“昨夏の誕生日、主治医から難病と診断された。数ヶ月前から熱や痛みがあった。マラソンが趣味の私は岐阜県でのハーフマラソンや金沢市のフルマラソンにエントリーしていた。治療のために二ヵ月ほど入院した。主治医に「走れますか?」と尋ねたが、かなわなかった。
十月末に退院してすぐ名古屋ウィメンズマラソンのボランティア募集を知った。過去にランナーとして申し込み抽選に外れた大会だった。私はそこで走れなくても走る人を支えたいと思った。十日のマラソンは私にとって初のボランティア参加だった。
ゴールのナゴヤドームで走り終えたランナーを迎えた。ボランティアには私と同じく病気の人もいた。私は汗をぬぐう彼女たちに「お疲れさま」と自然に声を掛けることができた。全身のしびれは残るが、ボランティアとして走りきることができて満足感を覚えた。”(3月31日付け中日新聞)
岐阜県関市の会社員・山田さん(女・45)の投稿文です。難病になってマラソンが走れなくなった。そしてマラソン大会のボランティア募集を知り、それに応募、首尾よく目的を果たした、という話である。難病になって悲嘆に暮れて終わっても何ら不思議ではない。そこを次の活躍場所を求めて頑張るのである。これぞ強さである。生きている限り生を尽くす、こうありたいものです。しかし、これはいうほどには易しくない。順風の時は何でも言えるが、逆風になると何にも言えなくなる。
ボクなどそれ程大きな逆風はなかった気がする。数え上げてみれば、第一志望の大学に落ちたこと、結婚を両親に反対されたこと、椎間板ヘルニアで入院したこと、仕事で大事故に遭ったこと、そして3年前に前立腺ガンの手術をしたこと、こんな程度でなかろうか。第一志望は落ちたが第二志望は受かった。結婚も最後には認めて貰った、椎間板ヘルニアは信じられないほどの回復を遂げた、大事故は時間が解決した、前立腺ガン手術は、尿漏れは残ったがもう恐れはないだろう。このようにいずれも乗り越えてきた。難病などと言う乗り越えられないものはなかった。問題はこれからであろう。いよいよ本番である。
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