自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

宣告余命を超えたK氏

2013年04月25日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

癌だから、人生本気に・・平成25年4月25日

********************************************

 

今年の、3月は 死ぬ ということ中心に、キュウ―プラ博士や

ムーア博士の意見を 参考にして 書かせていただいた。

池見博士も 死 ということに、生前どの程度の関心をいだき、

死を受け入れる 準備をしていたかが、

患者の最後の精神状態、安楽に迎えられるかどうかと

いうことに、関連していると 著作に述べている。

それに関しては、臨床的に例をあげている。

癌患者の心理研究として以下の実例をご紹介したい。

 

最近、動物に植え付けた癌への免疫抵抗を保つうえで、

大脳皮質の活発で柔軟な働きが重要な意味をもつことが

わかってきている。

米国のコールという癌学者は、癌の進行が自然にとまり(自然退縮) 

死線を越えて生き延びている実例を 500以上集めて

その理由を探っている。

 

その結果、退縮が起こる、一つの原因として、

精神的環境の好転、本人の人生観の ’実存的展開‘ 

などが関係する場合もあると報告している。

 

またヘルシンキ大学の中央病院で、100例のがん患者について、

癌と診断されてからの生存期間を、癌そのものの悪性度と、

精神的諸条件との二方面から調査した。

その結果生存期間の長さを予知するうえでは、癌の悪性度より、

患者の精神的条件の悪さの方が、より密接に関係していたという

報告もある。“

 

 

人は何かの躓き(つまずき)がっかけとなって、

本当の自分を探し出すことがある。

癌の宣告もその例にもれない。

宣告を受けて、真剣に、人は、生と死の実在感を感じながら、

向き合うことを余儀なくされる。

癌になって、初めて、自分本来のセルフの確立をめざす人も多い。

 

次の例は、宗教家K氏の話である。

九大耳鼻咽喉科で喉頭がんと診断され、余命数か月の宣告を受けた。

しかし、実際その後14年間生きられて、宗教家としての本分を尽くされた。 

後日、子息が訪れ、その14年間の歳月を与えられたことへの

感慨を述べられている。

 

“私どもも、長くて短くて3か月、長くて半年と、

先生に宣告されていましたから、覚悟はできていました。

父の意思のままにさせてやりたい、父が、生きている限り、

神様にお仕えしたいというなら、手術をしないで、声の出る限り、

説法のできる日々を送りたいということに同意しました。

 

出ない声を振り絞って 説教する父の姿には迫力があり、

信者の心を打ったようです。

といっても、本人は、力むわけでもなく、いつもニコニコとして、

時には冗談も言い、病気の前とちっとも変りはありませんでした。

 

宗教を信じるという個とは、助かりたいから神にすがりつく

ということではないのです。

むしろ、生への執着を離れて、自分に与えられた残りの日々を

一日一日大切にして、有り難く押し頂いてい生きるという、

人間として一番真実な生き方に 近づくことができたという

喜びが父にありました。 

そして、父の信仰を深めていきました“

 

この話を聞いて、池見博士は、

“K氏が このような心境になったことが、癌の進行を

ストップさせたことに関係がありそうだ”

と感想を述べている。

 

 

癌を乗り越えた人たちは、“生きながら死ぬ” という現実の体験

をしているわけで、その過酷な体験はK氏の言葉に、

真実を滲み出させているのだろう。

 

このブログにたびたび 登場する、吉田 法夫氏の場合も

そうであった。

妹さんとは、今でも 40年近くの旧交を、いただいているが、

彼女は 兄上に関して先日、このようにお話しされた。

 

”兄が癌と宣告され、さらに余命がわずかであると知らされて、

私たちは、兄が気落ちして いなければと一時は心配したものです。 

ところが、意に反して、兄は、いかに余生を楽しく有意義にそして、

皆様のお役にたてるように生きるか~ということを考え、

溌剌とさえしていました。

 

亡くなるまで自分の手記をまとめて、癌患者でもこうして希望を

もって、明るく感謝して生きられるということを、皆様に

お知らせしたいということで自費出版を計画しました。

 

私も手伝いましたが、原稿をまとめながら、兄が、それまで以上に

元気に、張り切っている様子がわかり、だれが病人か? 

