“霜月の朝、収穫を終えた田んぼに立った。凛とした気配の中で、辺りを見渡す。機械で細かく切り刻まれたわらが、田んぼ一面に広がっている。日の経過とともに茶色くなり、やがて土に返る。近くでもみ殼を焼いているのだろうか。プーンといがらっぼい匂いがする。遠い昔から続いているであろう、日本の田舎の原風景である。
今年の夏は猛暑で、農作業をするには、年齢的にもずいぶん苦しめられた。しかし、台風の影響も受けず、米は豊作であった。農作業を頑張った分、神さまからの贈り物だろうか。大きな自然に感謝、感謝である。農を営んでいる私は、たくさんの人々の命を支えているという自負がある。だから頑張れる。
冬に向かっていくこれからは、すべての生き物が静かになり、また近くの山の木々も裸木になり、里山も冬眠に入る。米の収穫という大仕事を終えた田んぼもやがて静寂の中に。田んぼは限りない食の宝庫である。体力の続く限り、微力ながらも大切に大切に守っていきたい、と田んぼに語りかけた。”(12月5日付け中日新聞)
滋賀県彦根市の農業・松本さん(女・80)の投稿文です。詩のような文章と感じた。でもまさにこれが田んぼである。農作業の方法は変わったが、田んぼは昔のままである。ボクにもわずかになった田んぼがある。そして、自宅から外に出れば田んぼの風景である。刻まれた藁が広がった今朝の田んぼは霜で真っ白である。松本さんは、限りない食の宝庫といまだに米作り作業をされている。都市近郊の田んぼは随分減った。次々住宅や工場が建っていく。農業では成り立たない、都市近郊の宿命であろう。
少なくなったと言ってもボクの回りは田畑である。松本さんのようにその風景を楽しむことはできる。田は委託して作ってもらっているが、わずかになった畑は自分で作っている。野菜や花を作る楽しみは維持できている。専業農家で育ったボクに、都会に住むことは苦痛だろう。今の環境をありがたく思う。
田んぼは洪水調整池の役割を果たしてきた。減ればその対策を施さねばならない。それが遅れて各地に水害が起きている。前回の「話・話」の川尻さんのような山間地の荒れも対策が必要である。北海道胆振東部地震での山の崩壊には驚いた。いずれ全国になるだろう。その被害は大きく、対策は困難であろう。国や地方公共団体は今何をなすべきか、何が重要か、今一度振り返って欲しいと思う。
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