“愛知県江南市が主催する今夏の講座で教えてもらっな言葉、「今日もいいことありました!」が気に入っています。毎朝、鏡に向かってにっこりと笑ってこのフレーズを唱えると自分も家族ら周囲の人も一日を前向きに過ごせますよと講座で紹介されました。早速私はこのことを実践してみました。
寝ようと横たわった布団の中で「空がきれいだった」「洗い物をしたら水が冷たくて気持ちが良かった」・・・。こんなふうにその日を振り返られるようになりました。「病気やけがをすることなく過ごせただけでとても幸せな一日でした」。そう思いながら寝付くと十分な睡眠が取れる気がして目覚めも随分よくなりました。
もちろん日中は五感をフルに動かし、これまでは見逃してきたようなささいなことにも気付けるようになって驚いています。「今日もいいことありました!」今朝も元気にそう唱えています。”(10月12日付け中日新聞)
愛知県江南市の主婦・伊藤さん(38)の投稿文です。人間の日常など、いいことも悪いことも織り交ぜて過ぎていく。それを「今日もいいことありました!」と、いいことばかりに目を向けて過ごしていくという。それも言葉に発して言うのである。気持ちは明るくなるでしょう。満足ばかりしてそれ以上高みを目指さないのもいけないが、悪いことばかりに目を向けて落ち込むのもよくないでしょう。ここは明るい気分で次の高みを目指すことでしょうか。
伊藤さんは振り返るのを布団の中で横たわってからと言われる。こういう話を聞いて、ボクも知らぬうちにしていることに気づいた。それはお墓の前である。ボクの墓参りも、ここ数ヶ月でほぼ毎日が習慣化してきた。墓の前に立って、何を思うか、何を唱えるか、思案していたときがある。そしてボクは昨日を振り返ることと、今日も穏やかに過ごせるように祈ることを、知らず知らずするようになった気がする。感謝しながら「昨日もいいことがありました」、穏やかに過ごせいました。そして、今日を思い描きながら、無事すぎていくことを祈る。実はこんな日々が来ることを、昨年までは全く思っていなかった。ボクの家のすぐ前の河川堤防が、今年3月遊歩道化された。この遊歩道設置には自分も関わったことがあって、積極的に使わねばと思った。そして自宅を出て、まず畑を見て回り、その後お墓へ行く。そして遊歩道を通って帰る。1.5km、20分ほどの散歩である。
夜寝る前に、今日一日の幸せを箇条書きにして、休みます。憂いる事よりも幸せのなんと多い事か。
夫を亡くした当時は哀しみにくれ自分だけがなぜ?と不幸を嘆く毎日でした。
その中にもあった数多くの幸せに気づく事もなく、ただ漠然と無駄に過ごした数年でした。
あれから八年の月日が経ち、心にも余裕ができました。全て自分の力ではなく回りの皆さんのおかげさまで、今がある事を忘れてはならないと肝に命じています。
過ぎた事を憂いるよりも、前向きに進み、古稀を過ぎてもまだまだ夢はいっぱいです。
私も唱えます。幸せを。
夜寝る前に、今日一日の幸せを箇条書きにして、休みます。憂いる事よりも幸せのなんと多い事か。
夫を亡くした当時は哀しみにくれ自分だけがなぜ?と不幸を嘆く毎日でした。
その中にもあった数多くの幸せに気づく事もなく、ただ漠然と無駄に過ごした数年でした。
あれから八年の月日が経ち、心にも余裕ができました。全て自分の力ではなく回りの皆さんのおかげさまで、今がある事を忘れてはならないと肝に命じています。
過ぎた事を憂いるよりも、前向きに進み、古稀を過ぎてもまだまだ夢はいっぱいです。
私も唱えます。幸せを。