか、救うのに必要なのは何なのか。宮部みゆきがクーンツが好きだという理由を知りたい人は読んでみよう。



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デセプション・ポイント(上・下) ダン・ブラウン ****

2012年11月11日 | 本の読後感
文句なしに楽しめる小説でありサスペンス、スパイ、SF、冒険など全てのエンターテインメント要素が詰め込められていると言っていい。

主人公は二人の魅力的な若い女性、大統領候補で上院議員であるセジウィック・セクストンの娘、レイチェルはNRO(国家偵察局)に務めるので、選挙戦では敵対する大統領の部下になる。もう一人はガブリエール・アッシュ、黒人でセクストンの秘書を務める。現職の大統領はザック・ハーニーはNASAが発見したという北極の氷に閉じ込められた隕石とそこに化石として見つかった1億9千万年前と推定される古代大きな昆虫について記者会見で発表しようとしている。

NASAは月への着陸以降はスペースシャトルでの事故や惑星探検で膨大な予算を消費する割には国民生活に貢献していないとの批判に晒されている。それ攻撃材料にするのがをセクストンで、NASAは直接のメリットは分かりにくくても人類の発展に寄与しているので予算確保は必要だというザック・ハーニー大統領、世紀の大発見をNASAの地上スキャナー衛星が発見したという記者発表をどのようにドラマチックに演出しようかと大統領選挙を意識して考えた。そこで、テレビの科学ドキュメンタリーのコメンテーターで有名な海洋学者のマイケル・トーランドにドキュメンタリータッチでフィルム制作を依頼、そして大統領スタッフへの説明を大統領選挙で相手方の娘になるレイチェルにさせることで信頼性を高めようとした。

状況説明もないまま北極まで連れてこられたレイチェルが目にしたのは大掛かりなテントとその下には数多くの職員が働く氷の下600mから隕石を掘り出す発掘現場であった。そして隕石からは地球には居そうにない巨大な昆虫、1億9千万年前のものと分析され、氷にしたに長いあいだ閉じ込められていたため地球上ではない宇宙から到来したというのが科学者たちの見立てであった。レイチェルは大統領スタッフに向けた説明を実施、トーランドのビデオとともに大統領の思惑はうまくいったかに見えた。しかし不思議なことがあった。完全な閉空間のはずの隕石穴に微生物が微量に存在するというのである。レイチェルたちは事の真偽を確かめるためにテントの外に出る。外からはっ掘穴を見ると、隕石の下にさらに穴があり、氷の下から隕石が挿入されたことがハッキリわかる。そこに3人の暗殺者が攻撃してくる。逃げるレイチェルとマイケル、もうひとりの科学者コーキー・マーリンソンとともに猛吹雪の中を逃げるが、地質学者のノーラ・マンゴアは殺害されてしまう。3人を追いかける暗殺者だが、北極海に氷ごと落ちてしまうレイチェルたち3人、北極海に落ちだら助からないと暗殺者たちは引き返す。

氷の上に残されたレイチェルは僅かな望みを持って金属製の棒でSOS信号を発する。それをキャッチしたのは米国潜水艦、3人は救助される。レイチェルから連絡を受けたのはNROの上司ピッカリング、すぐに救助のジェットを飛ばす。ジェットの中で問題の整理をする3人だが、一体だれが何のために隕石の捏造、それもこんなに大掛かりなことをするのか。大統領のスタッフはNASAの大発見を捏造してまでNASAの必要性を訴えたかったのか、大統領までグルなのか、大統領選挙をNASAの膨大な予算消費で切り込むことで優勢に進めていたセクストンはNASAの記者会見を見て、絶望するが、それが捏造だと知れば一気に逆転を狙える。

ホワイトハウスの謀略か上院議員のセクストンは捏造を暴く記者会見を設定するが果たしてうまくいくのか。科学、政治、冒険ドラマなど全ての美味しい味が埋め込まれた満漢全席のようなお料理である、食べない手はない。



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鼎と槐多 わが生命の焔信濃の天にとどけ 窪田誠一郎 ***

2012年11月11日 | 本の読後感
テレビでも紹介された出征した美術学生による遺稿を展示した「無言館」の館長が、信州上田で「信濃デッサン館」を開設、おおくの作品を展示されている山本鼎、とその従兄弟で22歳で夭逝した若き画家、村山槐多の生涯と作品、その残した言葉を紹介した本。筆者は上田の生まれではなく、鼎も槐多も上田出身ではないが、その3人が上田に住み着いた理由も語る。

