寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3000話) 能から学ぶ

2020年08月05日 | 行動

 “三十代の終わりごろから日本の伝統芸術、とりわけ能に興味を持つようになった。能の表現は数ある舞台芸術の中でも簡素で洗練されたものだと思う。大掛かりな舞台装置も派手な演出もなく三間四方の真四角の舞台で舞う。現代アートをはじめとする斬新で挑戦的なものにずっと引かれてきた私にとって、能の表現は初めて出合うもので大きな衝撃を受けた。
 芸術はその時代を生きる人たちの暮らしから切り離すことはできない。面をした能楽師の濃縮された演技は、無数の情報にがんじがらめとなり溺れそうになっている現代人にはきっと新鮮なはずだ。政治は欺嘩と虚飾にあふれ、昨今は価値観も揺らぎつつあるだけに恋慕や死別という普遍的テーマを扱う能は、私たちが忘れかけていた何かを呼び覚ます力があるような気がしている。
 感染拡大が続いた新型コロナウイルスの影響でいまだ公演は中止となったままだが、能舞台を一刻も早く味わいたいものだ。”(7月16日付け中日新聞)

 岐阜市の会社員・佐野さん(男・41)の投稿文です。単なる勉強不足であるが、日本の古典芸能は難しいという意識がある。まず言葉が聞き取れない、理解できない。所作もわかり辛い。能はその最たるものである。それを佐野さんは30代から興味を持ち、体験されてこられた。そしてこのように理解され、評価されている。羨ましいことである。
 ボクも今まで能に無縁であった訳ではない。職場の同僚に精通した人がいた。連れられて能舞台を見に行ったこともある。でもそれ以上にはならなかった。興味の対象の違いであろうか。ただボクは歌舞伎は随分たくさん見た。
 佐野さんの文で、「無数の情報にがんじがらめとなり溺れそうになっている現代人」「政治は欺嘩と虚飾にあふれ、昨今は価値観も揺らぎつつある」と言う部分にも同意を覚える。全く人間社会、流すに流されどこへ行く、という感じである。こんなとき能は「忘れかけていた何かを呼び覚ます力がある」と言われると、もう一度触れてみたい気がする。


コメントを投稿