寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2557話) 「葬儀」様変わり

2018年01月14日 | 意見

 ”近所に葬儀社の車が止まっていたので、その家のお年寄りが亡くなったことを知った。後日、近くの自治会の組長に話すと「聞いていない。弔事の際の取り決めもある。香典などを準備しないと」と驚いた様子だった。以前は掲示板に訃報を知らせる案内があったが、いつしかそれも取りやめになった。
 かつて私の住む地区では住民の葬儀の日、係の住民が鐘を打って地区内を回ったものだ。午後一時なら一回、二時なら二回・・・と開始時刻も知らせていた。そんな風習を復活させられないものだろうか。
 新聞の地方版には「おくやみ欄」があり、住所と氏名が載っているが、公表を控える家族もいると聞く。家族だけで葬儀をする人も増えているそうだ。葬儀場所は斎場が主流となり、自宅で行う人は少なくなってきた。日本は世界トップクラスの長寿社会だが、隣近所で助け合う機会が減り寂しい限りだ。”(12月21日付け中日新聞)

 三重県津市の伊藤さん(男・69)の投稿文です。冠婚葬祭も時代と共に変わっていく。ボクの子供の頃と比べればすべてが大変わりであるが、特に葬儀について大きく変わったと思う。地域によって風習の違いもあると思うが、ボクの父親が亡くなった昭和50年代は、まだ近所の人が助け合って自宅でしていた。そして葬儀場ができ、次第にそちらに移っていった。それは大きな違いとなった。近所の手伝いも減り、その内なくなった。最近は家族葬が凄い勢いで増えている。近所なのに亡くなっていたことを随分後に知ることもある。冠婚葬祭の簡素化を叫ばれた結果であろうか。それはここまでを想定していたろうか。もうほとんど絆、人の付き合いが感じられない。全く個々である。だから埋葬の方法も様々になっている。お墓もなくなろうとしている。先祖のつながりも否定されてきている。懐古趣味に浸る気はないが、人間どこへ行こうとしているのだろうか。こうした時代になった現在の地域の仕組みができていない。行き着く先はどこだろうか。ボクには見えない。


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