意思による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

坂の上の坂 藤原和博 ****

2012年05月31日 | 本の読後感
サラリーマン人生を否定して、新しい価値観を見出したというお話である。藤原和博の講演を聞いた人は直ぐに理解できるが、聞いたことのない人はピンと来ないかもしれない。明治維新で上り坂の道を見いだした日本人は、常に国家は成長するものだという価値観を国民に植えつけた。それが違うかもしれないと筆者が気がついたのは、1998年以降であり、今でも気がついていない人は多い。もう激しい成長はしない成熟社会になった今、どのような価値観をもって人生を考えるべきなのかという書である。

気づきはたくさんある。社会にでて、自分で選んできた、と思っていた人生は実は世の中で敷かれたレールを走ってきたのだと気がつくのは30を過ぎてから、しかしそれでも遅くはないと。「早く、きちんと、良い子にしなさい」この誰でもが親から言われてきたことに従うと、いいサラリーマンにはなれるかもしれないが、低成長時代、成熟社会では幸せになれないかもしれないよというアドバイスが満載である。

会社にいながらもちょっと道を踏み外すことは可能だというのが筆者の主張。個人が身につけることができる資格を取得して、個人の都合と会社の論理を交渉ごとのテーブルに載せてみたらどうかと提案している。年俸制やフェロー制度と出世のトレードオフである。アメリカ人やフランス人に自分の今までのキャリアを説明するときに、会社での肩書きは意味が無い。何ができる人間なのかをアピールできるのかがポイントであるという。

会社以外でのコミュニティでの活動は何があるのか、PTA、町内会、管理組合、地域ボランティア、震災復興支援、などなんでもいいから、会社以外での自分の存在をアピールできるのか。

そしてパートナー、つまり奥さんと二人で定年後を生きていけるのかを再確認しなさいという。

55歳でこのことに気がつけば手遅れではない、しかし60歳以降で気がつく場合には手遅れであるケースが多いのではないか。会社以外での自分の価値をパートナーと共有できるのか、家族が認めてくれるのか、これが重要である。さあて、どうだろうか。



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塩の道 宮本常一 ***

2012年05月29日 | 本の読後感
宮本常一は昭和56年に73歳で亡くなったが、本書を構成する三編はその最晩年に行った講演から書き起こされた原稿であり、生涯をかけて行ったフィールドワークの集大成の位置づけと言える。

「塩の道」では、大抵の食べ物は霊があり、神として祀られることがあるが、塩には霊がない。エネルギーを宿す食べ物にはその中に霊が宿ると考えられる一方、塩そのものはエネルギーを産まないという特質がある。しかし塩がなければすべての動物はその活動をストップしてしまう、という作用を持っている。このことが塩の研究があまりなされて来なかった原因だと言うのである。日本では岩塩はほとんど取れないため、多くは海岸で生産された。生産には壺が使われたと考えられるが、土器であったため海水がその中に沁みこんで塩が結晶化してすぐ壊れてしまった。これが鉄器に代わるまで人は相当苦労して塩を作っただろうと推測する。そして鉄釜ができた時、それは滋賀県北部で産出されたという。生地屋というのはロクロを回してお椀などをつくるのだが、この生地屋の歴史をたどると必ず滋賀県北部の永源寺町の筒井と君ケ畑というところに結びつく。この地方で算出される鉄でないと生地屋のお椀が作れなかった、というほど良い鉄を産出した。そしてその鉄で花崗岩を刻むという石工が生まれた。鎌倉時代の石工は近江地方に分布するのはこうした経緯があったからである。

山の中に住む人達がどのようにして塩を手に入れていたかというと、まず木を切りその木にその家固有の印をつけて川に流す。川の流れにそって海岸まで行き、その木で塩を焼く。その塩を持って帰ったという。その内に、海岸に住むひととの分業で、山から多めの木を流し、海岸の住民がそれで塩を焼き、一部を山の住民に送り返すようになった。その後、薪を売って塩を買う、というサイクルが出来上がったという。

