意思による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

風花病棟 帚木蓬生 ***

2009年10月31日 | 本の読後感
著者が小説新潮に1999年から2008年まで毎年掲載していたシリーズ短編をまとめたもの。戦争中の父親世代が従軍医として戦地に赴いた際の記録をたどったチチジマ、震える月、大学病院、開業医などのストーリーなどなど、医師としての良い思い出やストーリーが綴られている。印象的な短編がいくつかある。

「藤籠」、患者の一人が病室から見える山肌の藤が滝のように見える、と言う。春の5月頃にそれがまた見られればいい、という希望を抱いているが、病状は思わしくない。医者は先輩の医師から教わった言葉を思い出す。「処方薬の中で一番効くのはなんたって『希望』なんだよ」その藤のある山に藤籠を作るために伐採に行く機会にも、病室から見える藤だけは残そうとする。しかし患者は4月に息を引き取る。

主人公は「チチジマ」では従軍していた父島で航空機で墜落した米軍兵士が救助されるのを目撃するが、戦後の学会で偶然その空軍兵士だったという医師と出会う。
その後家族ぐるみの交流を続ける日米の医師の話。

「震える月」の主人公の父親は太平洋戦争で従軍医師としてベトナムにいた際にベトナム人の少年兵士タムの命を救う。戦後医師として学会に出るためベトナムに行くことになる主人公はタム少年の息子が医師として同じ学会に出席することを知り再会する。そこで父親の知らざる一面を知る話。
いずれの短編もすっと読める良い話ばかり。
風花病棟

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氷の森 大沢在昌 **

2009年10月30日 | 本の読後感
冷血な殺人者はいるのか、ストーリーでは最後にしか登場しない人物が支配するシナリオだ。私立探偵で、元麻薬捜査官緒方、格好良いが鉄人的ではないところが好ましい。この種の小説では、「そんなにすごいやつはいないだろう」というような主人公が登場することがあるが、本小説緒方は抑制が利いている。それでも女にもてる、ヤクザにもひるまない、危険から逃げない、仕事を真剣に遂行する、という主人公の必要条件は原則は貫いているようだ。もっとも、危険から逃げるようでは小説にならないので、そんなお話はないのではあるが、ヤクザさえも弱みえお握られれば言うことを聞かざるを得ない存在、そんなヤツはこの世にいるのか、出張のお供かな。
新装版 氷の森 (講談社文庫)

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凶犯 張平 ****

2009年10月28日 | 本の読後感
中国での地方自治体組織の腐敗と地域有力者による実質支配、民衆の無知による腐敗の継続を描いた作品。1989年に実際にあった森林伐採木材の地域有力者による不正流用とそれを告発した地方公務員の正義感を描いている。自治体組織としての県役員、森林管理組織である林業管理組織、そして警察地方組織、さらには共産党地方組織、これらが責任回避をしながら、地方有力者からの袖の下でうまい汁を吸っている、それを告発するような正義感に燃えた地方公務員が出現したらどうなるのか、その公務員が軍人OBで実際の戦闘での英雄だった場合、そして、地方の有力者に実力で抵抗する意志を持っていたらどうなるのか、現代中国の暗部、問題点を描いている。

軍での栄光を背負って公務員として地方森林管理担当官としてある村に赴任した李狗子、地元住民からは最初は届け物攻勢にとまどうが、管理すべき森林の盗伐を知り、正義感から徹底した不正告発を決意する。今までの森林管理官は住民と一緒に不正を見逃して私利を肥やしていたが、狗子は今までの管理官とは違うことを住民は知る。地元有力者である四兄弟は徹底して狗子をいたぶる。水や食料、電力の提供妨害により、狗子は妻子を町に逃し一人でも戦う決意をする。それでも四兄弟と地元民からの嫌がらせが高じて、ついに爆発する日を迎える。

狗子は四兄弟に半殺しにされ、この事件をきっかけに狗子は四兄弟を殺害する。物語は殺害の瞬間を挟んで事件前と事件後に分割、狗子側からは事件前数時間の描写、村民と事件をヒアリングに来た役人達の描写が事件後になっていて、読者には徐々に事件の全容がわかる仕掛けになっている。

中国での天安門事件以降の改革開放政策と情報統制をかいくぐっての小説であり、軍人を良く描く一方で地方役人達の腐敗を描くなど、一方的な腐敗究明にはなっていない。それでも地方役人からの訴訟を受けての作品、作者の工夫が読み取れる。中国での現代小説としてのベストセラーで40万部売れたという、読者層の薄さをおもんばかれる数値だが、それでも中国での人々の意識向上、小さな一歩が記されているとも感じる。

著者の張平の作品、着目したい。
凶犯 (新風舎文庫)

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他諺の空似 米原万里 ***

2009年10月26日 | 本の読後感
後書きで養老先生も書いているが、死んで惜しい人、米原さんである。こんなに本や人間を愛して、軽薄な日本人を小気味よく糾弾する自由人はいない。この本でも、よくぞいろいろ調べたな、と思うほど世界中の諺が集合している。