鼎は1882年、愛知県岡崎で生まれた。父親で医者だった一郎は上京して森鴎外の父静男が経営していた病院に書生として住み込む。鼎の母タケのタマも同じ病院で女中として働いており、その子どもが生まれるとき、森鴎外がその子に「槐多」という名前をつけたという。そして山本一郎はその後、信州大屋に漢方の病院を開院、無医村だった大屋に病院を建てて欲しいとの要請があったという。

鼎は絵の勉強がしたいとパリに留学、その後モスクワを経由して日本に帰ってくる。パリで学んだ版画を広めると同時に、そして自由画運動、農民画運動、農民美術運動をはじめる。

一方、槐多は京都に育つ。14歳違いでパリにいた鼎のススメで信州上田に旅にやってきた槐多は信州の山、谷、川に感動、京都のちまちました街からの脱出を考え始める。槐多の絵はストレートで直情的、尿をする僧侶、おっぱいをやる母親、その恋もストレートだった。京都では京都府立一中に通っていた槐多、そこでは少年愛、同級生の男子に恋をする。そしてモデルになってくれた女性にはどんな年齢であっても恋をする。画家とはそういうものであろうか。ルノワールも、モデルになってくれたリーズやアリーヌ、そしてシュザンヌに恋をした。恋をした女性をモデルにしたという方が正しいのかもしれない。そしてアリーヌを妻にしたのだから。しかし槐多はあまりにも若くして結核で死んだ。

2005年時点で64歳の筆者の槐多、そして鼎への想いと熱情は今でもほとばしるようだ。小磯良平もその作品を見るために何度も書いたの絵を見るために美術館に通ったという。漫画家のやなせたかしも大きな影響を受けたという槐多。別所温泉や北向観音の近くにあるという信濃デッサン館には一度行ってみようと思う。



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グリーン・マイル スティーブン・キング(1~6巻) ****

2012年11月04日 | 本の読後感
1997年に発刊された6分冊、一気に読んだ。

ジョージア州の老人ホームで余生を送る、ポール・エッジコムが、生涯で忘れられない出来事、死刑囚を送る監房コールドマウンテンでの1932年の出来事を、ポールは看守主任であった時の物語として書いている。いったい、この物語を書くポールは何歳なのであろう。死刑囚の中心人物は幼い双子の少女を殺害したとされるジョン・コーフィ。その他の死刑囚にはウイリアム・ウォートン、ドラクロア、ドラクロアが飼っていたというネズミのミスター・ジングルスがいた。ポールの妻はジャニス、コールドマウンテンの刑務所長はムーアズ、その妻はメリンダ。

コールドマウンテンでは死刑は電気椅子で行われていた。電気椅子の部屋に通じる通路が通称「グリーン・マイル」。ジョン・コーフィは2mもあろうかという大男の黒人であるが、うまく話ができない。しかし、不思議な力を持っていた。尿道炎で苦しんでいたポールが、ジョン・コーフィに良くしてやると、ジョン・コーフィはポールの股間に手をかざし、尿道炎をあっという間に直してしまった。びっくりするポール、にわかには信じられない。ミスタージングルスは糸車を回すという、それを仕込んだのはドラクロア。看守で性悪なパーシーは、スキを見てはミスタージングルスを殺してやろうと試みるがそうは行かない。ある日、糸車を回す芸をしていたミスタージングルス、パーシーはスキを見て踏みつぶしてしまう。虫の息のミスタージングルスを手のひらに乗せたジョン・コーフィ、なんとミスタージングルスは生き返ったのだ。それを見ていたのはドラクロアと看守の3名、そしてポールだった。

自分の尿道炎を直し、ミスタージングルスを生き返らせたのはジョン・コーフィだと確信するポール。そんな時、所長の妻メリンダが老人性アルツハイマー病とも思える症状になる。ポールは世話になった所長とその妻になんとか恩返しがしたい。その心を読み取ったジョン・コーフィ。そして3人の看守達とともに、見つかったらタダでは済まない死刑囚の連れ出し、そして所長宅への訪問を決意する。深夜の決死行、はたしてメリンダのアルツハイマー病は瞬時に治癒する。その時、メリンダの病の元を、息とともに吸い込んだと見えるジョン・コーフィであった。咳き込んで止まらない。そのまま連れ帰るポール達。口止めのため、性悪パーシーは独房に閉じ込めておいたが、ポール達が帰ってくると案の定毒づくパーシー。そのパーシーの口の中にジョン・コーフィはメリダから吸い取ったと思われる毒の息を吹き込んだ。パーシーは気が触れたようになり、もう一人の死刑囚ウイリアム・ウォートンを殺害してしまう。そしてパーシーは口もきけない痴呆状態になる。なんとジョン・コーフィが着せられた罪を犯した真犯人はウイリアム・ウォートンであったのだ。ジョン・コーフィはそれを知ってか知らずか、すべての問題を一気に片付けてしまった。

