意思による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

異邦人の夜 梁石日 ***

2009年03月30日 | 本の読後感
梁石日の小説はいくつか読みましたが、「血と骨」がやはり印象に残っています。
血と骨〈上〉 (幻冬舎文庫)
血と骨〈下〉 (幻冬舎文庫)
主人公は金俊平、ヤクザもおそれて近づかないという、筆者の父をモデルとしたという男。ケダモノなのか人間離れした存在、どのような言い方をしても表現しきれないような、暴力とエゴのかたまりでした。その印象が強くてほかの作品の印象が薄い、というのも物足りない気もしますが、この異邦人の夜、これは記憶に残ると思います。フィリピンからきたマリアと韓国に生まれ日本にきて日本人と結婚、不動産で財をなす木村秀夫、この二人が様々な運命に踊らされ、結局はその出自からは逃れられない物語。マリアの恋人榎本、その榎本に5000万円の金を渡したのは木村、榎本はその金が元で殺されてしまう。マリアは残された5000万円を持って逃げるが、逃げるときにヤクザを二人殺すため警察とヤクザから追われる身となる。六本木で金を元手にクラブを開業、ビジネスを広げようとするとヤクザに邪魔をされる。一方、木村の娘で何不自由なく育ってきた貴子は、韓国性であるコウ、韓国名であるキジャを名乗ろうと裁判を起こす。父の故郷である韓国に渡り、父のふるさとに両親と祖父母の墓を見つける。墓のそばで父の生い立ちにまつわる秘密を知ることになる。マリアも木村もその生まれを隠そうともがくが、結局少しずつ生まれの秘密はばれてしまい、マリアは自殺、木村は生まれ故郷で警察に逮捕される。在日韓国朝鮮人は60万人、フィリピンなどアジアからの出稼ぎ労働者も10万人以上いると思われますが、不正滞在やその他で正確な統計はないと思います。そうした方々がどういう立場、どのような思いをもって日本で生きているのか、この小説はほんの一面かもしれませんが日本の読者に見せているのだと思います。アジア諸国からの出稼ぎにはヤクザが絡み、在日コリアンには政治家と北朝鮮が絡む、そうしたこともこの小説では描かれていると思います。アメリカには日本の何倍もの移民が住んでいて、日本以上に差別や生活格差が存在しますが、そのことをアメリカ人は知っています。知っているのか知らないのか、認識があるかないか、これは大きな違い、何が正義か、何が悪なのか、立場によって様々、このような実態があること日本に住む私たちはいつも認識しておく必要があると思います。
異邦人の夜〈上〉 (幻冬舎文庫)
異邦人の夜〈下〉 (幻冬舎文庫)
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京都に強くなる75章 京都高等社会科研究会 ****

2009年03月29日 | 本の読後感
京都の高等学校の現役社会科の先生たちが共同執筆した京都案内、歴史視点での京都案内で面白く読めます。京都案内というと、嵐山、清水寺、金閣寺などの観光地案内とグルメや旅館案内、お祭りやマーケットのイベント案内というのが定番、歴史を看板に据えての案内は千年の都らしいといえます。僕が面白かったのは「巨椋池」、京都の南に昔あった巨大な池を1932年に干拓、今は住宅地や高速道路が走ります。地名には向島、中書島などという駅名や西浦、蓮池などの地名にも残ります。木幡(こわた)や大和田も「ワタ」という入り江を表す言葉からきているとは中学生の時に習ったこと、思い出されます。今元気で面白い京都の古本屋さんの紹介もユニーク、東京では神田の古本屋街ですが、京都にも京大の周辺から三条河原町までたくさんあるということ、この不況の時代を経ても河原町近辺の古本屋さんは一軒も廃業していないことなどを紹介しています。京都の町とその周辺の面白さを歴史を切り口にほじくり返してやろうという社会科の先生たちの熱意がほとばしっています。京都好きには是非におすすめしたい逸品です。
京都に強くなる75章

