“六月九日付本欄「『禍』と『蝸』調べて納得」を読んで、なるほどと思った。私も早速、自分の名字の「池」を調べてみた。池は水を示すへんのさんずいと横に広がるという意味の「也」を組み合わせて成り立っており横に広がった水面ということで池となる。「池」には「地」や「馳」が似ている字としてあった。「地」は土が横に広がり、「馳」は馬が横に広がるという意味だそうだ。このように漢字は、その意味を知った上で足し算をするみたいに理解していけばいいのだ。
振り返れば母も私に同じように教えてくれた。「絞るは雑巾を絞るときのことを想像してみて?糸が交わるよね」。隣でこう教えてくれたことが懐かしく思い出される。”(7月9日付け中日新聞)
岐阜県可児市の主婦・池田さん(33)の投稿文です。この「話・話」では、もう何回も言葉について話題にしてきた。特にカタカナ言葉の氾濫については、ボクも何か言いたくて取り上げることが多い。今回もカタカナ言葉に対する意見と言えよう。漢字のへんとつくりには意味があるというのである。池田さんが紹介された例のように、へんとつくりの意味を理解すると、漢字全体の意味が意味が読み取れる。漢字を作った知恵というのは全く凄いと思う。
漢字を覚えるのは難しい。でも何でこんなに意味のある漢字を捨てていくのか。グローバル化であろうか。でも固有文化を守ってのグローバル化ではあるまいか。これも老人の意見であろうか。
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