“愛知県大治町で暮らす高校生になった孫が中学校三年生のときのことです。孫の自転車が登校中にパンクしました。始業時間が迫っていたため、やむなく自転車を通学路に置いて学校に向かったといいます。夕方、授業や部活動を終えた孫が自転車を放置した場所に戻ると、何と自転車はすっかり修理されていたのです。自転車を家まで引いて帰るつもりだっただけに孫は思わぬ親切に「跳び上がるほどうれしかった」と話していました。
私は昨年暮れ、孫の母親である私の長女からこの話を聞きました。何と優しい方がいるものか、世の中はまだ捨てたもんじゃないなと思いました。おかげさまで孫はその後もその自転車で中学校に通学することができました。三月に卒業し四月からは高校生になりました。今となっては自転車を直してくれた方を捜しようがありませんが、その節は孫が大変お世話になりました。本当にありがとうございました。”(4月8日付け中日新聞)
名古屋市の小川さん(女・83)の投稿文です。本人が頼まないの、本人が知らぬ間に、パンクした自転車が直してあった、こんなことがあるのだ。こんなことをする人があるのだ。今の世の中、自転車がなくなってもおかしくない。多分直した人は、パンクして困っていた中学生を終始見ておられたのであろう。そこで、直す気になられた。そして、自分の名も何も記されなかった。それにしても親切である。親子共々感激するのはもちろんである。そしてこのことは一生忘れないだろう。それが次の親切に続くのである。恩送りである。こうしたことの積み重ねが世の中をよくする。
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