明治の初期に日本を訪れたイザベラ・バードの「日本奥地紀行」に触れ、東北地方の住民の不潔さ、吹き出物、眼病を患う人が多いことが記述されていたという。宮本は、彼らが風呂に入らなかったこと、それと塩分の不足を指摘する。明治三八年に塩専売制度が施行されると吹き出物や眼病が減ったという。

「日本人と食べ物」では、娘を嫁にやるときに、栃の木から取れる栃の実を取る権利をもたせたり、漁師ではタコの取れる穴の権利をもたせたりという、娘を経由した世襲制度を紹介、母系的な名残であると指摘している。人口の安定化のための智恵であった。

米はどこから来たか、という問に、米の豊作を祈ったのが始まりである神社の建物は高床式であり、それは南方から朝鮮半島を伝って日本にやってきたと主張。竪穴式住居に暮らしていた縄文人は土蜘蛛と呼ばれ、弥生人が稲作をもたらしたと。神殿に土間は一つもないのは米作りと神社が一体となって南方から伝わった証であるという。

魚肉の食べ方で、山の中で魚を食べるために塩魚にする方法と、酢で保存するという方法があった。そこで米を炊いて米に塩を混ぜ、米の間に魚を挟んで桶などに入れて米と魚を重ねていく。そうすると、魚肉と米が発行して鮨になる。これが鮨の原型であり鯖や鯵が多く使われ、その後鱒やあゆなども利用された。現代の握り寿司は江戸で発達したもので、今でも関西では押しずしである。これは熟れ鮨の名残である。熟れ鮨の入れ物は当初壺であったかもしれないが、600年ほど前にタガの技術が中国から日本に入り、杉と竹を産出する関西地方で樽を作る技術が定着した。大阪を中心に酒を樽に入れて作る、それを江戸に送る、というビジネスが展開された。江戸では送られてきた樽で漬物を作るということが行われた。野田の醤油はその一つであった。

今ではあまり主張されない江上波夫の「騎馬民族説」に賛同して、その説に自説を重ねるということもしているのが面白い。民俗学のバイブルであろう。



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東海道五十三次が超おもしろくなる本 ***

2012年05月25日 | 本の読後感
広重の53次作品を見ていて自分も歩いてみようかと思った人はいるはず。歩く前に情報収集をしようと思ったらこの本が有効。

江戸時代の東海道について。男性なら12泊13日が平均だった。一日に歩くのは10時間、約40kmくらいでその旅費は宿泊代が1泊2食付きで200文で現在価値で2000円程度、昼食は50-100文で500-1000円位となる。お酒を飲めば1合20文、ちょっと奮発すると100文、草鞋がバカにならない、1足10-15文、橋のない川では川越人足のお世話になり50-100文、しめて一日400文程度はかかった。15日だとすると6000文、つまり一両となり往復で2両、これは約12万円でサラリーマンの月給ほどにもなる。

江戸の町中なら時刻は寺の鐘でわかるが、旅先では分からない、これが意外に不便だった。その不便を解消するために東海道の宿場では拍子木で時刻を知らせた。しかし宿場町を外れるとそれもない。すると頼れるのは太陽の傾き、しかしそれも曇りでは分からない、最後の頼りは猫の目だった。朝6時にはまん丸で、朝8時と夕方4時には卵型、10時と2時には柿の種、12時には針のように細いのである。「猫の目のように変わる」などというが、時刻を知らせるとは生活の知恵である。

川越人足への手間賃は50-100文と書いたが、それはその日の水量と川幅で細かく決められていたという。脇の下94-84文、乳の下が80-76文、帯の上が68-64文、帯が58-56文、帯の下が54-46文、股通りが44文、股下水が42文、膝上水が40文、膝通り38文などと非常に細かい。

