てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

黒の思索 ― 須田国太郎が描いたもの ― (8)

2013年02月11日 | 美術随想

須田国太郎『工場地帯』(1936年、兵庫県立美術館蔵)

 須田絵画をあちらから考え、こちらから眺めるなどして数日間を送ってきたが、そろそろやめるべきときかと考えた。須田国太郎の絵が、簡単には理解できないゆえの奥深い魅力に満ちていることはたしかだが ― それはあたかも、知られざる宇宙の謎に突き当たるほど興味がわいてくるようなものかもしれない ― しかしあまり長いこと彼の世界に向き合っていると、息抜きができなくなってくるのだ。

 須田は大学講師や教授を経て京都市立美術大学(今の芸術大学)学長代理にまで“出世”する一方で、謡曲も習いつづけながら、作品もコンスタントに発表した。このたびの展覧会ではほとんど出品されていなかったが、彼には能や狂言が演じられているさまを描き写したスケッチも多くある。普通ならば、これが須田の“息抜き”だったように思いたいところだ。彼は「能はものになったが絵のほうはまだまだだ」という主旨の発言もしているという。

 ぼくは須田がかよったという金剛能楽堂に何度か出かけたことがあるけれど(ただし当時とは建物も場所も変わっている)、すべてが木で作られた舞台の上で、しかも足音がしないようにそろそろと歩きながら演じられる能が、乾いた大地から産み落とされたといってもいい彼の作品とどうつながるのか、須田国太郎という個性のなかでいかにして結びついているのか、これといった結論に達することはできなかった。

 ここでひとつ、ぼくがとりわけ好きな一枚を挙げるとすれば、『工場地帯』ということになろうか。理由をいえば、須田の絵のなかではごくわかりやすい部類に属するからだ。風景は正確に描写され、近景と遠景のバランスがよく、たとえていえば絵はがきのような、破綻のない構成になっている。

 そこが、須田としては少し平凡というか、物足りないという意見もあるかもしれない。けれどもじっと眼を凝らしてみると、ここには西洋と東洋、古代と近代といった、相反する要素が渾然一体となって表現されているように思えてくる。手前の黒ずんだ木立に圧倒された視線が、鉄道線路をまたいで工場に至り、煙突の垂直線に導かれるように上へとのぼっていくと、そこには赤茶けた山が壁のように屹立している。さらにその上には、金属を溶かし込んだように鈍く輝く空が広がっている。須田は山の風景を何枚も描いているので、当然ながら空もたくさん描いているが、白雲と夕焼けとが薄明に浸されつつあるこの空が、ぼくは好きだ。

 そしてふと気がつくと、空の色が川にも映り込んでいる。暗い地上に、淡い光の帯が流れている情景はいつ観ても心をうたれるし、そのかすかな明るさがあってこそ、須田国太郎の黒が引き立ち、より深みをもって迫ってくることだけは、たしかなことのように思う。

                    ***


須田国太郎『鉱山』(1959年、東京国立近代美術館蔵)

 画家の晩年は、数年間にわたる闘病の日々だった。いつもスーツにネクタイ姿で通した須田が、パジャマのようなものを着て病院のベッドで仰向けになりながら絵を描いている写真が残っている。その変わり果てた姿は涙を誘うが、彼が残した次のような言葉を想起させもする。

 《絵を習うと言う事は、業の深い者のすることだと思います。》

 『鉱山』は、そんな須田が病床で完成させた作品である。いや、彼の絵にはつきものの「須」という漢字一文字の署名がないところをみると、完成したといえるのかどうか。事実、前景を占める家々の描写は絵の具の塗りが淡く、骨組みだけの建物のようで、須田の絵を特徴づける重厚さに欠けている。この部分は息子に指示を与えて描かせたということだが、須田には絵筆を握る力も残っていなかったのだろうか。

 ただ、ぼくを驚かせたのは、鉱山の岩肌から放たれる神々しいまでの光であった。それまで暗く沈んだ絵ばかり眺めてきたので、その明るさは眩しいほどに感じられた。もしかしたら、須田は晩年にいたってようやく、燦然たる光を描く勇気を得たのではないかと思った。死の床で彼がようやくつかまえた輝きは、しかし彼の命とひきかえにやって来たのである。

                    ***

 須田の絶筆となった『メロンと西瓜』も、このたびの回顧展に展示されていたが、この絵は近代画家の絶筆ばかり集めた展覧会でも観たことがあった(そのときの表記は『めろんと西瓜』)。以前に「画家として死ぬということ(11)」という記事に書いたことがあるので、参照していただけるとありがたい。

(了)


DATA:
 「須田国太郎展展 没後50年に顧みる」
 2012年12月1日~2013年2月3日
 京都市美術館

参考図書:
 「須田国太郎展」図録(2005-2006年)
 後藤純一「須田国太郎 絵画を読む」(テクノネット社)
 杉本秀太郎「京都夢幻記」(新潮社)
 井上靖「忘れ得ぬ芸術家たち」(新潮文庫)

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