面白いのは各章の造り。最初に米原さんらしい開けっぴろげなエロ話がまずあって、世の中で起きている現実に目を向けると、小泉首相やブッシュ大統領が実行しようとしていることはこんなに間抜けなことなのよ、と解説。そして返す刀で、ギリシャローマ文化がエジプト文化やイスラム文化からの影響を受けて、諺から見てもこう見える、と説明。今のヨーロッパ文化は実はチグリス・ユーフラテスから派生したものだと気づかせてくれる。アメリカ文化など歴史的には文化とも言えないレベルだと直接なくても読者は感じてしまう。

秀逸だと思ったのは諺ではなく、アーサー・ポンソンビーの「戦時の嘘(1928年)」からの引用。太平洋戦争とイラク侵攻を始めたアメリカを思い起こしながら読んでほしい。為政者による戦争をしなくてはならない10の理由。
1.われわれは戦争をしたくない
2.敵が戦争を望んでいる
3.敵の指導者は悪魔のような人間だ
4.領土や覇権のためではなく使命のために戦う
5.敵は残虐な行為をしている
6.敵は卑劣な武器や戦略を用いている
7.敵の損害は甚大である
8.芸術家や知識人もこの戦争を支持している
9.我々の大義は神聖なもの
10.この正義に疑問を呈するものは裏切り者である
太平洋戦争に突入した日本でも「統帥権干犯問題」から「満州事変」の時からこの10のパターンが唱えられている。

これこそ、他諺の空似ではないか。米原さん、僕は忘れませんよ。
他諺の空似―ことわざ人類学 (光文社文庫)

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街道をゆく夜話 司馬遼太郎 ****

2009年10月25日 | 本の読後感
街道をゆく、は1971年から25年にもわたってかかれた旅行随筆であるが、夜話は街道をゆくの裏話、その前後の逸話集のような書き物。司馬遼太郎が育った奈良當麻町竹ノ内の景色が彼の心の原風景である、という記述がある。

「段丘のかなたには、大きく南北に両翼を広げたように、山脈が横たわっている。向かって左の翼は葛城山であり、右の翼は二上山である。その山脈の麓には幾重にも丘陵が重なり、赤松山と落葉樹の山が交互にあって、秋などは一方では落葉樹が色づき、一方では赤松山がいよいよ赤く、また右の翼の麓の赤松山の緑に当麻寺の塔がうずもれ、左の翼のふもとには丘陵の他に古墳も重なり、白壁の農家が小さく点在して、こう書いていても涙腺に痛みを覚えるほど懐かしい」

司馬遼太郎がこう感じるように、すべての日本人にはどこかに生まれた故郷があり、多くの人には同様の心の原風景、懐かしい景色のようなものがあるのではないかと問うている。身土不二、という言葉があるが、食べ物だけではなく、暮らしの様子はその地方地方にある自然や環境をうまく取り込んだものが多く、旅行はそうした数々の人間達の工夫を感じる場となる。そして、場所には歴史が刻まれていて、出会う人々からは歴史を感じるのだろう。

夜話には1960年頃にかかれた随筆も採録されているが、そのころにはまだまだ地方独特の風俗が残り、明治、江戸の記憶が人々の記憶に残っていることに司馬は感嘆する。街道をゆく、は日本歴史再訪の旅である。
街道をゆく 夜話 (朝日文庫 し 1-55)

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「坂の上の雲」と日本人 関川夏央 ****

2009年10月24日 | 本の読後感
司馬遼太郎の「坂の上の雲」が書かれたのは1968-1972年、その中で描かれた日清、日露戦争は1894-1905年のこと。筆者はその二つの時代の背景から司馬遼太郎が、そしてその時代の日本人が何を感じ、何を考えていたかを考察している。1968年は大学紛争が最盛期を迎え、大学には複数の派に分かれた学生たちが、国や大学の体制に「反対」、建物や大学の器物を破壊する、そこに国家権力の機動隊が鎮圧にくるが、戦前、戦中の国家権力の重さ、強さを体感する司馬にとってみるとこのような国家権力が、つまり国家が軽すぎる、と感じている。筆者は、司馬遼太郎のその他の作品だけではなく漱石など同時代にかかれた作品も引用して立体的にこの時代と日本人を分析しようとする。

関川は「坂の上の雲」での方言について説明している。秋山真之と正岡子規のやりとりではわかりやすい松山弁標準語訳をしていると。そして、徹底的に正当松山弁を駆使した事例として、1978年の伊丹十三による「一六タルト」のCFを紹介している。言葉による「お里」紹介であるが、司馬は日本人のお里として明治の先人たちが築きあげて、日本を後進国から先進国の仲間入りをする基礎を作った「お里」として、日露戦争を戦った時代の日本人代表として秋山兄弟と正岡子規を取り上げたというのだ。秋山真之も正岡子規も悲壮がらず、まじめに明るく振る舞いながら日本の文化と力を世界に示せた、こういう時代をお里と表現している。皮肉なことに、日本このお里を出発点として、その後の40年、日本は太平洋戦争と敗戦という不幸な歴史をたどる。

