“五月下旬、草木茂る河原を進むと、渡し場があった。岐阜市内で唯一残る「小紅の渡し」だ。舟は対岸に係留され、船頭さんの番小屋があった。渡るときは、備え付けの白旗を振れば迎えに来る。
私は渡し舟の写真を撮りたかったので、炎天下を三十分待ったが、渡船はなかった。対岸を見れば、船頭さんが私の様子をうかがうように立っていた。白旗を出して、迎えの舟を出してもらう。迎えに来た年配の船頭さん、「待たせたね」と人が良さそうだ。写真を撮りに来たと言うと「往復してあげる」と愛想のよい返事。
長良川の渡しは江戸時代から続いており、現存するのはここだけだ。近くの鏡島弘法の縁日には多くの参拝者が利用するが、それ以外は閑散。この日も私が二人目だった。
織田信長と足利義昭が対面した立政寺を訪れたと話すと、船頭さん「私は稲葉一鉄の子孫」だと教えてくれた。一鉄といえば、西美濃三人衆の一人で斎藤道三に仕えた武将だけに驚いた。
こぎだすと、爽やかな初夏の風が川面を吹き抜ける。上流には金華山がそそり立ち、信長の岐阜城が遠望できた。涼気あふれる渡し舟を満喫できてよかった。自然あふれる歴史が息づく小紅の渡し、これからも残ってほしい。”(7月18日付け中日新聞)
愛知県春日井市の浜野さん(男・78)の投稿文です。小紅の渡し、まだ昨年のことであるが懐かしく思い出される。一宮友歩会の昨年10月5日(土)の例会、「史跡巡りシリーズ・岐阜編part12」として、小紅の渡しを利用したのである。参加者48名、好天のもと、この渡しを利用して長良川を渡り、鏡島弘法へ行った。一宮友歩会の例会として渡しを利用したのは初めてである。渡しを利用することなんて、なかなか無いだけに皆喜んでくれた。岐阜城もよく見えた。立政寺も訪れた。思い出の例会である。
この渡しは結構欠航が多く、ボクはこの前に2回下見で訪れたが、いずれも乗れなかった。長良川が増水すると欠航なのである。実はこの日も危なかった。前日雨が降ったのである。でも朝確認したところ運行していた。出発式で運行している旨を伝えたところ拍手が沸き起こった。この例会の状況は次のホームページを見てください。
http://terasan.dousetsu.com/wa211.html
今まで渡しであったところも橋ができると無くなるのである。渡しをなくすために橋を作るのである。もう残されている渡しは少なくなった。愛知県では木曽川に西中野の渡しがある。今橋が建設中である。無くなる前にこのように渡しを利用できないかと思っている。
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