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都電百景百話 雪廼舎 閑人 ****

2009年03月28日 | 本の読後感
今では荒川線しか走っていない都電、この本が出版されたのは昭和57年、掲載されている写真の多くは昭和42-43年に撮影されたもの、この45年の間に東京がたどってきた歴史と変化を感じさせてくれる非常におもしろい本です。左のページに都電の写真、右ページにその解説、というのがこの本の構成。皇居から始まり大手町、神田、日本橋、茅場町、銀座、築地、月島、門前仲町、森下、錦糸町、などなど古き良き時代の東京が都電を通して紹介されている。昭和42年といえば3年前に開催された東京オリンピックを目指して作られた首都高で町の景色と交通が一変したとき、都電の写真にも大きな影響が見られます。また、雪の都電写真が多く見られ、雪が降ったら写真を撮る、という筆者の意気込みも感じられます。しかし、東京で30センチの雪が積もることは今ではまれなこと、写真には多くの雪景色があり、この50年近くでの温暖化を感じざるを得ません。江戸時代の地図と昭和初期の地図、そしてこの本を手元に比べると、東京という町がどのような大きな変化を遂げてきたかが感じられます。本著と続編はそれぞれなんと2500円という高額本、僕はたまたま社内オークションで2冊350円で入手、ラッキーてしたが、この本を30年前に買った方もいるはず、皆さん大切に保管しておいてほしいと切にお願いします、貴重な都市資料だと思います。
都電百景百話 (1982年)
都電百景百話〈続〉 (1982年)

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明日への疾走 キム・ウーゼンクラフト ****

2009年03月24日 | 本の読後感
アメリカ東部の中流家庭で何の不自由もなく育ったゲイルは、そんな平和でなんでもない生活から逃げたくて、そしてたまたま好きになった相手がテロを前提とする革命家だったため、銀行強盗を企て、人を殺した罪に問われて、18年間監獄で過ごしてきた。もうひとりの警官ダイアンは身に覚えのない麻薬所持の罪でいい加減な裁判を経た後に監獄入りした24歳、テキサス出身。一つの監房に入れられた女性二人が協力して脱獄する。若いダイアンは自らにかけられた冤罪をはらしたい、ゲールは失われた人生を取り戻すため、トラックにヒッチイハイクしてニューヨークへ入り、つてを頼ってシカゴ、そしてダラスへと逃亡を重ねる。ゲイルとダイアンは刑務所で知り合っただけの知り合いだが、信頼感で結ばれる。逃亡の道々でゲイルの革命活動時代の友人達に助けられるが、ダイアンにはその人間たちが信用できるように思えない。ダイアンが信じられるのは警官時代につきあっていたレンフロだけ、彼を頼って出身地に戻って冤罪を晴らそうとするダイアン、それを止めようとするゲイル。ダイアンを陥れたのは疑っていた保安官ではなく、仲間だと思っていたエファードとその仲間。ストーリー展開が軽快で、ストーリーにも無理なく物語に引き込まれる、作者は元麻薬捜査官、経験と知識を生かした描写はさすが、アメリカでの保守と改革派、共和党と民主党、ブッシュとオバマ、シニア世代と若者世代などという価値観の対立を象徴させ、そして協力させて目標に向かわせる、というアメリカの現状と重ね合わせてみるとおもしろい。日本の四畳半的サスペンスを読んでも決して得られない開放感と舞台の大きさを感じる。
明日への疾走 (ザ・ミステリ・コレクション)