「坂の上の雲」のストーリーをなぞりながら、二つの時代を分析、二つの時代の日本人について考えていく。20世紀の初め、最大の版図を世界に広げる英国は、なぜまだ先進国とはいえない日本と同盟を結んだのか。露仏同盟に対抗したい英国は、欧州での艦船バランスを保つために、このころ艦船増強を図っていた日本に目をつける。これは日本にとっては行幸であったが、同時に日露戦争を避けがたいものにもした。司馬に無能な将軍と描かれた乃木対象、さらに無能だったと描かれた伊地知参謀、本当に無能だったのか、他の日本人ならもっと違った旅順攻防になったのかを分析してみせる。児玉源太郎大将が乃木大将から一時的に指揮権を借用して203高地を攻めたとあるのにも、そんなことが可能だったのかを検証している。そもそも太平洋戦争後は民主教育と平和推進一辺倒の流れから、戦前には神格化されていた乃木大将を、再度評価して無能の烙印を押して見せたのは「坂の上の雲」がきっかけであったと関川は言っている。

日露戦争の評価で、日本がもっとも成功したのは「広報」だった、とも言っている。捕虜の取り扱いを決めたハーグ条約、これを日本は徹底的に守った。さらに、水師営でのステッセル将軍に帯剣を許し、それを写真に撮らせる、さらに世界の新聞記者に丁寧に対応するなど、その後の太平洋戦争ではできなかったことを、この時代には立派にやっている。海軍では脚気で死亡する兵隊が続出したことを研究、米の大量摂取が原因ではないかと考えて、麦飯を混ぜることで脚気患者が激減したこと、陸軍は軍医であった森鴎外が頑迷で、海軍の試みを無視したことを紹介している。加賀乙彦の「永遠の都」でも同様のことが紹介されていた。

東郷平八郎の連合艦隊と日本海で海戦することになる、ロジェストベンスキー率いるバルチック艦隊が、バルト海を出発して対馬海峡まで到達する様を、関川は解説している。当時の艦船は石炭動力、石炭を大量に積み込まなければ走れなかったのだ。そして日英同盟を結ぶ英国領には立ち寄れないロジェストベンスキーの苦労、日本の駆逐艦の出現におそれるバルチック艦隊の222日間の苦労の航海を描く。坂の上の雲でいえば第4巻から第8巻までの期間をかけてバルト海から対馬海峡までたどり着いたことになる。兵隊たちの疲労は激しく、志気も上がらなかっただろうと分析する。さらに、ロジェストベンスキーの不安は、対馬海峡と津軽海峡、宗谷海峡3つのオプションを最後まで選べないことにつながる。迎える東郷平八郎も迷うはずであるが、「対馬海峡である」と断言する場面を紹介、これで東郷が海戦のの神様になったと評価する。この後、有名なT字作戦でバルチック艦隊を打ち破るのだが、これは偶然の勝利だった、という海戦への参加者からの証言を集め、日露戦争のアメリカによる仲介と勝利自体が偶然の産物であったという。天佑神助はこの時一回きりであり、その後の軍事力強化は、この勝利を誤解した軍部と、自信過剰に陥った日本人を誤った道へと導く導火線となった、と分析。脚気で学んだ反省や広報の重要性、兵站の重要性なども日本陸軍はその後に活かせていない。

明治維新以降の40年は、日本が世界に学び経済も軍事も強い国になる健全な40年だったが、その後の40年は明治の先人のような健全さを維持できず、反省も経験を活かすこともできなかった、と司馬は考えたのではないかと分析。68-72年の日本が、同じような転換点を迎えているのではないか、というのが司馬が「坂の上の雲」を書くきっかけになったのではないかという。幸い、日本は戦後65年、戦争をしない、兵隊を戦闘のために海外に送らない期間を過ごしてきた。しかし、日本の若者は今、平和を個人ベースでも絶対維持すべきと考え、摩擦や争いをさける振る舞い、考え方を徹底、「引きこもり」「オタク」がはびこっているのではないかと分析。司馬遼太郎が40年前に憂いた日本を関川も今、憂いている。

「坂の上の雲」の読み方、すばらしい解説書であり、日本人論である。
「坂の上の雲」と日本人 (文春文庫)

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冬のデナリ 西前四郎 ****

2009年10月24日 | 本の読後感
デナリ、一般にはマッキンレイ峰の冬季登山への世界で最初(1967年)の挑戦を描いたノンフィクション。夏でも氷点下20度にもなることがあるデナリ、冬には日照時間が4時間、高度6千mの頂上付近では氷点下50度にもなった上に、風速50mの強風が吹いて、計算上氷点下148度にも感じられるという極寒の山である。そこに、日本人の筆者(物語ではジロー)とその他4カ国から7名が集まり、合計8名のチャレンジで、麓の氷河から歩き始めて3日目にチームの一人ファリーンがクレバスで転落死。チームは引き返すこととこのまま上ることで意見が分かれるが、遺体をアンカレジまで一人が運ぶことで、7名でさらに進むことで合意。第二第三第四とキャンプを設営して必要な荷物を運ぶという登山が綴られる。単独登頂やもっと大勢のポーターやシェルパを雇ったヒマラヤ登山の中間規模の登山、それでも運び上げる燃料や食料、テントなどの荷物はすさまじい量である。