ポールはジョン・コーフィをグリーン・マイルに送り出す時に手を握られる。じっと広がる妙な感覚、それ以降、ポールはあらゆる病気に罹らなくなった。そしてこの物語として書いているポールは何歳なのであろう。1932年には看守主任であるので、40歳前後とすると、60年経っているとすれば100歳を超えている。

6分冊形式のこの物語、アメリカでは珍しいというが、日本ではよくある話、しかし、毎月発刊されたというこの本、各巻の最後と冒頭は微妙にずれて重なっていて、今のテレビの番組のようである。読み手を焦らすような、弄ぶようなスティーブン・キング、読み応えがあり、一気に読めてしまう、ジンと記憶に残るような物語である。



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天武と持統 李寧煕 *****

2012年11月04日 | 本の読後感
1990年に書かれた本であるが、ある意味ちょっとショックである。万葉集が書かれたのは1200年もの昔、それも4-8世紀にわたって書かれたため、初期と後期では書き方が大きく異なるという。そのすべてを日本語の万葉仮名読みで無理やり日本語として読むには無理があり、古代韓国語を表す吏読(イドゥ)で読むと分かる場合があるというのが筆者の主張。当時の日本は朝鮮半島との人の行き来が頻繁であり、朝鮮半島の古代国家である、百済、高句麗、新羅、伽ヤと濃密に歴史が絡み合っていた。万葉集は文学であり、歴史書であるという。

古事記、日本書紀と万葉集をあわせて読み解くと、40代目の天武天皇の記述は二代目の綏靖天皇と14代目の仲哀天皇、そしてその皇后である神宮皇后の記述に重ねられるという。この場合には持統天皇は神宮皇后にあたり、神功皇后の幼名は持統天皇の出身を表す言葉とつながる。そして神功皇后は卑弥呼と持統天皇をダブらせた存在であり、武内宿禰は高市皇子とダブらせていると推測。本書は天武と持統の時代、壬申の乱前後に焦点を当てて万葉集の歌を読み解くことにより歴史を解明していく。

天武天皇崩御にあたり、クーデターに批判的な歌。従来の読み下しでは次のようになる。
み吉野の、吉野の鮎。 鮎こそは島傍も良き。え苦しゑ。 水葱の下、芹の下。 吾は苦しゑ。
大意は次のとおりとされている。
み吉野の、その名も吉野の川に住む鮎、その鮎こそ、川の中州の清い瀬も結構だ。だけど、今の私は本当に苦しいね。水葱の根元、芹の根元の浅い水、私は本当に苦しいね。

これでは訳がわからない。これを韓国語で読む。すると、
水の吉野は、吉野は、鮎、鮎を刺そうと、島船集めた、ああ悪いことですよ。やり遂げるなんて駄目、自分のものにするなんて駄目、申し上げたい、それは悪いことですよ。
従来は同情的な歌、とされていたのが大海人皇子を批判しているという全く異なる解釈ができる。

水の吉野とは水のエライ人、と解釈、それは天武天皇、鮎とは川を登る、つまり吉野に逃れていた大海人皇子を指す。また、韓国語でアユはあえる、つまり混ぜるであり、日本語の「あえもの」は韓国語の「アブル」から来ていると。神功皇后は鮎釣りをしたという記述が日本書紀にあり、新羅征伐をしたとされる神宮皇后が韓国語で話していたと推測できるという。

額田王の歌。従来の読み下しは。
かからむと、かねて知りせば、大御船 泊まりて泊まりしに、標結はましを
大意は
こうなろうと 前から知っていたら 大君の舟が 泊まった港に 標縄を貼れば良かったのに

これを韓国語で読み下すと、次のように解釈できるという。
だしぬけです。やりなおせるならやり直したい。そうすれば父親殺しも止められましょうから、しめをめぐらさないで(葬儀をしないで)ください。
天智天皇は息子の大友皇子を溺愛し、実力者であった大海人皇子の勢力を抑えこみわが子に皇位を譲ろうとして、それが壬申の乱の原因となった。この詩は額田王が亡き天武天皇に語りかけているという。韓国語で読めば読める内容が、日本語でなんとか読もうとするから無理がある、日本の古代歴史にとって朝鮮半島都の断絶は古代との断絶だ、と筆者は強く主張する。

