居酒屋黙示録 新章 暖簾を繋ぐ刻

旧き善き銭湯を訪れ、立ち飲みを巡り、居酒屋で思う。

呉の銭湯跡探訪

2016-05-03 08:31:11 | 銭湯
仕事が早く終わってしまう日というものはあるもので、さて何するかなと考えてしまうことがある。
本屋は行ったばかり、家に帰っても娘の習い事の日は誰も居ない時間だったりすると下らないことをしてみたくもなる。
てな訳で銭湯跡でも見てみるかなと色々探してみる。
情報ソースは主にネット、関西の激渋銭湯を始め、風呂屋の煙突、あとはミクシィにも呉の銭湯コミュがあったりする。
色々調べて廃業して情報が残っているのは、神原湯、石川湯、畑温泉、胡子湯(長浜)、胡子湯(広)、桜湯、桃湯、大国湯、寿湯、大正湯、呉一の湯、谷乃湯、後は吉浦の大正湯、川尻の野呂山温泉位か?
倉橋島の室尾にも二軒の銭湯が在ったというが、桂浜温泉館に立ち寄った時、探してみたが見つけきらなかった。
神原湯、畑温泉、桜湯は既に見ており、胡子湯(長浜)、谷乃湯は既に建物もない。
川尻の野呂山温泉も見たことがあるので、主に市内西部が未訪地域だ。

そんじゃ一軒だけ少し離れた石川湯から見に行って見ますか。
呉湾東側の高台が呉市宮原である。
休山の山麓に拡がる高台の町で古い町並みが色濃く残る地域でもある。
呉湾、海上自衛隊呉基地、戦艦大和を作った海軍呉工敞の現在の姿JMU呉工場を一望する事ができる。
古い町並み故に狭く曲がりくねった二本の生活道路と細い路地や階段が縦横に入り組んだ所だ。
二本ある生活道路はその位置関係から上道路、下道路と呼ばれていて、下道路の方が江田島市まで続く国道487号線だが、江田島市まで行くのならば近年開通した警固屋バイパスを通り第二音戸大橋を渡る県道の方が断然早い。
更に細く見通しも良くない上道路のすぐ下側に石川湯の建物が残っていた。
大体銭湯跡を探す場合、煙突か大きな建物を探すのだが煙突は少し奥まっており、さらに正面入口が道路側に向いていなかったので二、三度前を通り過ぎた。
入口は上道路から数メートル階段を下った所にあり、ガラス戸ど向こうにはまだ暖簾が残っているようだ。
道路の高さからは湯気抜きの窓や、その奥の煙突も見てとれる。
煙突は金属製の上方が細くなった形状は船の煙突のような趣がある。
古い建物だがまだしっかりとしているような印象を受けた。

次は大正湯跡を訪ねるために吉浦の町へ向かう。
宮原からならば海上自衛隊の呉警備隊と呉教育隊の間の道を抜けて海岸に沿ってゆめタウン前を通り国道31号線にでる。
かなり古く暗く長い魚見山トンネルを抜ければ吉浦だ。
国道の海側にはマンションが増えたが、山側は古い家が多い。
吉浦には造り酒屋が残っており昔一回買いに来たことがあるが、銭湯が在ったとは知らなかった。
住所検索し地図と重ね合わせて探したが、どうやら既に建物もなく新しい住宅になっているようだ。
まあ仕方あるまい。
トンネルを抜けて旧市街へ戻り、呉市海岸に在ったと情報のある呉一の湯、大正湯を探してみよう。
国道から一本入って路地沿いで大正湯の建物は現存しており、あっさりと見つかった。
看板も残っていて、アルミのサッシドアには男湯女湯の文字もある。
建物が道に沿って少し斜めになっていて、右手の女湯のドアは道に真っ直ぐ向いているが、男湯のドアは道から斜めに入って行く感じに取り付けられている。
上に見える大きな窓の内側は白く厚いカーテンに覆われている。
剥がれ落ちてしまった入口付近のタイルがここはもう廃業してしまったのだと主張しているかのようだ。

近くに在ったと言われる呉一の湯はその跡を発見することは出来ず、三条の桃湯へ向かう。
以前の日記にも書いたが桃湯は近所に住んでいて通った時期もあり探すまでもない。
JR呉線の跨線橋脇の細い道に未だその姿はある。
改めてみると間口四間の煉瓦風のタイル貼りの外観、アルミサッシの引き戸に男湯女湯の文字も未だ残る。
上方にはコカ・コーラ看板の下に桃湯の文字の電光看板。
間口四間と普通の家とあまり変わらない小さな銭湯だったが、奥行きは流石に長いようだ。
未だ建物もしっかりとしていて住宅として住んでいるようである。
そして三条商店街の方に向かい寿湯跡へ。
記憶では少し距離があると思っていたが、頭に描いていた位置よりずっと近い所にあった。
外観は緑掛かったタイルの小洒落た建物で、看板も残っている。
ガラス戸にも男湯女湯の文字があり、二枚の扉の間はガラスブロックの装飾だ。ミクシィの投稿で読んだが、一度改装して綺麗になっているようだ。
確かにこの外観は記憶にない。
改装した跡に一度も行っていないのが口惜しい。

大国湯は実は行ったことがないし、近所に住んでいた割には存在も知らなかった。
休業日が重ならない銭湯が二軒在れば三軒目は必要としないしなあ普通。
という訳で探してみたがここが一番苦労した。
住所検索しても詳細な位置までは掴めず、ミクシィに投稿された写真を頼りに30分程して漸く発見した。
現在は普通の住宅になってるようで、間口三間の小さな建物は当時の写真と見比べてやっと銭湯であったと分かる。
二階部分の外観は手をつけられずに残っており、そこがなければもう見つからなかっただろう。

行ったことがある銭湯、ない銭湯取り混ぜて訪ね歩いて見たが、営業していなくても建物が残っていると安心する。
人々の生活が確かにそこで営まれていた確たる証拠が残っていたのだから。
銭湯という素晴らしい空間が、この国に在ったという証なのだから。

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