物語の中で、日本人の登山はチームであり、誰が頂上を究めてもみんなで喜ぶことが紹介される。一方、米国人は自分が頂上に立てなければその登山は失敗と考える。このあたりの心理が、この挑戦の中でも登山計画と実行に影響を与え、7名中3名の登頂成功後の強風のなかでのビバーク、遭難につながる。残りの4名も二つのグループに分かれての行動を余儀なくされ、7日間にもわたる頂上直下での強風下のビバークは3名の命を削る。食料と燃料は3日分しかもっておらず、残りの4名からは絶望視されるなか、ビバークの3名は奇跡的に以前に登山した際の燃料と、他の登山隊が残した食料を見つけることができる。それでも手足の凍傷で、3名のうち一人しか両手を使えない、という絶望的な状況の8日目強風がやみ、凍傷の手足で死にものぐるいで下山する。筆者は頂上に行けなかった4名の中の一人であるが、この挑戦が本当に良かったのかどうか、自分はできることを本当にやったのかどうか、懊悩する。

筆者はその後、1975年に隊長として上ったヒマラヤで遭難によりメンバーを失う。その後日本で学校の先生になり、冬山登山はしない。このときのこと、そしてヒマラヤでの仲間の遭難死を考えると、山に登ることができないのだという。冬のデナリでの登山の描写は本当に厳しい冬の山デナリを経験した人でしか書けない山での生き延びるための知恵を紹介する。植村直己もホワイトアウトで1m先も見えない時に、クレバスに落下するのを防ぐために6mのアルミポールを腰に差して歩いた、という逸話も紹介している、スキーなのかと思っていた。登山家らしい淡々とした書きっぷりの中からも読者は冬山登山の素晴らしさと、遭難したときの厳しさ、登山家の考えていること、それでもなぜ冬のデナリに登ったのかを感じることができる。作り事ではないだけに、一つ一つの出来事が読者の目の前に示され、その迫力のために読み止まることができず、一気に最後まで読んでしまう。

文中より、その後の冬のマッキンレイへの挑戦者を紹介すると、第二登が1982年3人のチームが挑み一人が頂上に立った。第三登は1983年4人チームで2人登頂、一人が遭難死。第四登が1984年植村直己、登頂後遭難死。第五登は1988年の単独登頂、第六登1989年3人のチーム、第七登単独登頂。この本が書かれた1995年まではその後登頂されていない。筆者はこの本を執筆後、発刊直前の1996年亡くなった。忘れられない山登りのお話となりそうだ。裏表紙に小学生上級以上などと書いてあるが、立派な大人向きの山の本である。
冬のデナリ (福音館文庫)

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誤読日記 斎藤美奈子 ***

2009年10月24日 | 本の読後感
丸谷才一が米原万里を書評家として高く評したポイントとして、「本の世界を背負って本を読める数少ない本好き」と言っていた。この著者、この評価を真似るなら「読者からの期待を背負って本を読める数少ないワイドショー好き」、著者自身もこの本は「本のワイドショーだ」と後書きで言っている。米原万里の推薦がなければ読んでみなかっただろうと思える書評集だが、読んでみて良かった。「誤読日記」とは最初から言い訳がましいタイトルで、自信のなさと腰の引け方がタイトルに出ているのではないか、と思っていたが、逆だった。徹底的に言いたいことを言う、書きたいように書くために、何を言われようとも書く、という意志の表明だったのだ。書評集、ちょっと面白い分野だと思う。
誤読日記 (文春文庫)

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栄光なき凱旋(上・中・下) 真保裕一 ****

2009年10月20日 | 本の読後感
1941年、ロスアンゼルスとハワイの日系人が太平洋戦争に巻き込まれていき、戦争を経て自らのアイデンティティーに悩む物語。舞台はアメリカ、LAで働くジロー・モリタ、父親は死亡、母は困窮の末白人世界に取り入って生業を得ているという境遇。ヘンリー・カワバタは両親がLAのリトルトーキョーで日本食堂を経営しながら大学に進学、アメリカの銀行への就職を決めた。マット・フジワラはアメリカ人のローラを恋人に持つ薬屋の息子。この三人の太平洋戦争を時代背景とした壮絶な苦悩の物語である。LAに住んでいた日系人は、太平洋戦争開始と同時に適性人として、強制収容所に移転させられる。一世の人たちはあきらめて移転を受け入れるが、二世はアメリカ人、日本による卑劣と思われるパールハーバー奇襲に反発、アメリカ人として祖国を守るために志願して軍隊に身を委ねる。

マットとジローは日本語知識と能力を買われて南太平洋戦線へ、ヘンリーはヨーロッパ戦線へ派遣される。ジローとマットは語学兵としてガダルカナルの戦線を経験、多くの敵兵である日本人戦士を殺害する。ヘンリーもイタリヤ戦線で死と隣り合わせの戦いの中で、多くのドイツ人戦士を殺害する。