旅のグルメでは、鮫洲の川崎屋の穴子、大森の御膳海苔、川崎の万年屋の煎茶を使った炊き込みご飯の「奈良茶飯」、鶴見の「米饅頭」と続く。安倍川餅、鞠子宿の丁子屋のとろろ汁、宇津の谷の十団子、由比のサザエ、桑名の焼きハマグリと白魚、草津の「姥が餅」である。そしていまは「ういろう」と言えば名古屋の名物であるが江戸時代には小田原の「外郎(ういろう)」薬である。もともとは「透頂香(とうちんこう)」といい、烏帽子の中に入れて頭の臭いを取る薬だった。この薬を発明したのが京都の外郎家の庶流だったことに由来するという。小田原城主の北条氏が外郎氏を京都から招いてこの薬が広まったという。薬では興津の「膏薬」、伊勢朝熊山の「万金丹」、草津の外れの名産は「和中散」などで、嵩張らず重くもなかったので薬は東海道の旅の土産として重宝された。

これで、東海道を歩いてみようと思ったのかと言われれば、まあ、そうでもないかな。


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学校では教えない歴史の「その後」 ***

2012年05月24日 | 本の読後感
歴史の順番に並んでいないのが良い、取り上げられた人物とトピックスを羅列してみよう。

天璋院篤姫、島津義弘、北条早雲、可児才蔵、寺坂吉右衛門、坂上田村麻呂、勝海舟、春日局、間宮林蔵、松尾芭蕉、ザビエル、正岡子規、沢庵宗彭、鑑真、石川五右衛門をゆでた釜、海援隊、石山本願寺、武田信玄、足利尊氏、小野妹子、天武天皇、長宗我部元親、辻政信、今川氏真、足利義教、日野富子、滝沢馬琴、有島武郎、新井白石、紀貫之、生類憐れみの令、前田慶次、宇喜多秀家、巴御前、北政所おね、笠森お仙、持統天皇、ジョン万次郎、良寛、中江兆民、一休宗純、徳川吉宗の象、源義経、伊達政宗、山内一豊、西郷隆盛、黒田如水、武蔵坊弁慶、東郷平八郎、ルイス・フロイス、シーボルト、平城京、安土城、室町幕府、縄文人、千代姫、長宗我部盛親、淵田美津雄、秋山好古、結城無二三、那須与一、斎藤一、榎本武揚、出雲阿国、雷電為右衛門、ウイリアム・アダムス、五稜郭、咸臨丸、明暦の大火、直江兼続、小早川秀秋、本多忠勝、桓武天皇、鈴木貫太郎、北条時宗、吉良義親、藤原道長、清少納言、小野小町、絵島、お龍、二葉亭四迷、大黒屋光太夫、池田屋。

有名な歴史上の出来事の後日談シリーズである、出張のお供かな。


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日本の伝説 柳田国男 ***

2012年05月23日 | 本の読後感
この本が良いのは、日本全国の伝説と民話を北から順番に紹介したりしていないこと。巻末には都道府県別に整理しているが、基本はテーマ別に並べて紹介している。昔話は動物であり、伝説は植物だ、というのは至言。昔話は動物のごとく方々を飛び歩くから動物であり、伝説はある一つの地方に根を生やしていて常に成長しているという。

咳のおば様、という章では日本全国で同じような昔話があることを紹介、三途の川を渡る、というのを葬頭河(ソウズカ)からきていると解説している。咳は関であり、関所は咳所でもあったということなのか。精進湖という湖があるが、葬頭河との関係を論ずるのが筆者である。

日本全国に弘法大師の池、もしくは温泉などがあるが、空海は高野山に入ってからは全国を巡ることなどは時間的に難しかったはず、という筆者の推測がある、それでも全国に弘法大師の言い伝えがあるのは何故だろうか。都の高僧が我が地にも来てくれたのだという言い伝えを作り出したいのが伝説であり、民話だという。

この本は昭和52年に発刊されているのだが、その時に聞き取れた民話や伝説が今の時点では語れる人がいないことに寂しさを感じる。フィールドワークが重要視されるこの分野、宮本常一の本はたくさん読んだが、彼以外に柳田国男を継ぐ民俗学者はいなかったのだろうか。


