2018年、日経新聞夕刊に毎週連載されたエッセイ、2008-2010年文學界連載のエッセイ、2010-2018年を取りまとめたエッセイ集。
こういう哲学者のような批評家が書いたエッセイというのは、読んで気づくか、という一点勝負である。気づかない人には無駄な読み物、なんか気づいた人にとっては有益な読書となる。
哲学と批評についてその境界は明確ではないが、一般には特定の分析哲学一派を指すのが哲学で、それ以外の歴史的、文芸論的な評論は批評もしくは理論と呼ばれる。哲学を目指す学生がどんな本を読んだら勉強になるか、分かりにくい状況になっているというのだ。まあ、その混沌をなんとか整理する努力がこのエッセイだとも言える。
2011年の東日本大震災を受けて、その災害を子孫の教訓とするにはどうすれば良いのか。災害とは異なるが広島や水俣の被害は原爆記念館や水俣病資料館として残されている。今はまだ傷跡が残り被災者の心のケアも必要な時期ではあるが、その災害遺構を後世に残す努力が必要だと筆者は考えている。
育児とは同じ出来事は反復しないので、取り返しがつかない。娘が小学生なのは6年間しかなくてそこでの反省は同じ子供には反映できない。人生は取り返しがつかないことを大人は忘れがちだが、育児をすることでそれに気付かされる、という話。それでも娘が二人いるとしたら、姉の反省は妹に生かされる。だから、教訓は生きる。人生の教訓も活かせるはず、という。
エッセイはこうしたとりとめもない、しかしそのときに話題やニュースになったことを題材に筆者の体験とともに身近なものに引き寄せて語られているので読者にも分かりやすく響く。単なる哲学的な、批評家的な、理論的なエッセイなら長続きはしなかっただろう。1971年生まれだという東浩紀、今後も見ていきたいと思う。