白人と有色人種の差別を経験しながらも、日本からの奇襲を憎み、祖国アメリカを守るために兵隊として働く日系人。複雑な心理、しかしいったん戦場に出れば、殺さなければ殺される、という現実。3人とも祖国はアメリカだと思いながらも、自分には日本人の血が流れていることも感じている。山崎豊子の二つの祖国を思い出す。兄弟同士が戦場で敵として出会う場面がある。この物語では、LAで日系人同士のいがみ合いの中から、殺人を犯してしまったジローの苦悩が縦糸となっている。マットとジローはガダルカナルで助け合って英雄的な働きをするが、自分が単なる一つの駒だと感じたジローは上官を殴って軍法会議にかけられ、兵役を終わる。戦争が終わったと煮裁判にかけられ20年の懲役を宣告されてしまう。

ヘンリー、マット、ジローそれぞれの苦悩と生き様が、リアルな戦争描写とともに描かれる。ここまで死を描写する戦争小説は珍しいのではないか。死をそのまま描くこと、死は痛くて苦しく、いやなことだと素直に描くことは重要なのではないか。醜い死、理不尽な戦争、自分の理想とはほど遠い行動を強いられる現実、それらすべてが、自分の運命であるかのように目の前に進むべき道として示されたら、人間はどのように振る舞うのか、それが示された小説だと思う。

五味川純平や児島謙が書いたガダルカナル島での戦争が、アメリカ人から見るとどのように見えたかもよく描かれている。戦争未経験者が書いた戦争小説として意義ある作品だと思う。
栄光なき凱旋〈上〉 (文春文庫)
栄光なき凱旋〈中〉 (文春文庫)
栄光なき凱旋〈下〉 (文春文庫)

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汝ふたたび故郷へ帰れず 飯島和一 ***

2009年10月17日 | 本の読後感
種子島の南にあるトカラ列島の宝島出身、新田駿一はボクシングでミドル級の日本2位ランカーである。リーチが長くバランスがいいミドル級では珍しい才能を持った日本人ボクサーとしてトレーナーの白鳥、会長の下村からの期待を受けている。しかし、日本ではミドル級のランカーなど少なく、興業としてくまれる試合は年に数回、苦しいトレーニングや減量の苦しさ、他にも自分はできることがあるのではないかという、思いに駆られ、下村会長が運営するジムを飛び出しアルコールにおぼれる。

アルコールに飲まれ、中毒患者のようになった新田はある時、元の体に戻りたいと思い「修理工場」という場所でアルコールを断つ努力をする。そして年末に故郷である宝島に船で帰る。そこで2週間過ごす中で、宝島の住民、仲間、友人たちがどれほど自分を誇りに思い、応援していたかを知る。2週間島で体を鍛えるトレーニングに励む。これが自分がやるべきことだったと感じる。

東京に戻り、自分を受け入れてくれるジムを探し、受け入れてくれるジムがあるが、昔のジムの下村会長が手を回しておいてくれたことを知る。昔のジムのあった場所を訪ねてみると、顔見知りの人たちに出会う。ここでも多くの近所の人たちが自分を応援していたことを知る。下村会長はもうこの世にはいない。自分の無力感や現実逃避が多くの人の期待を裏切っていたことを知る。

新たなジムでトレーニングに精を出し、昔を思い出しながらも自分の強みと弱みを知り、それを生かす戦略を練る。復帰戦をひかえて、昔の応援者たちからローブを贈られる。ローブには”Shimomura””Grandpa's Dream”とある。応援してくれていた人たちの気持ちが伝わる。復帰戦では、リバイバルを図る24歳の元日本ランカーを見くびる相手からダウンを奪い、激戦の末勝つ。下村会長の思いを思い知る。そしてやはりこれが自分の故郷だと新田は思う。

人は一人では生きてはいけない、自分に期待してくれている人たち、才能を認めてくれている人たちがいるということがどれほど幸せなことか、故郷の人たちの思い、ジムがある地元の人たちの応援などなど、そういう熱い思いのお話である。
汝ふたたび故郷へ帰れず リバイバル版

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臓器農場 帚木蓬生 ****

2009年10月13日 | 本の読後感
サスペンス小説であり、人が2人殺されるストーリー、無脳症児の臓器を臓器移植希望者に販売する、という重いテーマにもかかわらず、読み終わったあとの印象は爽やかな小説。

海沿いの田舎町の山の中腹にある病院が舞台、看護師養成短大を卒業した規子は聖礼病院に看護婦として就職、自宅からケービルカーで通勤するようになる。同期の優子とともに看護婦としての仕事に就く規子は小児科、優子は産婦人科に配属される。臓器移植で全国的に有名な病院、優子によると特別産婦人科病棟があるという。不審に思った優子の誘いで規子も一緒に特別病棟に忍び込む。一般の看護婦や医師には秘密の病棟が確かに存在することを知る二人。このことを同じ病院の医師、的場に打ち明けると的場も同様の不信感を抱いている。的場も独自に調査、特別病棟で無脳症児の臓器培養が行われているのではないかという証拠の一端をつかむが、車の事故で死亡、規子はその死因に不審を抱く。

