〔二条城内にある「築城400年記念 展示・収蔵館」〕
華麗な装飾の施された二の丸御殿の門をくぐるのは後回しにして、最近できた「展示・収蔵館」へと向かうことにする。
二条城を訪れる人は、純粋な美術ファンというよりは、歴史の好きな人か、観光旅行の定番ルートとして何となくやって来る人が多いのだろう。そのせいか、この新しい展示施設は知る人も少ないようだ。ぼくは4年前に一度だけ入ったことがあるが、たった100円しか取られないわりにはほとんど誰もいなかったような記憶がある(そのときのことは「雪に惹かれて二条城」という記事に書いた)。
玄関を入り、紙幣は1000円札と2000円札しか使えないという摩訶不思議な券売機でチケットを買うと、おもむろにスリッパに履き替える。二条城の御殿内を見てまわるときと同じやり方だ。これはとりもなおさず、畳の上には決して上がらせてもらえないということを意味していよう。
それでも、御殿の廊下を歩くときはかすかな鶯張りの音を楽しむこともできる。だが、この施設はただの丈夫な床板だ。ぼくは残念な気がした。というのも、大きな展示室は三方がガラスで覆われていて、実際の御殿で襖が配されている位置関係そのままに、つまり部屋の壁を丸ごと展示できるような仕組みになっているからである。だとしたら、床は畳でなければかっこうがつかない。
同じ京都の智積院には長谷川等伯親子が描いた有名な障壁画が収蔵されているが、そこも板敷きだったように覚えている。実際上のさまざまな理由から、来客には床板の上をスリッパで歩かせるのが好都合なのだろう。
ただ、美術館や百貨店のミュージアムなどで近現代の障壁画を展示する際には、会場に畳を運んできて、敷居と柱を取り付け、あたかも座敷の一部分を運んできたようなしつらえをして見せることがある。二条城でもそういった臨場感あふれる見せ方はできないものだろうか、と思うのだ。
だが、実際の御殿はこのすぐ近くにあるのだった。なかには現代のマネキンが鎮座ましましている部屋もあるが、この収蔵館を出たあと、やはり二の丸御殿に行ってみようという気分になってしまった。
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狩野興以(?) 白書院障壁画『西湖図』(部分)
ところで、肝心の絵はどうか。白書院とは、部屋の内側が全体に白っぽく見えるところから付けられた名前だろうが、もちろん白く塗っているわけではなく、襖絵の余白が目立っているからだ。金泥が使われているとしても、ごく僅かである。
二の丸御殿のいちばん奥まったところにある白書院は、将軍の居間兼寝所として使われたという。つまりプライベートな空間だったわけである。車寄から見ると、あきれるほどの距離があるのがわかる。
狩野派の障壁画といえば、肥大化した松が長押(なげし)を突き抜けて枝を伸ばしているような図を想像するが、ここでは描かれている松も小さく、ひょろひょろとしていて、何となく頼りがない。
もちろんこの部屋にいるときは、将軍といえどもひとりの人間に戻る。いわば、楽屋である。威厳にみちた勇壮な壁画などは、緊張をほぐすには不向きだったのだろう。量感あふれるモチーフではなくて、点在する山々を雲が隠し、広大な水がたゆたい、ときに滝となって流れ落ちる、典型的な山水画である。
だが、単なる卑俗な風景となっていないのがおもしろい。このへんの勘所の押さえ方が、狩野派の絵師は絶妙なのだ。細やかな線描で描かれた、押しつけがましくない山水とはいっても、そこには家があり、寺があり、橋が架かり、船頭たちが船を漕いでいる。自然のなかに、庶民の生活があるわけである。
聡明な将軍なら、この絵のうえに、人間があるべき暮らしぶりを重ね合わせたかもしれない。江戸時代は ― 士農工商という言葉があるように ― いってみれば人々の格差が公然と認められた時代であった。けれども将軍の居室には、位の高い人物などは描かれていないのだ。
「将軍」という肩書きを脱ぎ捨て、ひとりの男として寛ぐときに、庶民の慎ましい暮らしぶりが襖絵のなかに繰り広げられているのを見る。もしかしたら、徳川某の脳裏に人々への寛大な思いが水のようにみちあふれることを、この絵師は願っていたかもしれないのである。
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