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熱欲 刑事・鳴沢了 堂場瞬一 ***

2009年03月19日 | 本の読後感
刑事鳴沢了のシリーズもの、
讐雨―刑事・鳴沢了 (中公文庫)
被匿―刑事・鳴沢了 (中公文庫)
帰郷―刑事・鳴沢了 (中公文庫)
孤狼―刑事・鳴沢了 (中公文庫)
久遠〈上〉―刑事・鳴沢了 (中公文庫)
久遠〈下〉―刑事・鳴沢了 (中公文庫)
疑装―刑事・鳴沢了 (中公文庫)
新潟警察署で刑事課担当だった鳴沢は捜査上の行きがかりから人を殺してしまい、青山署生活安全課に異動している。お話はマルチ商法の被害に遭ったと訴えでてきている老人たちとのやりとりから始まる。被害は予想以上に大きく、背後には木村インターナショナル、K商事の存在と実質的に詐欺工作を取り仕切っている数名の人間が見えるが、詐欺の立証をできるような証拠を残していない。マルチ商法であり、被害者が加害者にもなることから被害届けを出すこともためらう被害者も多いと想像できる。同じ頃、ドメスティックバイオレエンス被害にあってDV被害者を守るNPOに逃げ込んでいる被害者からの通報があり駆けつけて、DV被害者沙織とNPO職員、優美と出会う、これも生活安全課の仕事。町で鳴沢の米国留学時代のルームメイトで今はNY警察刑事である内藤七海と偶然出会い、祖母の住む自宅に招かれると、そこに優美がいる、七海の妹だった。ここからマルチ商法被害とDV被害、七海の日本での活動目的が徐々に一つの線上に重なってくる。鳴沢は優美に引かれ、優美との会話の中で新潟警察での出来事がトラウマになっていること告白する。事件の概要が徐々に明かされてくるとともに、背後にいる中国人トミーワンの存在が七海の目的だったこともわかってくる。警察官の仕事を誇り高きやりがいある仕事であると書いている点、同じ警察小説を書いている黒川博行とは異なる。黒川の小説では人は死なないが、警察内部に存在する問題をえぐり出すように描写する。堂場は鳴沢の心の中の葛藤は描くが、警察の暗部にメスを入れることはしていない。中国人を使った殺人のからくりやマルチ商法とDVという現在の問題を題材にした読み始めると最後までやめられないお話、警察小説好きには格好の読み物。
熱欲 (中公文庫)
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21世紀の国富論 原丈人 *****

2009年03月17日 | 本の読後感
日経ビジネス3月16日号に原 丈人(ジョージ)さんが取り上げられていました、タイトルは「株主至上主義の歪みを糺せ」。糺すとは根源までさかのぼって間違いを直すこと、株主価値最大化を追求する資本主義から、企業の社員、顧客、地域社会、株主の利益のバランスをとって長期的な成長を図ること、市場で競争しながらも事業を通じて社会に貢献する「公益資本主義」に、という主張です。原さんの著書「21世紀の国富論」は2007年に出版されたその時に読んだ本、再読してみて原さんの主張がその通りに現実となっていること感じました。

原丈人さんの本業はベンチャーキャピタリスト、「21世紀の国富論」は、現在の資本主義経済の行き詰まり指摘と未来に向けての提言です。原丈人さん自身がアメリカの共和党のアドバイザーであって、アメリカがリーマンショック前、バブルの時期にベンチャーキャピタリストが自らの批判を行う、経済人にはこうした姿勢も必要だと思います。

著書では、近年の経済が今に至るまでに、どういう歩みをしてきたか、日本がこれからどう進むべきか、という原さん自身の考えを示しています。原さんは、アメリカ追従ではない日本独自の資本主義のルールを創り、新しい産業を創出するためのベンチャー投資を行なえるような土壌を作るということが必要であるとして次のような主張をしています。

現在の資本主義のシステムについて、一体何が問題なのかを提示、原さんによると、ROE最大化、時価会計、減損会計といったような、アメリカ資本主義のルールが問題だとのこと。特にROE最大化を経営管理の判断基準ではなく経営目的としてしまい、短期的視点での経営がなされるということを問題としています。加えてストックオプション制度、ヘッジファンドの問題を指摘しています。ストックオプション制度はCEOが任期中の株価を上げることを最優先事項とし、短期的に利ざやを稼ぎ、結果として問題となる企業体質の改善はなされないケースが多いと主張しています。ヘッジファンドにも短期的視点から、モノ言う株主として「内部留保よりも配当重視」などと改革を提言し、株価の上昇による利ざや狙いをするという点で問題があるとしています。これは、リーマンショック以降、アメリカの優良企業といわれた大企業や投資ファンドの問題点として今改めて指摘されていることです。アメリカの企業で政府の支援を受けながらも経営者が多額の報酬を受け取ろうとして批判されていることとも同根かもしれません。

