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寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3812話) 管の粥

2025年03月12日 | 知識
 “農作物の豊凶を占う「管の粥」が12日、愛西市の日置八幡宮であり、地元住民らが豊作を願った。前日に炊いた米や小豆の中に入れたヨシの管に、米がどの程度入っているかなどで豊凶を占う。地元住民でつくる日置町実行組合や氏子総代らが前日、米を炊き、ご祈禧を受けた。
 この日は午前9時ごろ、釜で煮立てた米や小豆の中から出したヨシの管を一本一本、小刀で縦に割り、米やレンコン、イチゴ、ダイコン、ジャガイモなど30種類の農作物の豊凶を確かめた。畑の農作物は豊作が多く、全体としても豊作という結果となった。
 炊いた米などで早朝に作ったかゆも訪れた住民に振る舞われた。同組合の若山忠夫さんは「昨年は、夏の暑さなどで農作物のできは良くなかったが、今年は豊作を願いたい」と話した。”(2月13日付け中日新聞)


 記事からです。日本にはいろいろな伝統行事がある。この「管の粥」を取り上げたのは、一宮友歩会の例会でこの神社を訪れたことがあるのである。そしてこの行事が説明されていた。そんな思い出からである。また名古屋中村区の庄内川で、川中に竹竿をさして豊凶を占う神事が行われる七所社を訪れたこともある。行ってきたことで、新聞記事に載ると身近に感じるものである。
 神事の多くは今の論理からとても説明のつかないことが多かろう。でも延々続けられている。理屈を重んじる今の世代も参加している。初詣などその最たるものである。人間は理屈だけでは生きていけないのだろうか。生きていけないのだ。人生の運不運なども全く説明がつかない。そうしてこうした神事にもよりどころを見つける。これでいいのだろう。