“9月29日の中秋の名月を前にして、受け持つ定時制高校の古典の授業の一環で学校グラウンドに出て月を眺めながら生徒2人に中国・唐の詩人である王維の「竹里館」、李白の「静夜思」を音読してもらった。生徒はボリビア人男性とブラジル人女性で、ともに選択科目で古典を選んでくれた。「こんなにゆっくりと月を見ることないな」という男性の言葉にハッとした。2人は仕事を終えてから学校に来ていて、その頑張りには頭が下がる。女性は「月も星も世界中の人々が平等に見られるものですよね」と語り、あちこちで紛争が相次いでいることを意識して、皆が思い思いに月見ができるような平和の到来を願っていた。
定時制高校ならではのぜいたくな夜の授業。外国人生徒2人も日本語を介して漢詩の魅力も伝わったようで、私にも思い出深いひとときとなった。”(10月31日付け中日新聞)
滋賀県長浜市の高校非常勤講師・足利さん(女・70)の投稿文です。定時制高校で、月を眺めながら月を愛でる詩を読む、何とも情緒ある授業ではなかろうか。足利さんの発想に感心する。月をゆっくり眺めるというのは、なかなかないものである。そうすれば、気分もゆったりするし、いろいろな思いにも浸るだろう。ボクも満月などの時、凄い、綺麗と思って眺めるが、一時である。時には椅子に座ってゆっくり眺めるときがあっても良い。テレビなど見ているのはもったいない。
「月も星も世界中の人々が平等に見られる」、この言葉、本当である。見られるが状況は千差万別である。世界中の人が、ゆっくり月や星を眺められるのは、夢のまた夢であろうか。
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