原さんは、新しい産業とは何か、についても述べています。原さんご自身はマイクロソフトと90年代には競合したボーランドへの出資者であり、PCに接続するカメラなどを製造するピクセラにも出資、IT産業に深い関心を持っておられるのですが、IT産業以外にも成り立つ原則として使えそうです。「パソコンは使い勝手が悪く、人間が機械に合わせる。これからは機械が人間に合わせる時代です」、「これから十数年のあいだにパソコンは終焉の時代を迎えるでしょう。少なくとも、パソコンがその主役である『情報社会』は崩れるでしょう」、「どんな国でも、産業や文化、教育にあたってもっとも重要なインフラは交通と通信です。なかでも、21世紀には通信インフラの整備がますます重要なポイントとなるはずです」。日本でも一時話題になった「ユビキタス」、原さんはこれを、「使っていることを感じさせず、どこにでも遍在し利用できるコミュニケーション機能を持つPUC(Pervasive Ubiquitous Communication)」と表現、PCのあとにはPUC技術を中心に据えた基幹産業を創出すること提唱しています。

原さんは企業の社会的責任についても言及しています。「会社の存在価値は、まず事業を通じて社会に貢献することが第一で、その結果として株主にも利益をもたらすというのが本来の姿です。企業価値の向上は結果であって目的にはなりえないのです。しかし、目的を実現させるためにあるはずの手段を、目的であると勘違いしてしまう悲しい習性をもつのが、人間というものなのかもしれません。手段と目的の転倒というこの現象をもたらすもの、私はその最も大きな原因がものごとの数値化にあると考えています。人間が幸せになると言うことが一番の目的で、お金持ちになることやGDPをあげることは幸せになるための手段でしかないのです。しかし、お金やGDPは目的化され、その思考が個人にまで波及する。仕事を通じて生きがいをつくり、その結果として個人も金銭的な富や社会的充実感を得る。その実現のために会社があります。」

アメリカは多様な人々の集合体であり、人種、宗教、出身国、肌の色の違いなどを一括りにできる唯一の価値観として「お金」があるのではないか、「お金持ちになれば幸せになれる」と幸福を量る物差しはお金、とせざるを得ないところに「アメリカの病」はあると原さんは主張しています。スタンフォードビジネススクール出身の原さんは「ハーバードのビジネススクールは『しゃべり方教室』、一のことを十あるようにニコニコと自信たっぷりに話す方法を教え、スタンフォードのビジネススクールは『そろばん教室』、株価を短期にいかに上げるかを教えます。要するに自分を魅せる術のトレーニングがビジネススクールであり、企業活動をとおして社会に貢献することなど教えてはいないのです。」と別のインタビューで説明しています。

「短期的株価上昇を狙うヘッジファンドの言うとおり、研究開発などに必要な内部留保まで配当に回し、邪道の財務手法を駆使する株価至上主義にはノーを突き付けることが重要であり、新しい基幹産業は新しい技術がつくると考え、必要な研究開発投資は長期的視点に立って行うこと、企業は株主のものという考え方では新しい技術は生み出せない」というのが原さんの主張、会計基準や資本のグローバル化とともに、アメリカだけを手本としているようでは日本は行き詰まると警告を発しています。原さんが著書の中で繰り返し述べているのは「会社は株主のためにあるのではなく、製品やサービスを通して社会に貢献するためにある」というもの、長期的視点に立った経営者としての考え方の基本ではないかと感じます。

