“私の父は九十四歳。岐阜県下呂市の山深い地域に、私の姉夫婦と暮らしている。周りは杉やヒノキなどの森林。私が十五歳まで暮らした実家だが、今も水道はなく、山からホースをつないで自然の谷水を使っている。大雨や台風などの時は、ホースが流れてしまい、水がこなくなるときもある。杉やヒノキの倒木によって、道路が通れなくなったり、停電になったりもする。
イノシシや猿、シカなどの食べ物も少なくなって、民家近くまで動物が下りてくるようになった。民家の人たちは金網などで柵を作らなければ、野菜などの作物を作れない状態となっている。
山奥なので携帯電話の電波も入らないし、携帯ラジオも使えない。自然の木の山は、山で水分が長く保てるが、杉やヒノキの山では、大雨が降ったときに山で水分が保てず、川にそのまま流れ込んでしまう。そのため氾濫などが起きてしまう。
豊かで便利になった日本で、まだこんなところに暮らしている人がいることに驚く人もいるだろう。父は年々、脚力が弱くなってきているが、自分のことは自分でやるようにと頑張っているそうだ。いつも父のそばにいてくれる姉夫婦に感謝の気持ちでいっぱいだ。”(12月2日付け中日新聞)
岐阜県坂祝町の川尻さん(男・67)の投稿文です。時折こんな所に人家がある、どんな生活をしておられるのだろう。住めば都であろうか、そんな思いで通り過ぎることがる。その一つがこの投稿であろう。水道はない、電波は届かない、野生動物が襲撃してくる。豊かになった平成の時代である、まさに驚くばかりである。
川尻さんのお父さんやお姉さん夫婦は都会の生活をどんな目で見ておられるのだろうか。それも聞きたい。便利な都会生活を羨ましがっておられるのか、それとも悲惨な事故や事件ばかり起きている都会を冷ややかな目で見ておられるのか。多分、ものは豊かだが心は貧しいのを嘆いておれるのではなかろうか。
都市は人口が集中し、過疎地はますます過疎化が進んだ。川尻さんのお姉さん方など今住んでいる人が最後で、その方が亡くなれば誰もいなくなるのではなかろうか。そして住む人がなくなった大地は荒れる。いずれそれは下流にも及んでくるだろう。狭い日本といいながら全体のバランスが取れていない。効率を求めた結果だろうか。日本全体の青写真が描けていなかった、狂っていた、何か虚しく思うがどうすればいいのか、ボクには思いつかない。
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