規子はケーブルカーの車掌で多少知能障害のある藤田茂と知り合う。茂もケーブルカーへの乗客を毎日見ていて、不審な乗客の目星をつけている。規子の同期優子はさらに調査を進め、無脳症児が沢山培養されている現場を見るが、自殺に見せかけられた形で死んでいるのが見つかる。危機感を抱く規子は、的場から預かった証拠品を茂に預ける。結局、病院の副院長や無脳症児の臓器移植研究に携わる医師などの行為が警察と的場や優子、規子の調査により明らかになり、病院が裏で組織的に臓器培養を行い、臓器移植をビジネスとして展開、研究費用を賄っていたことが発覚、聖礼病院は再起を期す、というお話。

いくつかのポイントがあると思う。一つは無脳症児の発生が妊娠中の女性の大量ビタミンAで発生する、という研究、1995年頃に明らかになったという話を一つの切り口として物語は進む。実際にあった話をベースとしているだけに現実感がある。看護婦としての仕事に対する責任感を規子が自分の科白として語るのも、医療経験がある筆者だからこその描写だと感じる。そして何よりは「無脳症児」に命はあるのかという重いテーマ。これは藤田茂に語らせている。「無脳症児も生きている」というのが茂の意見、脳死の赤ちゃんからの臓器移植に一つの問題点を提示している。赤ちゃんとは無生物が生物になった瞬間の存在、その赤ちゃんの生死の判定と臓器移植には医学的知識が不可欠であり、だからこそ移植判定会議で判断される。そこで妥当と判定されれば、それが後に問題になったとしても、警察や裁判での正否の判断は難しくなる。無脳症児の臓器による移植はこうした問題の隣接分野の問題である、これが本小説のメインテーマ。

このように重いテーマと殺人サスペンスを爽やかな印象に仕上げた筆者の筆の力に一読者として感謝である。
臓器農場 (新潮文庫)

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国銅 帚木蓬生(上・下) *****

2009年10月08日 | 本の読後感
心の中、襞にしみこむような印象を持つ小説、じんじんじん、というのが読後感である。時代は743年、聖武天皇が紫香楽から奈良に遷都、東大寺を建立して大仏を作るため日本国中から原材料を調達、何千人という人足も徴用されるという状況。

主人公の国人(クニト)は17歳、兄の広国と共に周防長門の国の奈良登という銅鉱山で人足として課役にある。まだひ弱な体つきの国人は何かにつけて兄の広国にカバーしてもらいながらなんとか切口という銅炭坑の鉱石採掘を担当している。どうして自分はこのような課役をしなければならないのか、もっと楽な仕事はないのかと疑問を持つ国人だが、兄の事故死の後、広国が慕っていた修行僧景信を知り、墓標の漢字の読み方を習うことで、一気に世界が広がる。景信は素直で好奇心のある国人に漢字を教え、千字文を教えていく。景信は山の側面に大仏と同じ大きさの仏を彫っている。何年かかるかわからない一人作業であるが、自分に課したミッションであるかのように彫像に打ち込む。兄の事故のあと、国人は耳と口が不自由な黒虫とペアを組んで仕事をする中で、黒虫が些細な日常の出来事を楽しみ、苦しみの中にも楽しみ、幸福を感じる様を知る。漢字を学ぶこと、黒虫の心の持ち方を知ることで自分の未熟さを知る。

何事にも一生懸命な国人は頭や同僚から信頼され、素直に境遇を受け入れることができるため、景信からも次々と知識を吸収する。17歳からの5年間、奈良登の鉱山で、切口から鉱石を焼く釜屋へ、そして精錬する吹き床を経験させられ、国人は若くして真吹銅ができるまでの全プロセスを経験する。景信からは薬草の知識も授けられ、同僚や頭の病気も治してやることができるようになる。頭の娘で絹女(キヌメ)と知り合い、思いを寄せる。絹女も国人におもいを寄せている。22歳になったとき、他の14人と共に奈良の都に廬紗那仏建立のために上洛することになる、一番の若手である。このころには漢字も読める、立派な体つきの若者に成長している。

奈良登から川沿いに船で瀬戸内海に出て、そこから漕ぎ手と一緒に船を進めて苦労を重ねて奈良までたどり着く。途中、一人が死に、海賊にも出くわす。一ヶ月半程度の道程だがこの程度の旅は当時命がけの旅行だったことが描かれる。それでも徴用にあって都に向かうときには役人が同行し、費用は国が持つ、帰りは自分の裁量と費用負担で、危険な目にも遭うという。

都ではいつまでの課役なのかはわからないまま大仏の建設を担当する。土の大仏を作った上に外側から型をつけていって隙間に銅を流し込むという方法。奈良登の銅が最も良質のものであることを国人たちは知る。都でも国人は多くの人たちと知り合う。時が読み書きできること、薬草の知識があることは国人を助け、交流を広める。また、素直に境遇を受け入れ、与えられた使役を黙々とこなす国人は頭達から信頼を受ける。景信が師と仰ぐ行基の兄弟弟子であったという基豊にも会いに行くが、菅原寺の高僧となっていた基豊の高慢な態度に国人は落胆する。行基が開いたという悲田院では捨て子や行き倒れの老人を引き取って面倒を見ているが、そこでの無名の僧は、黙々と世話を焼いている。一生ここでこうした人たちの面倒を見たいとその無名の僧は言う。国人は高僧となった基豊と無名の僧、そして奈良登でひとり山に大仏を彫る景信を思う、いったいどちらが民のためになるか。大仏は銅を流し込んで銅像になるまでは若草山の上からでも見えたのが、その後大屋根で囲われ、民衆からは見えなくなる。ここでも、見えなくなって大切に保管される東大寺の大仏と、景信の山の斜面にあり誰からでも見られる大仏、どちらが民のためになるかを考える。

