“私は二十歳から保育に携わり、四十歳のときに自ら設立した幼稚園で今も毎日のように園児と触れ合っています。毎朝園庭に出れば、園児たちが「先生、見て見て」と私の手を引いて鉄棒や登り棒の近くまで連れて行き、得意顔でできるようになったことを見せてくれます。もう少しでできそうな子を励まして成功したときは自分のことのようにうれしく思います。
働き始めた頃は不安もありましたが、周りに聞いたり先輩の園児への接し方を見たりして少しずつ経験を積んでいきました。次第に園児との信頼関係ができ、子どもの園での様子を伝えることで保護者とも親しくなっていきました。
本欄で保育士や幼稚園教諭を希望する若い人の投稿を読むとうれしくなります。私は「幼・保育園ほど良い仕事場はない」と自負しています。私と同じように幼い子どもと接する仕事を天職だと思える後輩が一人でも増えたらいいな”(3月16日付け中日新聞)。
名古屋市の日比野さん(女・86)の投稿文です。転職と思って仕事を終われた人はどのくらいあるでしょうか。ボクもある程度の充足感で職を終えることはできた。でも単なる充足感だけでは天職とは言えない。自分に最もふさわしかった、やり甲斐があった、と思えねばならない。日比野さんは素晴らしい。人を相手に教えたり導いたりする職業は、難しいだけにやり甲斐もあり、天職と思えることも多かろう。
多くの投稿欄には職業が書かれている。ボクもこの「話・話」では、職業が書いていると職業を記すことにしているし、無職とある人は何も書かないことにしている。日比野さんは無職と書いてあった。しかし、文を読んで、これで無職と言えるであろうか。立派な幼稚園の先生である。役職に就いていない、報酬を貰っていない、そんなところから無職とかかれたのではないだろうか。ものの捉えどころが違う気がする。これだからこそ天職と思えるのである。
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