週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

彼岸前に。

2014年09月15日 | ★江戸っ子エッセイ★



 次の週末20日から彼岸の入り

 秋の彼岸を、のちの彼岸とも言うらしい。

 本当に月日の巡りが早い。

 夏が好きな私。

 家族でエアコンを嫌うため、こと創作に関しては向いてないようで、さすがにはかどる季節になった。

 まさに、芸術、文化の秋到来。

 だが、やはり一抹の淋しさがある。

 今年も、夏は確実に去り、また季節が巡るのだ。

 20代まで、未来は永遠に続くもんだと思っていた。

 森絵都も、益田ミリもそんなこと言っていたっけ?

 能天気な私は30代になり、ようやく自分にとっての未来が有限であることに気付く。ああ、なんたること。

 40代はまさにジェットコースターに乗っているよう。

 先輩に聞く。

 50代、さらに巡りは加速する感覚だそうだ。恐ろしいことだ。

 池波正太郎の言葉を思い出す。

 人は生まれながらにして、死に向かっている。

 なるほど、ゴールに近付くほどに、その真実に向き合うようにできているのだな。

 この日曜は目映いばかりの秋の空。

 朝起きて閃く!

 そうだ、墓参りに行こう。父から言われていたことだけど。。

 江戸川を越える車窓から、入道雲が見えた。

 去り行く夏と、秋の風を同時に感じる。

 地元浅草から上野、日暮里とお寺と墓に囲まれているのだが、我がご先祖は遠くにいらっしゃる。

 おひーさまと言われた、祖母が建てた墓。

 彼岸前に同じことを考える人は多いようで、快速電車と平行する一般道は上下とも渋滞していた。

 電車&ランで正解だ。

 長男と軽装で走る。

 そこで着いたお墓の姿がこれ。

 ふんだんな雨と猛暑が雑草を繁茂させた。

 ビフォー ↓



 栄養がいいのか、いつも以上に根が深い。

 人の執念と怨念もまた深い。

 無口なお墓に向き合うと雄弁に何者かが語る。

 地の底まで伸びたような根っこ、掘っていると、得体の知れない黒い虫、白い蛆がわんさかと涌いてくる。

 黒いの、白いのが太陽を浴びて干涸びる前に、蟻の軍隊が襲ってきた。

 虫が大嫌いな長男がぎゃーぎゃー言いながら、そんでも頑張った。

 で、アフター ↓



 3時間の格闘だ。

 墓石の合間から伸びる雑草やススキを根こそぎ掘った。



 お牛さんに牧草だよと差し上げたいくらい積もった雑草の山。

 ゴミ捨てまでも3往復。

 見上げると、皮肉のような好天。

 日焼けも亡き人への供養だろう。

 あっちっち。

 ライターで火傷しそうになって火をつけた。

 お線香の煙がむくむくと上っていく。

 天上のご先祖様に、家族の近況を報告した。




 【面影を苅るも生やすも彼岸花】哲露


 高台にあるお墓。

 こうして眺めると、案外素晴らしい景観なのだな。

 長時間しゃがんで作業したせいで腰が痛い。

 手を洗い、お墓のある高台から坂を下る。

 リラックスしてRUNをして、躰をほぐしていく。

 近くの高校の運動場の広さに感動する長男。

 彼は今日のこと、憶えているのだろうか。

 大学へ入ればもっと快適な環境が待っているのだよ、とその背中にそっと呟く。

 お腹が空いたというので、冷やし茄子蕎麦というのを啜った。

 茄子があと一人分という。私はもりそば。

 食欲すら失せた私には、冷水が一番のご馳走だ。

 帰りの電車、母からのメールで、センター模試があったことに気付く。

 前日は財布を落とした。

 おじいさん、おばあちゃん、ご先祖さま。

 みんな元気で頑張って生きています。

 ボクはおばあちゃんがいたあの町を書いてるよ。

 どうかおいらたちを見捨てず、見守ってくださいまし。

 合掌