意思による楽観のための読書日記

婚姻の話 柳田國男 ****

婚姻の形態は時代により変遷し、地方により多くのバリエーションが有る。柳田國男は民俗学の手法により全国各地の婚姻形態を実地調査し、それらの歴史を振り返り一冊の本にまとめた。

歴史的には婿入り婚があり、武家の時代になり嫁入り婚へと変遷してきた。地方的には東日本では嫁入り婚が早くから取り入れられ、西日本では婿入り婚から嫁入り婚へとゆっくりと移行していった。中間的形態もあり、婚姻当初は婿入りの形をとるが、嫁の実家の親が次世代に家督を譲るタイミング、そして家に新たな働き手が育ち、また夫婦に子供ができて婿の実家に受け入れ体制ができるころ、嫁が婿の実家に移るという形態もあった。

そもそも農家の家族を歴史的全国的に見てみると貧乏で子沢山、コミュニティは小さな村ごとに成り立っていたので、婚姻も村の中で完結するケースも多かった。また、家が持っている土地には限りがあるため、長男と主婦が持つ権利と、それ以外の子どもたちの取扱は、女王ばちと働き蜂にも似た違いをもたらした。分家することは奨励されていたものの、土地と家をどうするのかが大問題であった。婿入りでは長女、嫁入りでは長男が重要な役割を与えられる。家長になれなかった次男、次女以下の子どもたちは働き手として家に従属するのが最もたやすい選択となった。

婿と嫁の教習所とも言える場所は、各村ごとには必ず存在した若者組、娘組であった。そこではしきたり、礼儀、性教育から村の行事まであらゆることを学べた。教育制度が普及するまではそれらが学校代わりでもあった。婚姻のバリエーションとしては村内に限定する場合と、嫁は村外からと限定するケースもあった。さらなるバリエーションとしては村を訪れる商売人が村の娘を娶るケースもあり、新たな血を得るという意味では有益であった。村の中でも村長や裕福な家庭の娘は隣村の同様のクラスに所属する家に嫁入りするということもあり、村の血が村外の血を取りれるケースとなった。

娘組、若者組ではいわゆる「父無し子」を作らないための教育も施された。村により父無し子への取扱は大きく異なるが、父無し子とその母親には概ね幸福な将来は見えないため、そうした結果を生まないための教えが施された裏側には、そうした父無し子が楽しみの少なかった村の生活において、村祭りや盆踊りなどの行事を契機に数多く生まれてしまうという現実に照らしたものと言える。

「よばい」という風習、これは「よびあい」だったという説もある。若者組のメンバーが気に入った娘組のメンバーの家に呼びに行く、もしくはメッセージを残すやり方の別名である。「夜這い」というのはその一つのバリエーションに漢字を当てたもので集団婚姻の一つの方法だという。これが上手く行った男性が自慢話として夜の訪問自慢をしたのが逸話として残り、文章として残ったものもあるが、他の村の若者組に自分の村の娘が取られてしまうのを防ぎたいという若者組の意思でもあった。年に一度、若者組と娘組が同じ場所に宿を取るというイベントを催し、そこで結ばれるカップルも多くいたという。明治以降の教育制度の発達に伴い、娘たちが学校に通い、男女の役割や諸外国の事柄を知るに従い、こうした村のしきたりは零落していった。

婚姻の儀式の中では、嫁入りや婿入りを邪魔するという多くのバリエーションがあり、それを親族や近所の人達が行うという様々な風習が全国に存在する。大変な困難を乗り越えて嫁入り、婿入りしたのだから一生婚姻を維持してほしいという願いだという。そもそも婚姻の条件には、1.当人同士の承認 2.家族、親族の承認 3.社会の承認 があり、そのそれぞれの段階は時を少しずつずらして出来する。若者組や友人たち、そして近隣住民などがこうした風習に参加するのである。

数多くの実地調査や聞き取りからこうした書物を認めるのは、民俗学者の第一人者であった筆者の最も得意とするところであった。現代社会でも未だにのこる婚姻の風習や条件がこうした歴史の名残を維持していることは誰しも意識するものであろう。筆者がこうした人間の婚姻を動物や鳥の生態と比較しているのも面白い。社会学的婚姻や男女の関係に興味ある向きには必読書である。

婚姻の話 (岩波文庫)


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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