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警告 パトリシア・コーンウェル ****

2012年05月19日 | 本の読後感
検視官シリーズの第10作、パートナーのベントンを前作で殺された主人公の検視官ケイ・スカーペッタの元にクリスマスを控えた12月の或る日、手紙が届けられた。届けたのはケイとベントンの共通の友人で上院議員のローズ、手紙の差出人はベントン、死ぬ前に書かれたものであった。内容は遺書と思われるもので、自分がもし死んだら一年後のクリスマスに届けてほしとローズに託したものだった。「この手紙を読んだら姪のルーシーと相棒のマリーノ警部を呼んで自慢の料理でねぎらってあげて欲しい」というのだ。ローズと死んだベントンの気遣いに感謝しながら二人を食事に招待しようと思ったケイであったが、その時事件を知らせる電話がなった。リッチモンドの港に密航者の死体が見つかったという。密航者はベルギーから来た船に載っていたが腐乱死体であった。死体にはよく見えないが丸い刺青があった。現場にはマリーノ警部も駆けつけていたが、見たこともない制服姿、なぜかケイに敵意をむき出しにする新任の警察副所長のダイアン・ブライに第一線の殺人担当から外されたのだという。腐乱死体には狼男というフランス語が書き添えられており、死体からは動物のものと思われる長い茶色の毛と歯型が見つかる。

ルーシーとケイ、マリーノとケイのやり取りに感情のほとばしりが有り余るほど盛り込まれて、今までのスカーペッタ以上に人間味を感じさせる。国際警察のインターポールに所属するケイより10歳年下のジェイが登場し、ケイはジェイに心惹かれる。ジェイもケイに心惹かれ二人は結ばれるが、マリーノは全くそれが気に入らない。ベントンのことはどう思っているのだとケイを罵る。ベントンの死は今まで殺人事件を取り扱う立場だったケイやマリーノを被害者側に押しやっているのだ。ブレイ副所長はこうしたケイの心の隙に付け入って何とかケイを陥れようと企む。なぜブレイはこれほどケイを恨むのであろうか。

物語の中ではケイたちが暮らすリッチモンドの街の治安の悪さが描かれる。家には必ず警報装置が設置され、警報がなるとすぐさま警備会社から連絡がある。そして不審者がいると思えば警察を呼ぶ。車に乗っていると不審な追跡者が現れる。こういう街では一人歩きは危ないし、夜の外出もできない。アメリカの暮らしにくさ、住みづらさを紹介しているような小説であるが、アメリカではベストセラーである。住民のすべてが銃を保持する社会の問題だと思うのだが、そこを問題視していないことが問題であることにアメリカ人は気が付かないのだろうか。

物語の面白さでどんどんページを進めることにはなるが、アメリカには住みたくはない、という読後感を持つ。


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柳生刺客状 隆慶一郎 ***

2012年05月12日 | 本の読後感
中編集であるが、やはり思い出すのはなによりも「吉原御免状」であり、本書に収められた中編はそのバリエーションとも言える。「吉原御免状」に登場するのは後水尾院のご落胤と言われる松永誠一郎で、宮本武蔵に育てられ武術、剣術を習得する。誠一郎は武蔵の遺言で吉原遊郭を作った庄司甚右衛門に会いに行き、柳生一族の裏柳生と呼ばれる一団に命を狙われる。理由は、甚右衛門が家康から受け取った吉原遊郭開設に伴う許可証と考えられる御免状に書かれた文言であった。その背景は吉原遊郭はもともと定住場所を持てない「道々の者」である遊女達が定収入を得て一定の生活ができるように設定された「アジール」であったとする網野善彦ばりの仮説であり、家康は実は関ヶ原の戦いで死んでおり、その後は替え玉で影武者である世良田二郎三郎なる人物が、家康の忠臣本多忠勝の画策によりその後もいえやすとして振舞っている、という想定である。そして二郎三郎は吉原の住人たちと同様の道々の者であり、吉原御免状には「我が同朋庄司甚右衛門に吉原遊郭設置を許可する」と書かれている、これが柳生一族が甚右衛門と松永誠一郎の命を狙う理由だというのである。

この中編集の表題作「柳生刺客状」は家康が替え玉であることを秀忠に教えたことで家臣として取り立てられた柳生宗矩が、その甥である柳生兵介と対決する。この時、宗矩は将軍剣法指南役となっているが、裏では裏柳生として松永誠一郎たちを狙っていることになる。兵助との対決で宗矩は片足を失うが、その理由は世間には明らかにされていない。

