“三年前、体調を崩し仕事を続けることができなくなった。忙しい毎日から一変、何をして過ごそうと途方に暮れた。幸い、図書館や小学校の傷んだ本を修理する製本ボランティアをしていたので、この機会にこども園の絵本も修理できたらと考えた。
さっそくご縁のあった園に連絡しスタート。たくさんの絵本を前に、どこから手を付けたらいいのかと思いながらも、一冊一冊表紙を磨き、破れたページを直していく。傷みが激しい本は人気の証し。手ごわい本ほど、よみがえっていくのがうれしく楽しい。今までこの本を何人の子が手に取り、ページをめくったのかな、などといろいろ思いが巡る。本に残る傷や、かわいい歯形。一つ一つがいとおしくて笑えてくる。
始まりは時間つぶしのような感覚だったのに、すてきな作家との出会いや、楽しい発見に私の心は幸せになっていく。時には読み込んでしまい、思わず涙がこぼれたり。絵本の癒やし効果を実感。仕事に復帰した今も空いた時間は絵本修理をする。生活の中にバランスよく定着した。
今はコロナ自粛で、園の本を預かり自宅で音楽を聴きながらだが、やっぱり園を訪問して、子どもたちの元気な声をBGMにやった方が楽しいな。そんな日が待ち達しい。”(8月3日付け中日新聞)
愛知県豊田市のパート保育士・東さん(女・63)の投稿文です。本の修理、こんなボランティアもあるのだ。図書館や小学校、そして、時間が空いたらと更にこども園の絵本も手がけられた。これも気持ちと技術があったからできることである。そして、何事も行えば行っただけの意味がある。その意味は喜べる場合もあるし、あまり喜べない場合もある。この場合の東さんは大きな喜びを与えられたようである。
仕事に費やす時間大きい。そして辞めたとき、その時間の過ごし方が大きな課題となる。新たな上手な使い方を見つけられるのか、楽になったとただ無為に過ごしていくのか、ここはその後の生き方の大きな分かれ目である。定年後のいろいろやりたいと思われる人は多い。ところが、いざ定年となるとすぐに時間を持てます人が多い。特に男性に多い気がする。ボクが思うに、定年になってから準備するのは遅すぎるのである。その前から少しずつ手を付けておくのが賢明と思っている。
その点ボクは恵まれてきたと思っているが、しかしこのコロナ禍でいろいろ奪われてしまった。この後どうするか、ここが本当の正念場という気がしている。
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