と 不思議に思うぐらい、病人らしくない、しかも癌患者でした。

 

大きな声で明るく笑う という習慣の大切さを孫たちに教え、

癌とも闘わずに共存するという心持で、主治医が予測した

死をはるかに遅らせることができたのです。

家族とも調和がとれ、旅へ出かけたり、深い感謝で悔いのない

人生だったと 兄は、亡くなる直前、自らの人生を述懐して

おりました。” 

 

兄上が、癌を宣告されてから、その生活方針や、

生活態度のより良い変化に、彼女は嬉しい発見を重ねてきた。

ブログで兄上の様子のことを紹介している。

興味のあるかたはぜひご覧いただきたい。


ブログ 

「 末期ガン(余命3ヶ月) 

”われ ガンと闘わず、ボウフラ人生さようなら” 」

http://plaza.rakuten.co.jp/sunbrilliant/

 

 

 

池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:、

大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)

日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。

戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。

昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、帰国後、日野原重明、

三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。

翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された精神身体医学研究施設

(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法

を体系化、実用化に尽力した。

九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、日本心身医学会名誉理事長、

国際心身医学会理事長、 日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。著

書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。

平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。84歳。

 

参考文献)

”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会

 

 

 

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宗教の効用検証

2013年04月24日 | 健康のための心の波動

信念と宗教  平成25年4月24日

*******************************

 

今年の3月初めに、ある方から投稿をいただいた。

それは、宗教の効用 はあり得ないという 内容を含んだ

簡単なメッセージであった。

私自身のお答えとして、宗教の効用 という言葉は 内容と照らして

確かに不適切であり、"信念の効用" とタイトルを変えさせて

いただいたことを記憶している。

 

池見博士の著書の中で、宗教の効用 について、

書かれている部分がある。

引用する。

 

 信仰によって治る多くの病気は 神経症や機能的な

身体病変を主体とする 心身症と思われる。

病気の種類によって、正しい診断が行われず、

信仰を万能と考えるところに常に危険をともなう。

教祖や教会に対する強い依存状態ができると、

症状は一見治癒したように見えても、

精神的には、教祖や教会の奴隷になっていることが

よくある。

  

この状態になると、教会からはなれることに不安が伴い、

この不安が 信者をひきつけて離さないことにも

悪用されやすい。“

 

いただいた投書内容が、この点について触れておられると

私は理解している。

信仰の弊害 というのは、信者の油断の中で、いつのまにか、

造られてしまうこともあることを、池見教授は指摘している。

 

“’宗教という名のもとに、多様な心理療法がおこなわれて

いることが多い信心の中に、勇気や希望、前向きな

ラス思考という、病にも 効用的な 心理効果が生まれる 

事実もあるのだろう。   

それが、結果的に心理療法の一角をなすものと理解される。

   

だからといって、現在の科学で説明できない 現象がすべて

否定するという 態度をとること自体、むしろ、非科学的

ではないだろう か?” 

と 博士は述べて、現代医学が 急速に失いつつあるもの、

患者からの信頼感に対して警告をしている。

   

”すなわち、人間に本来備わっている、治癒力への信頼、

治すものと治される者との信頼関係、治療における

愛や希望の持つ力の直し、これらが、現代医学の盲点

つくもの”と 述べる。

  

さらに、

宗教や信仰は、本来、医師と患者の間に存在する信頼関係が

希薄になっているだけ、その心療的必要性は認めざる

得ないだろう。

さらに、宗教分野は、非科学的だと、境界線をひくのではなく、

総合的なあらゆる科学の検証が今後も必要になっていくだろう”

としている・

 

池見博士は人間回復を目指す医学のかなめは、むしろ、

”宗教と医学の出会い”だと、明言されている。

 

心理学会でも人間回復の心理学(humanistic phycology

脚光を浴びて久しい。

この心理学会の指針は、人間回復の医学に重要とする考え方と

共通項が見られる。

 

1.  人は人間として全体的な総合性をもち、

単なる部分(パーツ)の集合体ではない。

 

2.  人間は自分の意思があり、自ら選択する自由がある。 

自由があることは責任を負うものでもある。

それは生涯的事実であり、幼児期に個性が形成されるという

決定論からはみ出す存在である。

 

3.  人間には気づきがある。

知的解釈のみならず、体験的、直観的に把握される。

気づきを考慮しない抽象的な心理学は 観念的になりやすく

本来の人間の実態に反する。

 