先ほどのPUCという概念に基づく新たな基幹産業は、開発途上国も含めた広いマーケットでの普及を想定して研究開発がなされるべきとも述べています。「通信インフラという面で発展途上国が先進国と肩を並べるようになれば、新しい技術は先進国が先ずその便益を享受し、かなりの年月がたってから『援助』という形で途上国に伝播していくという、これまでの構図が大きく崩れていきます。」この説明として、原さんがバングラデシュのNGOであるBRACと合弁で遠隔医療、遠隔教育の普及に向けたコミュニケーション技術開発の事業を始めたことが紹介されています。「医療や教育などの分野では、ODAなどの効率の悪い政府経由の援助ではなく、新しい投資モデルによって低いコストで高い効果を得る道を模索していくべき」と自ら立ち上げ旗振りをしているBRACを例にとって説明しています。

ODAは、国民からの税収で大規模に実行されるのが常ですが、その役割を大きく見直す必要がある、という主張もあります。「税金の仕組みを変えることで、個人や企業の資金をこの支援分野へ積極的に導いていくことが大切です。投資であるにせよ、寄付であるにせよ、NGOのように全額を損金扱いにすることができれば、税金として払うよりも『途上国』の事業に直接関わりたいという人々は潜在的にもっといる。」原さん自身の資金も含めて、民間の資金が世界の人々の生活を豊かにする新しい技術の育成や、途上国を支援するような事業へと積極的に流れていくための仕組みづくりが必要だとしています。また、こうしたNGOのような事業に関わる人々の意欲をもり立てることが重要であり、私たち日本がリーダシップをとって取り組めることだと原さんは主張しています。

ベンチャーキャピタル(VC)、原さんによるとVCとは「製造業、技術を持つ起業家がゼロから事業を立ち上げ、世の中に役立つ製品を開発することを経営にも関与して支援しお金を儲けること」。日経ビジネスの同じ号に「宴の後の買収ファンド」という記事があり、3兆円の投資マネーが回収できていない、という金融危機の波紋についての解説がありましたが、原さんのようなVCとは異なる考え方による投資ファンドの結末だとも思えます。原さんが指摘する米国型資本主義の限界について考えてみると、イギリスやアメリカが20世紀に行ってきた「市場開拓」は新たな消費者(国)の開拓であり、日本も太平洋戦争後に同様の「市場開拓」を行ってきたと気づきます。さらに、現在の経済危機は、米国のサブプライムローンに端を発している、と言われていますが、21世紀になり、新市場だったアジアやアフリカ諸国が力を付け、さらなる新市場が枯渇してきたことが、現在の事態の背景にあるのではないかとも考えられます。米国型資本主義の行き詰まりとは、農耕→工業→サービスと産業形態を転換させ、消費国→生産国→輸出国と技術移転を繰り返しながら、世界を舞台に新たな顧客(消費国)を開拓し続けてきた、大きな「マルチ商法の限界」を意味しているのではないでしょうか。原さんが提唱する「公益資本主義」はその答えとも考えられます。

原さんは、21世紀に日本やアメリカが果たせる役割について、具体的に自らの経験を踏まえて述べていて、グローバルな日本の役割やアメリカが果たしてきた役割について良く考え認識を持つ必要があるということです。アメリカを主なビジネス拠点とする原さんは、自分の役割についてこう言っています。「アメリカを助けるのは日本だよとアメリカ人に教えること」、原さんの経験を聞いてその主張をかみしめていると、私も企業に勤めている人間として広い視野と高い視座、歴史観を持ち、自ら信じることを実行することが重要だと感じます。
21世紀の国富論
新しい資本主義 (PHP新書)

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健康格差社会―何が心と健康を蝕むのか 近藤克則 *****

