意思による楽観のための読書日記

科学は誰のものか 平川秀幸 ***

科学は社会を変える、しかし社会からの影響で科学も変わる。さらに、科学は中立ではあり得ず社会により善悪の判断がなされる、科学は社会のためのものである、という筆者のSTS論(Science、Technology and Society)問題意識から書かれた本。最初に日本人の科学と自然に対する意識変化を紹介している。「人間が幸福になるためには自然を征服する、利用する、従う、いずれに近いか」という問い。1960年代までは日本人の4割が利用、2割が従う、3割が征服する、という比率だった。これが1970年代に従うと征服が逆転、利用は横ばいだがその後も支配は減少、従うが増加、2008年には従うが5割、利用が4割、征服は5%という比率に変化した。科学は万能ではない、という意識が広まった。原因としては公害、環境問題等が上げられる。特筆できる事件はBSE問題である。1986年に英国で発見されたBSEは牛の病気であり人間には感染しないとされていたが、実際には96年に感染することが分かった。様々な科学技術が生活の中に浸透し、科学は夢の未来の話ではなく、毎日の生活のことになったため、科学のことは学者先生のいうことを信じていればいい、という時代ではなくなった。科学リテラシーが一般庶民にも必要な時代になった。

科学の背景には不確実性をもたらす「知られざる無知」がある。1928年にGM社がフロンを発見したときには無害で夢の化学物質とされ、冷蔵庫やクーラーに多用された。1970年代になってフロンはオゾン層を破壊することが分かり、88年に使用禁止物質となった。現在では代替フロンになっているが、その物質もCO2の1100倍の温室効果をもたらすとされている。この是非は検証できていない。水俣病の有機水銀、ダイオキシンなどはその毒性が人体に及ぼす影響を証明して始めて有害さが認められた。無害の証明はさらに難しいと考えられる。科学には測定がつきものであるが、測定には精度がある。純度100%の水、という測定精度はなんであろうか。現時点の測定技術で測定可能な不純物はない、という話である。温暖化の予測は今後100年で1.1~6.4度であるが、地球を大気は100Km、海中は20Kmの立方体に区切ってシミュレーションした結果であり、制度はコンピュータの性能限界に起因する。

携帯電話という技術は社会のあり方を変えようとしている。通信利便性、コミュニケーションスタイルの変化、個人の意識変化、人間関係の変化、仕事の進め方変化など直接的変化がある一方で、通信インフラ建設にともなう健康被害問題、若者への悪影響など政治的影響もある。

科学的調査にも調査する立場と視点により結果はずいぶん異なるケースがある。名古屋の藤前干潟埋め立ての是非に関する野鳥への影響調査、事業業者によると野鳥の干潟利用率は0~10.7%、住民グループによる調査では31~96%。事業者は日の出から日の入りまでの平均で、年間の平均を出すために大潮の日を4日選びカウントしていた。住民グループは干潟が表出している時間帯を利用時間帯の分母とし、干潟が最も利用されると予測される2ー5月の4日間を選んでカウントした。利用率の定義が全く違ったのである。

挙証責任という言葉がある。医療過誤があった場合には過誤があったことは被害者が証明しなければ裁判ができない、という矛盾がある。医療行為を行った側は当然自己弁護をする。GMO(遺伝子組み換え生物)の有害性についても同様で、これは現時点では難しい。水俣病やBSEでの証明と同じことを繰り返している。こうした反省から得られている示唆がある。不確実性、未知の無知があることを認識することである。

筆者はこうした問題は「一人一人の心がけ」で改善できるのか、と問題提起をしている。問題を認識したら、多の人にも問いかけてみる、NPOに参画してみる、Webなどで社会に問題の存在を発信してみる、NPOに寄付してみる、リサーチリテラシーを身につける、などを提唱している。心がけでは社会は変わらない、という主張である。

科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328)
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