自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

心身一如と内科

2013年04月10日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

心療内科の意義 平成25年4月10日

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東洋では、肉体は単なる肉体ではなく、“哲学の座”となること

によって、本来の役割を果たすことになるとされている。

池見博士の信念でもある。つまり、心身一如の精神を、

東洋哲学の底辺とするのなら、まさしく、肉体と精神と、

切り離すことができないということになる。

 

Aの知性(昨日のブログ参照)は 部分的な秩序の解明に

陥りがちな現代科学への盲信を離れ、人間的欲求に基づく、

自己実現の限界に深く思い至ることだろう。

Aとは、人の心の主体性をもった意識でもある。 

その知性が働いたとき、現代科学でみられるような、全体から

切り離された部分的研究の限界と、本能的な快楽欲求

文化的要求が 究極の自己(昨日のブログ参照)を達成する

ためには、限界に気づくだろう。

 

ここにおいて、Aは “造化の妙を生かす人為の巧み”というのは、

山田無文老師が”花を生ける心”に関して、述べられた表現だが、

これは、一人 自己実現への心だけでなく、人を育てる心、

文明を育む心にそのまま通じるものといえよう。


こういう種類の知性が、生かす という心をはぐくむという。

それは、自分を生かす というのにとどまらず、他者を生かし、

より深い文明の発露に役立つことになるだろう。

 

さらに Pの心(昨日のブログ参照)は 人間的な 努力による 

道徳の実行がもつ限界に思い至ることであろう。

道徳の実行とあるが、善行でもあり、福祉的行為やボランティア

のような愛念による仕事も含まれるだろう。

 

偽善に陥りやすい 善行の実体に目覚めるにつれて、バイブルに

あるように人に施しをしている場合でも “右手のしたことを

左手に知らしめるな”(マタイ伝6章)といった謙虚な姿勢に

なることであろう。


つまり、良いことをする裏にある、AやCの心(昨日のブログ参照

に潜む、別の目的を含んだ行為について、反省が促されると

同時に、人に見せる善行をせずに、真の自分の欲する行為として、

結果を求めない、善行が行われるべきだとする。

 

このように セルフ(S)への目覚めは、世間の子としての

PACの中身を一変させ、絶対謙虚の生き方に転ぜしめるのである。


次に 第二の孤独ともいうべき “人格的な孤独” からの本当の

救いは、孤独や死という共通のきずなでしっかりと結ばれ 

自然の命に生かされている者同士としての実感からにじみ出る、

純粋なる愛の発露による他はないものと思われる。


こうして 自覚するにいたった セルフ、つまり、統一された自分

らしい本質の自我意識は互いに 愛と理解 という絆で結ばれて、

生かされていることに感謝をしながら、謙虚さを失わず、相手の

領域を尊重し侵すことなく、調和した関係が保たれていくこと

を理想とする。

 

このような理念を持ち、池見博士が、自ら 専門の 医療領域で

研究を重ねて、日本で初めての心療内科を確立される。

引用する。

九大医学部に 全国で 最初の心身医学の研究施設

(現在の心療内科)が発足して以来、私どもがただ一筋に

求めてきたものは、人間の心と身体の結びつきを追及する

ことによって、心身一如の健康と幸福を実現するための

医学的な方法をみつけだすことであった。


というのは、近代社会でみられる、物心両面でのアンバランス

解決するための心棒となるのは、人間自身について、

心と身体のバランスの有り方を解明する心身医学である

考えたからである。略・・・


人間の精神を取り扱うといえば、直ちにノイローゼや精神病

を連想し、宗教まがいの非科学的なことをするように

曲解する風潮が今日なお、根強くのこっているようである。 


わたしどもが、物質や肉体に偏った現代の文明や医学の有り方

に対して、精神面を強調すればするほど、ノイローゼや

精神病の医学の宣伝とはや合点されてきたものである。”

と述べておられる。

 

今でこそ、心療内科に対する理解は、一般的に知られるように

なってきたようだが、当時まだ 昭和の中期、 池見博士の

世間の抵抗に対しての尽力は、想像以上のものだったと推測する。

 

 

池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:、

大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)

日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。

戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。

昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、

帰国後、日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)

日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。


翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された

精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、

内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法

を体系化、実用化に尽力した。


九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、

日本心身医学会名誉理事長、国際心身医学会理事長、 

日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。

書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。

平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。84歳。

 

参考)

”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会

 

 

 

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