5年の課役の後、奈良登の仲間3人と若狭に帰る1人と一緒に若狭から日本海周りで長門に帰ることになる。途中、仲間の2人は死んでしまう。帰りも苦労を重ね、思いを寄せていた絹女と景信との再会を期待する。しかし二人ともすでにこの世の人ではなくなっている。物語は出会いと別れ、老病死であふれている。所々に挿入される漢詩、仏の教えが効果的に国人の気持ちを代弁する。銅採掘から精錬を担当し、大仏建立の使役を経験した国人は、長門から難波津まで船で運んでくれた船子や、途中で出会う百姓、大仏殿の大柱を切り出し、そして運搬する人足などそれぞれの苦労と苦しみ、そして専門性があることを痛感する。どんな仕事にも苦労と喜びがあること、それが世の中の成り立ちであることを若い健康な体でそして素直な心で学ぶ。また、百済や唐という大陸や半島からの知識と技術がなければ日本の近代化はなかったことを知る。大仏、仏教、精錬、学問これらはすべて大陸・半島渡来者によって日本にもたらされたこと、これが8世紀の日本の近代化であったことを知る。

8世紀の日本が病気や怪我で命を落とす人であふれていたこと、薬草は重要であったこと、人々の貧しい食生活と、頭や役人との生活格差、律令国家としての日本が九州や東北まで勢力を広げ、長門の銅、武蔵の金を奈良に集め、人足や衛視を日本中から徴用していたことを描く。日本の国としての出発の時代である。作者は当時の病とその治療、そしてその甲斐もなく死んでいく人たちを描くことで、当時の衛生事情や人々の一生の短さを描く。骨折で命を落とした広国、聾唖だった黒虫、痔疾で苦しんだ奈良登の頭、血の道の病で苦しんだ貴人、足が麻痺して歩けなくなった都での国人の恋人などが描かれ、それにヨモギやコウホネ、スイカヅラなどが利くことが描かれる。読者は自分が国人になったかのような気持ちで読んでしまうため、自分も少しは仏の教え、人生の悲しみ、人との出会いと別れなどを学んだ気がするのが不思議だ。

読み終わってもしばらくは「じんじんじん」という頭の中の感触を楽しみたい本、もう一度すぐにでも読み返してみたくなる本、こういう小説は17歳から22歳の高校生、大学生が読むと、大きな影響を受けると思う。本書は名作である。
国銅〈上〉 (新潮文庫)
国銅〈下〉 (新潮文庫)
水神(上)
水神(下)
インターセックス
千字文 (岩波文庫)

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人類の足跡10万年全史(上・下) スティーブン・オッペンハイマー ***

2009年10月05日 | 本の読後感
遺伝子情報から得たところによると現生人類(ネアンデルタールなどの栄えたが今は死に絶えたいとこ人類は除く)はたった一回の出アフリカのチャンスから分岐して世界に広がったという。たった一回というのは、アフリカ大陸からの出口はアラビア半島の付け根と先っぽの二カ所であり、気温により海の深さが変化すると同時にアラビア半島の人類にとっての住みやすさが異なるため、たった一度きりの機会しかなかったと考えられるというのだ。それ以外の機会に脱出した人類は滅びたと言うこと。12万5000年前に人類の一団がエジプトとイスラエルから北方に進出したが9万年前に死滅したこともわかっている。

混乱しないように整理すると、ヒト科の人類は800万年前頃のものから発見されており、有名なところではアウストラロピテクスやネアンデルタールなど、しかしそれらはすべて死に絶えているとのことで、ホモサピエンスとして生き残っているのが現世人類、その歴史は15万年ほど。250万年前から世界は寒冷化し、最終氷河期と言われる1万8000年前までに何回もの氷河期を迎えている。この不安定で寒冷な氷河期に人類の脳の容量が急激に増大したというのだ。乾燥と寒冷化する世界で食べ物を発見するために臨機応変さを身につける必要があった人類の脳容積は100万年前までに400ccから1000ccへ、つまりホモサピエンスよりもっと以前の人類の脳容積は現世人類の75%程度まで増えていたことになる。この大きな脳を使ってコミュニケーション手段たる言語を発達させた。

人類は5人前後の核家族を最小単位とし、少し大きな機能を果たすための20名前後のグループ、大きな単位として100-400人の集団を形成していたとのこと。こうした集団は狩りや、肉食獣からの襲撃、他部族からの攻撃に対しても有効であったことだろう。言語はこうしたグループ化とメンバー間コミュニケーションに重要な役割を果たしたことだろう。