4.  人間は身体と感情をもつ。 

否定的・肯定的感情に限らず、身体と感情の関係、

を見直しする必要性。

 

5.  人間は一人では充実した生活を送ることは困難だ。

本当の自分を把握するには、他者との関わり合いぬきには

難しい。

“彼に実在を与えるものは他者である” というインドの

詩聖タゴールの言葉の意味は真実である。

 

これらのポイントは心理学会の新しい流れを意味している

のみならず、人間的な 総合的診療、心身一如 を底流に

おいた、池見博士のスタンスでもあるのだと 私は理解している。

続く・・

 




池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:、

大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)

日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。

戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。

昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、帰国後、

日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会を

設立し、初代理事長になる。

翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された精神身体

医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、内科疾患

を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化に

尽力した。

九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、

日本心身医学会名誉理事長、

国際心身医学会理事長、 日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。

書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。

平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。84歳。

 

参考)

”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会

 

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シャクナゲの寺

2013年04月23日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

父の七回忌に寄せて 平成25年4月23日

********************************

 

今年は 早いもので父の七回忌にあたる。

一昨日、身内の方達が10名ほど集まり、高蔵寺で、供養を

させていただいた。

 

本来、8月の命日を繰り上げて行うことになった。

その大きな理由のひとつが、この時期、もっとも境内の花々が美しく

咲き競うというのがある。

 

亡き父も自ら花を育て、ランの花は何年にもわたり、毎年

見事な花を咲かせていたから、ランに劣らず、華やかな、

シャクナゲの花の季節が適当かもしれないと思った。

特に、高蔵寺の、西洋シャクナゲは 関東の寺の中でも、

有名で、紹介本*にも掲載されているほどだ。

 

昭和10年、高蔵寺を訪れた 詩人 北原白秋は、歌を詠みあげた。

”高蔵寺 

しづかやと散葉ながめいて、

梢の柿のつやつやしい色”

季節は秋だったのだろう。

 

花の寺として知られる 高蔵寺の紹介文を 本の中から

抜粋させていただきたい。

 

” 康安2年(1362年)足利将軍家の祈願所として創建された。

現在、境内には、5~6本の柿の木があるが、周辺の民家の

庭先には、数多く見られ、当時の面影を色濃く残している。

こうした雰囲気とともに、花の寺、味わい深い古刹として

訪れる人が多い。


小田急線沿線随一を、誇る花の寺として、境内には、ロウバイ、ウメ

ボタン、アセビなどの花木に加えて、サギソウ、マンリョウ、

ムサシアブミなどの、野草類が、たくさん植えられていて、四季

を通じて、花がたえることはない。


この寺を代表する花は西洋シャクナゲ。

淡い花色が多い、日本産シャクナゲと比べて、西洋シャクナゲは

赤、黄、紫、白、赤紫、などの色彩の変化が多彩なのが大きな

特徴で、それだけに、4月半ばから5月半ばにかけての花模様は

格別である。”

 

高蔵寺 住所) 東京都町田市三輪町1739

宗派~真言宗豊山派、本尊~大日如来、拝観~境内自由、

高蔵寺境内の花

 

中部エリア 花の寺として紹介されている 寺名と主な花、 

見ごろの時期は下記のとおり:

1・西新井大師   ボタン     4月中旬~下旬

2・薬王院     ボタン     4月中旬~下旬

3・護国寺     桜、      3月下旬~4月中旬

4・池上本門寺   桜       3月下旬~4月上旬

5・高幡不動尊   アジサイ    5月下旬~7月上旬 

     

6・長泉寺     ふじ       4月下旬~5月中旬

         

7・吉見観音    つつじ・さつき  5月上旬~6月中旬

        

8.総持院     ボタン       4月下旬~5月上旬

            

そのほかにも 多く挙げられているが、これからの季節を考えて

選択させていただいた。

近場なので 興味あるかたは、ぜひ、訪れてみられたら如何と思う。

関西や日本各地でもそれぞれの名所があることだろう。

関東でもごく限られた地域の花の寺のご紹介となってしまったが、

そのほかのお寺に関しては、下記注にあげた本を参考にして

いただきたいと思う。

 

*東国花の寺百か所ガイド 2010年 朱鷺書房

 

 

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量子学の一如思想

2013年04月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

医学との共通性 平成25年4月22日

*****************************

 

今日は、人間不在の癒しは可能かどうか?

