居酒屋黙示録 新章 暖簾を繋ぐ刻

旧き善き銭湯を訪れ、立ち飲みを巡り、居酒屋で思う。

呉市仁方 一の湯

2015-06-23 12:33:11 | 銭湯
呉市から国道185線を走り、長いトンネルを抜けると呉市の阿賀地区、更に進むと最近郊外型大型店舗が増え、どんどん町が発展してきた広地区にはいる。
町は発展しても、消え行くものは変わらず。
昨年末には阿賀にあった谷乃湯が、そして今年広本町にあった胡子湯が廃業している。

広本町の胡子湯は昨年末に一度入った。
広交差点から商店街を進む。
入口付近は飲食店、奥の方にはパンや和菓子店、自転車店、洋品店など昔ながらの商店街だ。
その商店街から細い露地へ入り10メートル。
マンションの真ん前に胡子湯はあった。
間口四間の小さな銭湯だった。
脱衣場の仕切り壁側に後付けらしいサウナがあったが休止中だった。
浴室の造りは関西タイプ。
浴室中央に段つきの浴槽があり、3つに分かれている。
カランは外壁、仕切り壁共に10個、シャワー付だったがコックを捻ってもお湯は出なかった。
街中にありカラン、ロッカーも多い。
昔はかなりお客さんも多かった事が見てとれる。
鏡の脇の広告は殆ど剥げてしまっている。
寒く冬の夕方だった。
浴槽の温度も低く、中央部のバイブラの泡が更に湯温を下げてしまっているようだ。
入浴後に悲しい気持ちだけが残った。
多分、自分にできるのはこの銭湯を記憶に残すことだけだろう。
その時の予感は、半年後に現実となった。

広にはもうひとつ、胡子湯があった。
広交差点から海の方へ、米軍の弾薬庫脇を抜けると広の長浜地区だ。
ここにも胡子湯という銭湯がかつてあった。
その話はまた別の時に記そう。

JR呉線で言えば、広駅の隣りが仁方駅である。
駅前は少し広くなっているだけ。
短い道を真っ直ぐいくと廃業してしまったのか、酒屋らしきシャッターの降りた店があるくらいだ。
そして小さな惣菜屋さんの横に細い露地があり、家一軒分進めば一の湯の暖簾が見える。
この暖簾は出しっぱなしの様で、初めて来た時は暖簾が出てるのに休みだった。
引戸を開けて中へ、三和土の端に靴を置き番台にお金を払う。
脱衣場は奥半間がタイルで後は板張り、外壁側に半坪程の小さなサウナがあるが休止中のようだ。
サウナの壁から続いてロッカーが6列3段、ロッカー下は常連客の洗面器置き場のようだ。
仕切り側は番台の方から、冷蔵庫、扇風機、体重計、縁台と鏡、マッサージ椅子と並び浴室入口まで続いている。

浴室も奥行き三間あり、間口の割に広い。
浴槽は仕切り壁奥から薬湯、深湯、バイブラ付の浅湯と3つに分かれて二間弱。
カランは仕切り側に2個と立ちシャワー、外壁側にシャワー付の7個。
カラン上に洗面台にあるような、白い陶製の石鹸置場がカラン毎に付いている。
床は六角のモザイクタイル、壁は白い角タイル、浴槽は水色の角タイルで薬湯だけは昔のタイルのようだった。
天井は然程高くなく一間半程、湯気抜きは三間程で浴室中央の一間四方。
仕切り壁の上部はガラスブロックが二段積まれている。
身体を流し浴槽へ。
薬湯は実母散のような黒っぽい色だが何か分からなかった。
他に客もいなかったので身体を伸ばし深湯を独り占め。
湯温は丁度よく長風呂もできそうだ。
10分程も浸かり、上がりに水を浴び身体を拭く。

マッサージ椅子の近くに古いカレンダーが貼ってあった。
パソコンで自作された呉の銭湯カレンダーのようだ。
パラパラと捲って見ると、もう廃業された銭湯の画像が残っていた。

呉市東部の銭湯はここ一の湯と、阿賀の鶴乃湯だけになってしまった。
西部の銭湯もどんどん廃業している。
独身の頃、旧市内に住んでいた時通った銭湯も今はない。
スーパー銭湯を除いて、組合に属する銭湯はもう数える程しか残っていない。
一介の銭湯好きに出来るのは、その記憶を残すこと。
このブログはそのために始めた。
更新は遅いだろうが、昔行った銭湯の事も記憶を掘り起こし書いていくつもりだ。

(2015年5月の探訪記録)

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