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意思による楽観のための読書日記

日本の歴史(中世ー近世) 石ノ森章太郎 *****

自宅で過ごす時間をどのように過ごすか。撮りためていたビデオを見るのもよし、子供と過ごすのも良しですが、日本の歴史を通しで読み直すことの意味を噛み締めています。高校時代なら、一年かけて縄文時代から近代までを、教科書に沿って進みますので、中世に差し掛かると、縄文弥生のことはすでに相当昔の記憶になります。日本の歴史を通しで、それもマンガで読むことは、前の時代からのつながりが頭に残りながら読めるし、分からないことはGoogleで検索して確認できます。

今週は中世から近世を読んでいますが、個人的には鎌倉幕府から室町幕府の辺りは、もっとも記憶に残っていない時代でした。京都には臨済宗のお寺がたくさんあるのですが、南禅寺、建仁寺、大徳寺、東福寺などなど。京都五山と呼ばれていて、鎌倉幕府が保護しました。マンガで読むと、北条政子が頼朝の息子だった頼長を遠ざけて、実朝を重用する時にも、栄西からの建仁寺保護の要請を受け入れた経緯が書かれています。非情な母として描かれる政子は実は頼長をなんとかしたくて、栄西の建仁寺建立を立ち直りのきっかけにしたかったのでは、と思われます。

その臨済宗を迫害したのは、延暦寺の天台宗でしたが、延暦寺は平安時代から営々と力を蓄えて、信長に大迫害されるまで京の都における一大戦力にまで成長していたのですから、北条政子の力が絶大だっとことも伺い知れます。建仁寺はその御蔭で京都祇園に広大な土地を得て建てられましたが、明治維新の神仏分離令で土地の殆どを没収され、祇園花街組合に売られた結果、祇園の花街と歌舞練場ができて今の一大観光花街ができました。

十一世紀、満州族の九州北部への侵攻(刀伊の入寇)があったのを、京都の貴族たちは九州武士に任せっきりで知らんぷりするのに、十三世紀になると執権北条時宗は二回の蒙古襲来に必死で対応します。一回目に懲りて築いていた石造りの堰提に助けられ、もちろん風雨により蒙古軍は撃退されます。情報伝達の問題があったのかも知れませんが、王朝政権と武士政権の違いを感じます。そのときに立正安国論で国の守りをといていた日蓮は京都の町民からも支持されました。その結果、京の町衆は法華宗に宗旨変えします。この時代の祇園祭は法華祭りに衣替えしたと言います。

マンガなので、お城、大名行列、寺社、祭り、庶民の服装、遊郭、念仏踊り、などすべての歴史が絵で表現されます。これは、記憶に残りやすいし、なによりも一見して理解しやすい。出家すると髪を切りますが、その時の見た目の変化もマンガで表現されるので、読んでいる方としては分かりやすい。後醍醐天皇は変わり者だった。これも、マンガでどのように表現するのか、歴史的記述と矛盾しないよう、工夫があったと思います。

連続して読むと、記憶に残りますが、ずっと積み重なり、頭の中で重くのしかかるようにも感じます。庶民の暮らしがあまりに悲惨、飢饉、疫病、圧政、虐待、差別、仲間割れ、裏切り、泥棒、などすべての歴史が心を押しつぶします。それでも歴史は続く。こうして人間は生き延びてきたこと、歴史はこうしたファミリヒストリーの集大成なんだと重く認識します。


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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