ということを少し考えてみたい

人間不在とは、患者の総合的な全体的判断に欠けて、

データ中心の医療をさしている。

 

医学の細分化、ミクロの世界に掘り下げられた緻密な分析的研究が、

行われるほど、患者の全体象がつかみきれずになっているという。

そのため、患者は、それぞれの専門分野にたらいまわしにされて、

そこで、その科の検査結果によて、臓器器官に診断名をつけられ、

本質的な総合的な判断が損なわれてしまう。

そのことを、現代の医学の盲点 と、池見博士*1 は述べている。

以前ブログで、 内田医師が ”生命医療” を求めて 現場で総合的な

視野で”生理の神秘”を踏まえた医療を試みていることを ご紹介した。

生命医療の点からみると、現代医学では、病気の背後にある、心身の歪み

に関しては、無関心か無視される場合が多いという。

池見博士は、”身心の症状という形で表面化している各人の生き方の

歪みについて、筋道をたてて、教えられることは、皆無といって

よいほどである。” 

と著書で述べ、

ここの器官や症状のみを対象とする 現代医学の在り方では、

 真の病根には触れることなく、症状とのいたちごっこを繰り返す” 

とする。

 

吉田法夫氏 は、余命数年の末期がん患者であり、

その予知された数年を超えて、元気に癌と共存する方法を、

自著にまとめられた(*2)が、その中にも、現在の医学が

データ中心であることを体験として綴っている。

 

”今の医学の主流(西洋医学)はデータが重視されています。・・略

近年、病気を治すうえで精神の部分が大きく作用して

いることが判ってきました・・略

 

病気をなおすうえで、データだけでは見えてこない、

患者さんの性格や心のありかた(精神部分)が、

病気と深く結びついていることがわかってきたのです。”

 

以前ブログでもふれたように、すでに最新物理学では、

分析的思考による、弊害を防ぐために、総合的思考が提唱されている。 

それを、東洋的神秘的アプローチと呼ぶ科学者もいる。

ある意味では 科学と哲学の融合的アプローチともいえるだろう。

ノーベル生理医学賞をとった、カレル博士の話の中にも、

人間と生物学的環境を総合的バランスを主体にして考える、

人間生態学の必要性に触れている。

こうした流れを受けて 近代医学の中にまだ残っている、

機械的体質医療(肉体を機械のように捉えて、弱った器官を

機械のパーツのように扱う)の改善のために、池見博士は

人間性の復活を試みた医療を展開しようと尽力される。

 

博士の言葉を借りれば

” 私共は、物質的な面での現代医学の進歩そのものを少しでも、

過小評価しようとするものではない。 

如何に進んだ、科学的な診断の技術も、いかに素晴らしい、

現代の化学薬品も病める人への全人的な理解をふまえて、

活用されるこによって、その威力を十分に発揮しその副作用を

最小限にとどめうるものであることを強調してやまないものである。”

としている。

 

池見医師があげている興味深い事例がある。

39歳のY夫人は動機息切れなど体の痛みを伴う症状で 

医師の病院に入院した。

診断は、自律神経失調症、筋痛症、感音性難聴 とついた。

この夫人と面接した池見医師は、意外な事実に驚かされる。

それは、夫人は4回の流産を繰り返し、人工授精を30回以上受け、

女児を設け、さらに、夫の男児の熱望を受けて、

再び人工授精を繰り返し、2子を設けた。

その人工授精は夫人にとって、苦痛以外の何物でもなく、

夫に密かな憎しみを募らせたという。

そうして、生まれた子供たちに、モルモットが腹に入っている” 

感覚が残っていて、愛情を感じることができなかった。 


これらの夫人の病名がつけられたのは、2子を出産した後、

実家で療養し 家族(夫と子供)のもとに戻ろうとするときに起きた。

これは、潜在意識で、夫のそばに戻りたくないという拒否反応が 

肉体を通して現れていたのだろう。 

夫への怒り、不満、を 再び冷静にみつめ、感情に走りすぎて

いたところを自覚し、夫婦間のしこりをなくすために、

主治医を交えて、話し合いをもった。

そして、夫婦間の理解が深まるにつれて、次第に症状が好転。

半年後には退院して、難聴 耳鳴り も解消された。

 