2009年03月14日 | 本の読後感
そんなに分厚い本ではありません、なのに価格は2625円、買うときにはちょっと迷いましたが、これはお勧めです。まず格差社会はなぜ健康に悪いのか。ジニ係数という貧富の差を表す統計数値がありますが、米国50州を貧富格差が大きい順(ジニ係数が大きい順)に並べて平均寿命を調べると明らかな相関があり、格差の大きいルイジアナ州では寿命は短く、格差の小さいアイオワ州では寿命が長い。OECD諸国で比較してもジニ係数の小さい北欧諸国は長く、係数の大きいスペインやイタリヤは比較的短い、見事に相関しています。企業の中でも21世紀に入って成果主義を導入して社員のモチベーションが下がり、人事制度を人材成長主義と業績をミックスした制度に移行する企業が増えていますが、著者はそこにも触れています。そして、近年のメンタル問題を起こす要因を3つに整理、企業の風土や組織コミュニケーション問題、個人の資質、そして個人が属する家庭やプライバシー。企業としてはストレス耐性とでもいえる自律型社員育成プログラムを組んで社内教育すると同時に、管理職研修などでパワハラについて気づかせる研修をしていることを指摘。これらは短期的効果は見込めるものの、長期的にはまた元に戻ってしまうと主張。長期的には企業風土や人事制度そのものにメスを入れていかなければメンタル社員を本質的に減らしていくことは難しいとしています。健康教育や介護予防はなぜうまく行かないのか、それは個に働きかけているだけでは難しく、仕組みや組織全体を変えていかないと問題は解決しない、というのが著者の主張。また、結婚はなぜ健康によいのか、話し相手がいる、食生活が安定する、経済的に安定する、社会的な信頼が高まるなど結婚のパートナーがいることと健康維持を強い相関があることと位置づけています。英国の学者たちが、日本の平均寿命が長い理由の一つに、社会的絆の強さをあげているとのこと、確かに、アメリカやイギリスの社会的絆崩壊をみていると、日本のすばらしさを実感します。平日昼間に小学生たちが友達同士で帰れる国というのは珍しいこと私たちは喜ぶべきだと思います。こうした社会的絆の強さはGDPや成長率などでは計れない健康と幸福の尺度かもしれないと感じます。この本、ちょっとお高いですが、何度も読みたい近年まれにみる良書だと思います。
健康格差社会―何が心と健康を蝕むのか

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人間の幸福 宮本輝 ***

2009年03月11日 | 本の読後感
中堅タイルメーカーに勤める中年サラリーマンが主人公、妻はいるが子供はいない、マンションでの二人所帯。主人公には酒の勢いで知り合い月に5万円を渡している女性がいるがその女性が同じマンションに引っ越してきてしまった。そうしたときに、マンションの向かいにすむ家の奥さんが殺されてしまうところから物語は始まる。警察による捜査が始まるとマンション住民の私生活が住民同士の疑心暗鬼の中、少しずつお互いの 知るところとなり日常生活に波紋を広げていく。外見上50歳前後のおとなしい独身婦人が実は多くの男達を手玉に取る魔性の女であったり、子供が不良になり、その息子がマンションで盗みを働いている、という疑念を逆手にとって住民に無理難題を押しつける夫婦がいたり、殺された女性の娘が実は情緒不安定で、マンション住民の子供に励まされながらも手首カットで自殺を繰り返していて、そのことを父親は知らなかったり、などなどの日常生活の裏側が描かれる。こうした中で様々な過去や背景を持つ登場人物達の様々な幸福の形も描かれ、不幸も幸福でさえも多様であることを物語り的に伝えようとする。主人公のつきあっている女性はそのうち家に乗り込んで主人公の奥さんと対決するのだが、奥さんの勢いにかなわずマンションから夜逃げすることになり、図らずも主人公はパートナーとの絆を確認できることになる。物語の中で不思議なのは、主人公がなかなかNoとは言えない優柔不断な性格に描かれているのにカッとしやすく、謝るのも早いこと。そして途中から登場するマンション住民を10年も日陰の女としてつきあっているという男性との出会いそして主人公とのつきあいの深まりが、常識的にはあり得ない展開で不自然なこと。さらに、主人公達がマンション住民などを尾行したりストーカーまがいの行為をすること、またそれが素直な気持ちの表れであるかのように描かれていることも不思議の一つ。壬生狂言という難解な仏法説話を民衆にも分かりやすい劇にしたという演芸が京都にはあるが、この物語全体が「壬生狂言」ではないか。わかりやすくしたいがために、ちょっと突飛なシナリオや登場人物像にしている、とも解釈できる。「水のような人間と火のような人間がいる」というエピソード、自分の形を変えながらでもどこまでも広がっていく、流れていこうとするタイプと、火のようにもえあがって、周りを焦がすが風が吹くと消えてしまうタイプの人間がいる。仏教の説法のような話である。「蛇は自ら蛇を知る」密林の中にいても蛇はほかの蛇の存在を感知するの力がある。「自分のためにだけしか生きたことのない人間は不幸」。こうしたエピソードが挿入され、それぞれが説法となっている。宮本ファンには良いお話でも、説法臭さを感じる読者も多いのではないか。それでも大好き、というなら大いに結構だと思う。
人間の幸福 (幻冬舎文庫)
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6ステイン  福井晴敏 ***

