意思による楽観のための読書日記

面白きことなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本
*****必読****推奨 **閑なれば *ムダ 

百代の過客(上) ドナルド・キーン ****

2016年01月08日 | 本の読後感
昨年末、神保町の本屋で見つけた上下巻、1983年から84年にかけて朝日新聞で連載されていたという、日本人による平安初期から幕末までの日記をドナルド・キーンが読むという企画。キーン氏はそもそも太平洋戦争時には兵士として太平洋戦争に参加し、日本兵が書いて戦場に遺棄された日記を翻訳し、日本軍の動きを知ろうという役割だったとのこと。船に被った被害状況や戦局見通しへの不安などが絶望的な感情とともに記述されているのを見て日本兵の士気の低下などの評価材料としていたという。日本軍はこうした日記情報が敵にわたれば不利益な情報提供になると気づいていたはずだが、それでも日本の伝統の中での日記をつけるという行為が優っていたのではないかとキーン氏は考えている。そうした日記の中にはアメリカ兵が自分が死んだ後で拾って読んでくれることを期待したように、英語で書かれたものもあった。どうか日本の家族に送って欲しいと。これは違法であったが何冊もの日記をこっそりと持っていたところ、沖縄戦線にいた頃に没収されたという。

キーン氏がアリューシャン列島に赴任するときには紫式部、和泉式部、孝標の女などの日記の英訳書を持って行った。今から実戦に赴くのにどうしてそのような典雅な内容の書物を持って行ったのかが思い出せないという。しかし、そうした日記は、当時アメリカ軍ですすめられていた日本人研究や日本人の性格分析などよりもずっと本当の日本人のことを学べたと。日記は日本文学の表現の一潮流をなしているとも氏は評価している。他のどんな文学作品よりも日本人の思考と感情をよく伝えてくれるからである。

上巻は平安時代から鎌倉時代まで。なかでもキーン氏は蜻蛉日記を高く評価する。書き手は自分を客観視する気持ちなどかけらほどもなく、この世に自分より深く悲しんだものは誰一人としていないと確信し、読者にも自分の不幸をたっぷりと味わせようとしているという。土佐日記は女性のふりをした紀貫之によって書かれ、悲しみには遠回しにしか触れていないとの好対照である。藤原道綱母と言われる蜻蛉日記の筆者、地方長官の娘で大納言にまでなった藤原兼家の二番目の妻でもあった。彼女は自分自身と夫、そして息子にのみ強い関心を抱くものの、周りで起きているはずの政治的事件にはほとんど関心を示していない。日記は自分の思いや経験を書き込むもので、何月何日に何が起こった、などは関係がないと考えている。

キーン氏の推測によれば、色男業平の伊勢物語を念頭に置いて、わびしい自分の生活と伊勢物語のような華やいだ生活を対比させれば、宮廷で女性が送る毎日が読者の関心を引くと考えたのではないかと。なりふり構わず自分をさらけ出すこと、自分の不幸を読者に知らせることにおいて道綱母の右に出るものはないのではないかと。

紫式部日記、これを読む読者は期待を高めるはずだが、その文学的な価値は高くないという。しかし、この日記では、源氏物語の中で描かれているような高貴な貴族ではなく、実際には卑猥な戯ごとを言いちらしたり女性にみだらなことをする泥酔貴族を描いている。紫式部はこうした現実から逃避するようにあのように典雅な源氏物語の世界を理想的な姿として描いたというのがキーン氏の推測である。

日記の中で、同時代の和泉式部と清少納言を評価したくだり。和泉式部は、「何気なく気軽に書いた手紙に才能がある人で、なんでもない言葉でも光って見えるのに、優れた歌人とは思えない」。清少納言は、「気取りぐせが付いた人はひどく面白みのないところでもいやに感じを出し、どんな些細な興味でも見逃すまいとして、自ずから馬鹿げて浅薄に見える」。自分自身の評価は、「他人からは鈍い女と見られているけれども、本性に合わせて振舞っているのであり、中宮からも打ち解けられない人だと評価されているかもしれない。本当に敬っている方を不快にさせずに済めば良いのだけれども」

キーン氏はこのような紫式部の性格が源氏物語のような長大な小説を書き得た理由だとする。他の女房たちが宮廷内の権謀術数や恋の鞘当てなどに夢中になることから距離をおいて大小説をかきえたのだと。

上巻ではこのように平安時代の入唐求法巡礼行記から土佐日記、蜻蛉日記、和泉式部日記、更級日記、紫式部日記、讃岐典侍日記など、鎌倉時代では建礼門院右京大夫集、明月記、十六夜日記、弁内侍日記、中務内侍日記、とはずがたり、など合計29の日記を読んでみている。

そういえば、昨年BS-TBSで小澤征爾とキーン氏の対談が放映され、交響曲やオペラについての二人の会話があった。キーン氏の記憶力は素晴らしく、1941年のニューヨークでの公演やマリア・カラスの1950年台の公演などについて思い出話を語っていたが、小澤征爾はそのように年月日などは覚えていない、と言っていた。文学の評価をする、ということは過去に自分が読んだ他の作品との比較や検証が必要であり、こうした記憶力は大いに関係しているのではないかと思う。



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1 コメント

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ドナルド・キーン (もののはじめのiina)
2016-01-12 11:26:47
ドナルド・キーン氏の講演を聴いたことがあります。

日本のみが文学の世界に、季節に多様な役割を担わせていると、例をあげて説明しました。

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