池見医師はこの症例をあげて、次のような実感を書いている。

”この例をとおして、私どもが感じたことは、

 夫婦間の感情問題もさることながら、医学的にできること、 

それによって、患者が幸せになるということは、必ずしも

一致しないということである。

 

人工授精そのものは、医学の大きな進歩であるが、

 動物と異なって、深く感じ考える人間であることを忘れて、

 そのような処置が行われる場合、かえって、人間を不幸に

する可能性さえも ありうる”

 

モルモットなどの研究は、人間生理学と結びつかないと

いわれたのは 大阪大学医学部の名誉教授だった。

心 と 体 の相関関係。


人間の全体的、有機的肉体のつながりとともに、

一つの哲学的配慮がなければ、総合的な判断は難しいと

いえるだろう。

 

その 哲学的配慮の根源を、池見医師は、”一如思想” に

あるという。

”たとえば、量子物理学のような科学の先端をゆく領域に属さない

 一般の科学者(医師も含めて)の中には、19世紀の科学観念を

 抜け切っていない人たちが多いようである。・・

  

そのために、人間としての実存、人間を生かしている全体

的秩序が見失われていたことに、ようやく気づきはじめている現状”

の中で、

”唯物論的な科学の代表者とされた物理学者も、 物質的な実在

の解析を進めるにつれ、東洋的思想、一体性 ないし、

全体性の概念との体験に近づいてきている。 

  

たとえば、量子力学者の マックス・ブランクは、’物理学を

一つの統一体として、考えない限り、われわれが求めるに足る、

 物質的法則を見出すことは不可能だ’とするように。”

と池見博士は述べる。

 

ここでいう、全体性の概念とは、どういうことか?

それは簡単にいえば、一人ひとりの人間の中で働く秩序の力、

それは、皆がともに分かち合っている、大きなあって在るべき力、

あるいは、その秩序の一部分であるということだ。

それを池見博士は、自身の言葉でこう結論している。


”仏教であれ、キリスト教であれ、その他もろもろの宗教、

宗派であり、洋の東西をとわず、あらゆる宗教の中心をなすものは、

一体性、ないし、全体性の概念と体験であると思われる”


これを一如思想といい、これまで見てきた、池見博士の 

自己コントロール法の基礎概念にも相通じるものであろう。

 

*1)池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:、

大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)

日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業 

戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。

昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、帰国後、

日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会

を設立し、初代理事長になる。


翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された

精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、

内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法

を体系化、実用化に尽力した。 


九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、

日本心身医学会名誉理事長、国際心身医学会理事長、 

日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。


書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。

平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。

84歳。


*2)”末期がんを元気に生きる” 吉田法夫著 文芸社 2010年発行

 

参考図書)”セルフ・コントロールの医学” 

s・57年9月1日 日本放送出版協会

 

鶴川・高蔵寺のシャクナゲ

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宋さんの養生法

2013年04月21日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

死をギリギリにして 平成25年4月21日

**********************************************

 

癌と同様、難儀な心臓病で何度も死期を迎えそうになった、

池見博士の患者に 宗さんという人がいる。

ある病院で、心電図を量れば、その変化があまりに有りすぎて、

心電計が壊れていると医師が判断して

再度撮り直しということもあったぐらいだという。

宋さんは、何度も死線を越えて、もういよいよダメだと

 自分で見切りをつけたことがあった。

そこで、残される子供たちに、遺言として、次の言葉を残そうと

書き留めた。

それは、日常生活の心得についてだった。

 

1.  浮世離れをすること、他人のことを気にしない

2.  自然を友とし、自然に溶け込むこと

3.  医者は病人ではない、と心得て、自分に一番あった、

養生法を見つけること

4.  病人ながらにできる仕事を忘れない

5.  信仰にたよらず、神(自然の掟)に従うこと

とある。

 