2009年03月08日 | 本の読後感
「市ヶ谷」と呼ばれる防衛庁情報局の工作員たちを描く6つの短篇からなる作品。工作員たちと言っても普段は普通の生活をしている人々。タクシー運転手、主婦、引退したおじいちゃん。そういう人たちの日常の生活が、元その道のプロフェッショナルとして、極限状況の中で生き延びるために自分の真価を発揮するお話。登場する人物たちは心の中についてしまったステイン(染み)を拭いとるために戦います。本当のプロに徹しきれない過去を引きずってきた彼らの戦いは、田舎のローカル線での死闘であったり、ミニ原子爆弾の入ったアタッシュケースを巡る争奪戦だったり、機密の記された電子手帳を掏り取ったり、といった、戦い方こそさまざまであっても、自分の一番得意とする領域で復讐をします。
「いまできる最善のこと」千葉の夜のローカル線でなぜか乗り合わせたのは小学生一人、そこに乗ってきたもう一人の男、爆発、逃亡、小学生には危害を及ぼしたくない、と咄嗟にかばうが、プロの工作員としてはどうなのか、と自問自答。必死の思いで小学生のコンパスで、、、。
「畳算」市ヶ谷からの指示で、ひなびた民宿をタクシーで訪問、そこには身分を隠して生活しなければならない男を愛してしまった女性が、ひたすら彼の帰りを待ち続ける。元芸者の女性の強いプロフェッショナリズムと夫への思いに心を打たれるが、アタッシュケースは見つかり、そこでもう一つの事件が、、、。
「サクラ」女子高生?伝法真希?ガングロ女子高生。その正体はスゴ腕工作員のサクラ、工作員にはとうてい見えない相方、北からのスパイと通じ合う日本人を見張る、その時に、、、しかし、その事件がきっかけで真希はいなくなる。
「媽媽(マーマー) 」母である由美子が続いて出てきます。タイトルが「お母さん」。小さい子を家に残して後ろ髪をひかれつつ、情報局の業務に向かい、そこで出会った中国人に心を揺さぶる言葉をかけられる女性を描いている。「母親は家に帰れ」というターゲットの中国マフィアの男に心が揺れる。次の「断ち切る」の母親は由美子と先のマーマーに描かれなかったもう一人の母、息子がいて、それでいて幸せにしてあげられていない、負い目がある。
「断ち切る」断ち切り師、バッグの底をカミソリで切ってサイフを取るスリ師はとっくに引退し、息子夫婦の元で将棋を打ちながら生きてきた断ち切り師の男。ある女性にその能力で策略に協力して欲しいと頼まれる。母は子を育てるものという先入観は時代遅れだと思っているし、仕事もしたいが本能では子どものそばにいたいと思っている、そんな女性の微妙な心理。
「920を待ちながら」亡国のイージスの主役如月行が出てくる。普通の作家なら恥ずかしくてやらないと思うがサービス精神なのか、娯楽なんだからいいでしょ、という姿勢、悪くはない。タクシー運転手で市ヶ谷の非常勤スパイの男。若手で特殊工作スペシャリストの男。市ヶ谷の命令である標的を張る。それは十年前のある事件と,内部腐敗を正そうとする勢力との陰謀があった。
なぜか千葉と浅草ばかりで起こる事件、福井さんの地元?全部、親子の話。急に工作員の世界という非日常に引きずり込まれるストーリー展開で、のめり込んでしまうために、通勤電車で読んでいると乗り過ごす危険性大。ハードボイルドなのにこころを揺さぶってやろうというのが作者の意図か、結構揺さぶられる人もいるのではないか。
6ステイン (講談社文庫)
亡国のイージス 上 講談社文庫
亡国のイージス 下 講談社文庫
Op.(オペレーション)ローズダスト〈上〉 (文春文庫)
Op.(オペレーション)ローズダスト〈中〉 (文春文庫)
Op.(オペレーション)ローズダスト〈下〉 (文春文庫)
真夏のオリオン
Twelve Y.O. (講談社文庫)

