“戦後まだ数年の私が子どもの頃は畳にちゃぶ台を置いて食事をしました。ちゃぶ台の上はもちろん畳に落とした物も拾って食べるようにしつけられました。私の実家は比較的裕福で幼稚園に通うことができた上、弁当にはぜいたく品だった卵焼きやかまぼこが入っていました。バナナも持って行きました。それでも祖父はかびのはえた餅をカンナで削ってから口にしていました。ご飯は多少酸っぱい味がしても湯で洗い流して食べました。
今私は飲食店を営んでいるので衛生面の大切さは知っているつもりです。でもスーパーヘ買い物に行くたび、賞味期限の設定には行き過ぎた面があるような気がしてなりません。食べ物を捨てることにはどうしても罪悪感があります。
三月十一日付本紙の四こま漫画「ねえ、ぴよちゃん」のある登場人物はきれいに拭かれた机の上でも落とした物は「食べない」とのことでした。自分が否定されたようでどこか寂しく隔世の感を覚えました。”(4月2日付け中日新聞)
愛知県常滑市の飲食店経営・笹本さん(男・70)の投稿文です。今の日本の食生活について、戦前や戦後数年生まれの人には、これでいいのかという思い、、疑問に思う人は多いのではなかろうか。幼稚園は行くなど結構裕福に過ごされて笹本さんさえこのように思われるのである。まして、貧しく育ったボクなどにはとんでもないことである。今ボクは、数ヶ月前に賞味期限が切れたお菓子をコーヒーの友として食べている。賞味期限切れで捨てるなど、とても出来ることではない。こぼしたものを拾って食べるボクを見て、孫は嫌な顔ををする。経済的にできるのだから、そんな非衛生のことまでする必要はない、と言うことだろう。衛生面を重視することは必要なことではあるが、何ごとも行き過ぎはよくない。特に食品について日本は大量輸入国である。世界からかき集めて、大量廃棄していることは問題であろう。日本に食糧危機は起こるかと言う問いに、起きないという人もある。起きなくても浪費や無駄は良くない。地球資源は有限である。自然災害に備えると共に、食糧危機に対しても備えることである。自由奔放の生活から縛られる生活は苦痛である。節度ある生活に努めて、いざという時の生活を抵抗少なく受け入れらるようにしておいた方が賢明だと思う。
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