1)の、浮世離れすることとは

自分の視点をもつことだろう。他人の目で価値を判断しないこと。

2)の自然に溶け込むというのは、

自分と自然の本質の同様であることを自覚し、自然に調和した生活

を心掛ける事だろう。

3)の医者は病人ではないというのは

医者の示す療法は とかく、マニュアルにはまりがちであることを知り、

自分の体が何を一番欲しているのか、直観で知ることでもあろう。


とかく、大病院では、全体的な判断が足らず、人間的ではない

扱い方に甘んじなければならないときもある。


自分の病は 自分のものなのだから自分の自然の心に聞いて、

一番良いと思われる方法を選びなさいということなのだろう。

4)の自分のできることは

病人であるということに甘んじることなく

できる範囲で、する、かつ、仕事という責任感をもって、人様に

貢献できる何かをし続けることの大事さを言っているのだろう。

5)の、信仰にたよらないというのは

弱いときの、神頼みをして、神様にすがる という気持ちから、

自分自身を忘れることがないように、という戒めだろう。

 

先の 池見博士の自説にも、宗教に潜む、陥りやすいマイナス

ポイントとしてこの点は、あげられていた。

自分を忘れた神頼みは、ある意味、宗教の奴隷 と化してしまう

ことがあるからだ。

 

この 養生訓 を書いてから、発作はあるものの、小康状態を

保っていた宗さんであった。

池見医師は、この宋さんに対して、有るとき、九大医学部の

専門課程の3年生4年生の臨床講義に出て話してもらうよう

頼んだ。


宗さんは2時間かけて、自宅から大学まで、バスにのって

やってきた。

そして、講義が終わってから、ふところから ある書類

を取り出した。

それは、九大の ’医学部長宛ての、誓約書’ で、封筒の表には

宗さんの 親戚の電話番号が記されていた。


誓約書の内容は、

この軟弱な体で九大に行き、講義をすること、

(その最中に心臓発作が起こることを想定して、)

その講義は、自分の意思でしたことと、よって、九大医学部には、

その責任は無いこと。

死んだときは、死体解剖をして、医学研究の参考にするように

という意思もしたためられていたという。


このように 常日頃、死を意識している宗さんであったから、

彼の語る、その言葉 一つ一つには非常な説得力があり、

全学生に共感と感銘を与えたと池見博士は記している。

 

同時に、現代文化が死を忘れた文化であるからこそ、

病気になってからの心の準備が整わず、苦しみを倍増する場合

があると博士は指摘する。

“現代は科学や医学が進歩し、私たちはその恩恵の浴して

生きている。

 

これはありがたいことではあるが、苦しい事、危機に対する

精神的肉体的体制はすっかりもろくなってしまった。

…略…

死を忘れた文化は単に人が死のことを忘れているということ

ではない。

人生観や価値観に深くしみこんでいる。

そういう人生観や価値観は病気をしている人を苦しめるものとなる。“

 

死 を怖い疎ましい存在として捉えるか否か?

死 を新たな出発と理解できるか?

あるいは、脳死とともに、自我意識が消えて、すべては無に帰する

と信じているか?

人 それぞれの考え方があるだろう。

 

宋さんの遺書の文言に、首をかしげる人もいるかもしれない。

唯脳論者であるという読者がおられれば、この機会に、3月中旬の

筆者の拙いブログを 気の向いたときにご覧いただければと思う。 

かちかちの、唯脳論者だったと述懐する、元福島大学教授、

飯田史彦氏の”死者との霊交信記録”が、紹介されている。


死ぬということ、死んだあとの意識の持ち方、あるいは、

この世との関連など、元福島大学飯田教授は、自著に記している。

 

ドラマチックで、信じがたい話ではあるが、氏の体験談だから、

ある意味 科学的といえるかもしれない。

 

日本全国津々浦々 あの世からの霊魂が飯田氏の心に訴えかける。

”助けてください。私は浮かばれないのです。

残してきた家族に許してもらい、受け入れられるまでは・・” 

 

その、切実なテレパシーによる訴えが 氏の心を突き動かし、

これまで日本全国、駆け巡り、無償でその訴えに こたえて

人知れず、活動されてきた。(*1)

その体験は興味深く、また、私たちに何かを訴え、未知な領域へ

目を向ける説得力を持っていると 感じている。

宋さんの養生法を間接的に、裏付けるお話しでもある。

 

 

注1) 3月7日、12日~18日 ブログに掲載

参考)池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:、

大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)

日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。

戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。

昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、帰国後、

日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会

を設立し、初代理事長になる。


翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された

精神身体医学研究施設

(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、内科疾患を中心に、

心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化に尽力した。


九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、

日本心身医学会名誉理事長、

国際心身医学会理事長、 日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。

書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。

平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。84歳。

 

参考図書)

”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会

 

 

 

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