もう一つのモガリの歌。従来の読み下し。
やすみしし わが大君の 大御舟 待つか恋ふらむ 志賀の唐崎
大意は
わが大君の お船を 待ち焦がれていよう 志賀の唐崎は
舎人吉年の作と言われる。
これを韓国語で読み解くと、次の通り。
八島(日本)は知っていますよ、若き大君らが、親御様を斬り、お迎えの者も続けて刺し、早々に行かれたのを、唐の手先であるのを。
恐ろしい歌であり、親殺し目撃のレポートであるという。

持統天皇の歌、従来の読み下しでは、
燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入るともいはずやも 智男雲
大意は次のとおりとされる。
燃えている火でも 取って包んで 袋に入れるというではないか 智男雲
この「智男雲」が読めないのである。これを韓国語で読むと、荒々しい神・王、と読めるという。つまり、大意は次の通り。
お経ばかりとなえていたので 戦いを家の中に引き入れたのです。 仏様を集めて行かせましょう、神様が荒々しいようです。
天武天皇は道教に傾倒しており、異常とも言えるほど仏教に傾斜いていった。百済大寺を再建、薬師寺を建立など。現実的な持統天皇はこの急傾斜が危うげに見えた。軍事を怠ったので、戦いを家に入れた、つまり息子の管理もできていなかったと。


筆者は日本歴史への問題提起であると言っている。さてどうであろうか。
天武と持統―歌が明かす壬申の乱 (文春文庫)


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佐久の水音 高木國雄 ***

2012年11月04日 | 本の読後感
信州は佐久平に「五郎兵衛新田」という江戸時代に開かれた田んぼが広がり、現在でも「五郎兵衛米」というブランドで販売されている。1600年を挟んで数十年にわたって、信州の隣、上野の国、南牧の市川五郎兵衛が春日渓谷から片倉山を穿って導いた五郎兵衛用水の物語である。

市川氏は南牧の地の豪族で、戦国時代には佐久地方も手に入れた勇猛な武将一族であったが、のちに佐久の領地は召し上げられ、南牧の地で金鉱脈と砥石を掘り生計を立てていた。戦国大名から天下統一を果たそうとしていた徳川家康とその部下で本多正信は、南牧の豪族市川氏の領地を召し上げて、別の領地を与えようとしていたが、もうこれ以上の戦いや土地のやり取りをしたくないと考えた市川真久は息子の市兵衛を江戸に使いに出し、直接家康と正信にその気持を伝えた。市兵衛の真っ直ぐな気持ちと侍ぶりに感心した家康と正信は金と砥石の採掘権を示す朱印状を与えた。

南牧に帰り、父にこのことを伝えた市兵衛は父真久の家督を継いで、五郎兵衛真親と名乗った。時は文禄2年、1593年であった。その後、市川五郎兵衛は金と砥石の採掘で収入を上げていったが、昔の領地であった佐久の望月地方の田園地帯を夢見るのであった。当地には領地時代に懇意になった百姓たちもいた。望月の北東の地には千曲川が流れているが、土地の高低があり灌漑が難しい。また、春日渓谷から流れ出る川は山の西側に下り、望月の北東塩名田には行かない。望月と塩名田の間には荒涼たる平地が連なるが、灌漑ができないために田畑が耕作できないでいた。その地に用水を引いて100町歩の田を開拓したい、というのが五郎兵衛の夢となった。

近隣の百姓が既に利用している水源には手を付けずに新たな水源を探し求めて、そこから岩山を掘り、谷を跨ぎ、山を穿って、用水を作るのである。掘削の技術は備中、美作の穴掘り職人を雇入、自らの鉱山経験を生かして、南牧の金山と砥石で稼いだ20数年の汗水の結晶とも言える2万両をつぎ込んで工事を始めた。場所は小諸藩であり、許可を得たが、もともと2-3万萬石の小藩であり、100町歩といえばあらたに2万石にも達する開拓である。小諸藩にとっても一大事業である。賛否が渦巻く中で、筆頭家老は五郎兵衛の支援を決める。

途中には落盤事故、資金不足、五郎兵衛の成功を妬むものからの妨害も多くあったが、一族や妻のきよの機転、知恵と勇気にも助けられ30年の年月をかけて用水工事と新田開発は日の目を見た。

今は五郎兵衛記念館や真親神社などがあり、400年前の偉業を偲ぶことができる。淡々とした筆致ではあるが、五郎兵衛の夢と実行力を知ることができる。春日温泉の常連や望月、塩名田にゆかりの方、五郎兵衛米を食べたことがある人なら必読である。



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