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脳内出血 霧村悠康 ***

2009年03月03日 | 本の読後感
ホテルで見つかる変死体、その直前、ホテルの一室で宮村と時間を過ごした若いやり手の学者と思しき男が描かれている。最初から国立O大学の島田が犯人ではないかと示唆しながら物語は進行する。一方、O大学島田はUSOP10という遺伝子についての画期的な論文を発表、世界の一流論文誌に掲載され学内から絶賛される。現時点での指導教官の景山、元々の所属研究室不知火教授、医学部長水無、同僚の我孫子、研究助手の弘田などが登場、国立O大学の論文ねつ造が暴かれる。大学内での勢力争いや研究者達の上昇志向が批判的に描写され、同じO大学を描いた「白い巨塔」の財前五郎を思い起こすが、財前ほどの大物はおらず、景山も不知火も小物の扱い、弘田だけが若手研究者としての正義感を現す。宮村教授は名前を涙香(るいこ)といい、殺された次の日から海外の学会へと出張の予定、搭乗者名簿は通常カタカナ、ミヤムラルイコウ、というだけでは男女の区別がつかない、というのが一つのミソ。宮村は大学の多くの男達とベッドをともにしており、それぞれが弱みを握られている格好。警察に聞かれるとまずい立場を持つ。宮村の身元はこうしたことから長い間判明せず、警察は追い込まれる。島田が容疑者としてあげられるが、精神に異常を来したと見なされ病院へ入院、しかし病室から失踪する。論文ねつ造と殺人、という二つの事件を絡めて大学の内部腐敗を描いたサスペンス、最後のオチはお楽しみだが、名前と職業やタイトルだけで性別の思いこみがあること、男女の区別はつかない、というのがポイント。USOP10という名前自体が「嘘ペテン」というのも大阪人らしいシャレ。霧村さん、現役のお医者様らしい、帚木さんや渡辺淳一さんのようになるのか、楽しみです。
脳内出血 (だいわ文庫)
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エ・アロール 渡辺淳一 ***

2009年03月01日 | 本の読後感
「それがどうしたの」ミッテラン大統領が、奥様以外の女性との関係と子供について記者会見で問われた際に応えた言葉。その言葉を、老後を過ごす施設の名前にしたのは来栖、54歳、32歳の麻子と週末を過ごす、渡辺淳一の理想の姿か。施設は東銀座の料亭の跡地、来栖が父親から相続した土地である。医者である来栖が土地を引き継いで考えたのは、介護ではなく老後を楽しく過ごせる施設、夫婦でも独身でもお金を払えば入所できる高級な老人ホーム、そこでは70歳を過ぎた男女の三角関係や男女の悩みが紹介される。来栖は麻子と楽しく過ごしているので安全地帯から入所者のトラブルを担当医そして所長として対応する、というとても気楽な立場、渡辺淳一の気楽さを映すような小説、この方は幸せな人生を送っているのでしょうねえ。中には旦那様が定年と同時に奥様から離婚を宣告される方や70歳を越えても男性に興味が尽きない女性も紹介されていて、これはこれで面白い。これからの高齢化が進む日本でコレクティブハウスのような施設が増えてくると私は思っていますが、その先鞭を付けるような小説、目の前に老後が迫っている50ー60歳代の読者には考えさせられることが多い小説ではないでしょうか。 ところで所長の来栖さんも最後には、、、、というお楽しみ。
エ・アロール―それがどうしたの (角川文庫)
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