「狼の眼」は、剣法道場を開く秋山要助がある経緯から人を切ってしまい、罪を逃れるために漂白のたびに出て10年もの年月を経て、切った相手の兄弟に出会ってしまう、というお話である。ここで語られるのは1783年ころの天明の飢饉とそれを生き抜いてきた百姓の経験したこと、そして要助が経験してきた人殺しの所業が重なる。

「張りの吉原」では、「吉原女郎には張りがある」と言われるのは何故なのかが、大坂女郎の花扇の眼を通して語られる。「京吉原の女郎に、江戸吉原の張りをもたせ、長崎丸山の衣装を着せて、大坂新町の揚屋にて遊びたし」と井原西鶴も書いたと言われる。大坂新町の女郎で太夫である花扇には、どうしてもその「張り」という意味が納得出来ない。旦那に頼み込んで実際に吉原に移り住んでそれを知りたいと考えた。そして吉原一の太夫という総角のマネージャーである番頭新造にしてもらう。そして花扇は吉原女郎が誇りを失わず、「張り」を維持できるのは、お客の側がそのプライドを支えていることをしる。

隆慶一郎の小説を支えているのは「網野善彦史観」である。


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炎の翼(下) ディル・ブラウン ***

2012年05月12日 | 本の読後感
このお話にでてくる武器は実在しないものだとは思えるが、近未来にはこんなものもあるかもしれないという現実味を感じさせる書きっぷり。舞台がエジプトとリビアの油田地帯であり、基本は砂漠なので、超強力な中性子爆弾が落ちても、レーザー光線で飛行機が墜落しても、地上の被害はないだろうと、そこは気楽に読めるのだが、しかし、中性子爆弾で数万人もの兵士たちが悶え苦しんで数時間で死んでいくくだりには読んでいて息苦しいものがあった。

主人公のパトリック・マクラナハン、空軍の准将でハイテク航空産業のスカイマスターズに雇われている。下巻では上巻の戦いでリビヤ軍に捕虜となった妻のウェンディを救出に行く。天才科学者でマスターズ社経営者でもあるジョン・マスターズが開発したハイテクウェポンに加えて、ジョンをも上回る9歳の天才科学者ケルシー・ダフィールドが開発してしまったレーザ光線の原理に基づく武器をB52の改造機に搭載してリビヤ連合王国のズワイイ率いるリビヤ軍に立ち向かう。エジプト大統領となり、アラブ連合結成を旗頭にアラブのリーダーとなっているスーザン・ベイリー・サラーム、ロシアの政商パーベル・カザコフ、そしてリビヤ王国の真の継承者でありサヌーシー王朝の末裔であるアッサヌーシーも登場して、物語を盛り上げる。

最後はウェンディ救出に単身ズワイイが潜む基地に忍び込むパトリック・マクラナハンが、徒手空拳でズワイイに立向い、ウェンディを救い出そうとするがどうなるのか。

戦争モノ好きでSF好きの読者ならピッタリの読みもの、アメリカは強い、という白黒のはっきりした活劇である。


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炎の翼(上) ディル・ブラウン ***

2012年05月08日 | 本の読後感
リビヤのカダフィを倒した独裁者が出現したという設定。その名はズワイイでリビヤ王国の正当なる子孫を名乗るが偽物である。そして一方はアメリカの石油資本スカイマスターズ社に雇われた超ハイテク武装したコマンドウ軍団、率いるのは元アメリカ空軍の准将であったパトリック・マクラナハン、油田を守るため、私設コマンドウ軍団がリビヤの軍事基地に奇襲をかける、という荒唐無稽な想定。その攻撃で、コマンドウ軍団のメンバーでパトリックの弟ポールは死亡、妻のウェンディはリビヤ軍の捕虜となる。ウェンディを何とか取り戻したいパトリックはコマンドウ軍団を再び率いてリビヤを攻撃する。エジプトでは大統領のサラームが群衆の面前で暗殺される。その妻で元アメリカ空軍兵士のスーザンは、暗殺がエジプト最高司法評議会議長のアル・ハーンであると確信する。アル・ハーンはズワイイと裏でつながっているのだ。そしてズワイイは石油利権と引換にロシアの政商カザコフから資金と武器を提供されている。