もう一つの推定は現在様々な人種が世界にはいるが、それらは多地域で進化したのかそれともアフリカから脱出した一つの集団から進化したのかという問題、これは後者だという。女性の遺伝子系列はミトコンドリアから、男性はY遺伝子から辿れるようになり、そこからそうした結論が導かれるという。8万5000年前にアラビア半島南部沿いに脱出した後の拡散ルートは3種類で、アラビア半島南部からインドの海岸沿い、そしてインドシナ、オーストラリア、ニューギニアへ向かうルート。このルートでは7万5000年前にインドシナからジャワ島、そしてオーストラリアには6万5000年前に到達した。インドシナから北の中国に向かった一団は、4万年前頃には日本、そして2万5000年前にベーリング海を渡り、19000から15000年前に北米に到達、12500年前には南米チリに到達していたという。一方、ヨーロッパ人は5万年から13000年前にヨーロッパに到達、一部は中央アジアからの一団が4万から25000年前に東ヨーロッパに広がったという。

こうした人類の歴史から学べることは、人類のほとんどの歴史を通して食料を求めていること、人類の多様性が生き延びる上では最重要だったこと、これからも進化するのかは気候変動や隕石などの偶然に大きく左右されるだろうと言うことなどであり、人類が自分の努力できることがあまり多くないようにも感じる。それでも、考えることを止めるわけにはいかないし、コミュニケーションを止めるわけにはいかない。地球環境や病原菌、ウイルスまでコントロールできるようになったとしても、地球外の世界に出るようになったとしても、この多様性の重要性や食料を求める戦いは不変であること、いつかしみじみと感じるときがくるかもしれない。
人類の足跡10万年全史

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道頓堀川 宮本輝 ***

2009年10月04日 | 本の読後感
昭和44年の大阪、邦彦は21歳の大学4年生。両親は死んでおらず、喫茶店で住み込みで働きながら大学に行っている。喫茶店のオーナーは昔、賭ビリヤードで稼いでいたという武内鉄雄。登場人物は多いが、この邦彦と武内の物語。

邦彦は、宮本輝のほかの小説にもよく登場するような主張が弱い、迷いも多い若者で、女性にもてるがものにする女性は一人である。武内は昔稼いだ金で経営する喫茶店を邦彦に継がせてもいいと思っている。武内の歴史と邦彦の生い立ちが物語を構成する。

泥の河の昭和30年から比べると、主人公の力強さは弱まり、世の中の豊かさが男の子の心の太さを弱体化しているのではないかと考えてしまう。宮本輝の作家としての主発点があるとしたら、「道頓堀川」、これだなと思う。
道頓堀川 (新潮文庫)

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泥の河 宮本輝 ****

2009年10月04日 | 本の読後感
著者が「螢川」で芥川賞を取る前に、太宰治賞を取った小説。昭和30年ころの大阪、堂島川と土佐堀川が一緒になって安治川となる場所に架かる橋のそばでうどん屋を営む家族がいた。主人は終戦後のバラックからここまで店を育ててきた晋平、妻の貞子、子供は信雄。近くを流れる川にある日一艘の船がやってきた、そこには母と姉弟が住む、姉は銀子、弟は喜一、きーちゃんだ。信夫ときーちゃんは同じ年、すぐに仲良くなる。物語の中では、近所に暮らすおっちゃん、おばちゃん達が描かれるが、戦後10年という時代の貧しさや、まだまだ混乱していた世の中の騒音が伝わってくる。船は当局から見ればは許されない不正住民らしく、姉弟は学校にも行っていない。娘のいない貞子は銀子をかわいがるが、銀子は着るものや飾り物をくれようとする貞子から何もうけ足らない。船にいる母親はどうも春をひさいで収入を得ていることがわかり、近所の住民はなにかと噂をするようになるが、信雄親子は暖かく接する。貞子の喘息がひどくなり、家族の新潟への引っ越しが検討される。貞子の本心は「動きたくない」、しかし晋平は商売を変えたいため、その話を進めている。信雄はきーちゃんの家族が気になる。2ヶ月ほどで船は不正住民として退去を命じられ、3人は出て行く。信雄たちも新潟に引っ越すことになる。

とても切ない悲しい話であるが、この時代には結構あった水上生活者、大阪にはあった話だとおもう。今でも大阪市内の川は美しくはないが、当時の川は生活用水やゴミ、死体さえも流れていたという。そこでの生活者たちもその川の水のように泥と一緒になってゆっくり流れるように暮らしていた、というレトリックか。タイトルは泥の川、話の中に、ゴカイを泥の中から掬って釣り人たちに売る老人が登場、窓からそのゴカイ取りをみていた信雄が目を離したすきに、船から落ちてしまうエピソードがある、老人は泥の川の底に沈殿する数メートルにもなるヘドロに埋もれて死んでしまったと思える。生活の糧となるゴカイもとれる泥で死んでしまう。

昭和30年の大阪下町での庶民生活、その後の道頓堀川が描かれた昭和44年、道頓堀川にはネオンが輝く、この14年の差は大きい。いまでも大阪には泥の河が流れている。
蛍川・泥の河 (新潮文庫)

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