スカイ・マスターズ社では天才科学者マスターズが開発した未来兵器とも言える骨格強化型甲冑やレーザー光線などを装備したステルスジェットなどでコマンドウ軍団をハイテク武装させている。そこに9歳のさらなる天才少女が新たな未来兵器を開発するというおまけもついてくる。武器好きにはたまらない描写が続くが、映画化されれば迫力ある映像になるだろう。

狂気の指導者リビヤの国王を名乗るズワイイは中性子爆弾と思しき兵器でエジプトの軍事基地を攻撃する。そして、パトリック達はそれに反撃する。上巻はこのあたりまで。下巻では、夫を殺されたスーザンはエジプトにとどまり、大統領候補となる。そしてズワイイと悪魔の取引の結果、スーザンは大統領に当選、油田の利権をベースに1958年にナセルによって提唱され一部が実現された再びアラブ連合構想を提唱する。



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中国歴史の旅(上) 陳舜臣 ***

2012年05月02日 | 本の読後感
北京から万里の長城、東北地方、山東半島、洛陽、西安、甘粛省、新疆ウイグル、四川という内容が上巻。

まずは北京、紀元前222年に秦の始皇帝に滅ぼされた燕というくにの都が北京、別名燕京と呼ばれるのはそのため。その後、10世紀になって遼の五京の一つとされたが、都ではなく、この時代には遼の南にあるので南京と呼ばれていた。12世紀には金の都となったが、その時代には宋が一大勢力を誇っており、南宋と呼ばれていた。1279年に元が中国を統一、北京はやっと中国全体の都となった。北京はずっと中国の中心都市と思っていたが、明が元を倒して北京に紫禁城が建設されたのは1421年、これが正式な遷都であったという。

万里の長城の長さはどのくらいあるのか。地図で図ると現代の長さは2700Km、しかし起伏のある山岳地域に建てられていて、実際には5000Kmにもなるという。漢の武帝の頃には敦煌の西北の玉門関まで伸ばしていたが今はそれは失われ酒泉のち描くの嘉峪関城が西の終点、東の起点は山海関であり、現代の長城は明の時代と等しいらしい。

三国志の諸葛孔明は五丈原で司馬仲達と戦い、諸葛孔明は死亡、その4年後が景初二年で西暦238年、司馬仲達は遼東で公孫淵を破り遼東、帯方、楽浪、玄菟の4郡を平定した。邪馬台国の卑弥呼が使者を送ったのはその翌年、司馬仲達の支配する帯方郡とは今のソウル、朝鮮半島から中国の東北地方へのルートが司馬仲達の遠征によって開かれ安全な旅行ができるようになった頃である。東北地方と大和政権とはこの頃から深い関係にあった。その後663年には大和政権は百済を助け、唐と新羅の連合軍に白村江の戦いで敗れた。この東北は中国の中では辺境の地、しかし、ここを本拠地とする満州族、別名女真族が中央政権を打ち破った清の時代、満州族の支配する東北地方は清の中心地となった。女真族が文殊菩薩の信仰があったため満州族と呼ばれたという説もある。満州は地名ではなく部族の名称である。女真族の政権樹立は愛新覚羅の始祖ヌルハチによって成し遂げられた。ヌルハチが明からの独立を宣言したのは1616年、後金と呼ばれる国であった。その2年後、ヌルハチは明の撫順を陥落させ、さらに南下、瀋陽、遼陽と陥落させた。ヌルハチはその後の戦いで戦死するがその息子ホンタイジ、そしてその子順治帝の時に初めて北京を占領することができた。清の皇帝の墓は北京にあるが、ヌルハチとホンタイジの墓は北京の郊外にある理由はそんなところから来ている。

1993年に毎日新聞社から発刊された本であるが、全く古びた感じはしない。



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