寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3798話) 因縁の14日

2025年02月12日 | 出来事
 “15年ほど前に亡くなった義母は、誕生日が5月14日である。その義母は、長男を40歳の若さで作業中の事故で亡くした。その日も5月14日だった。その後、年を取るにつれ、時々体調を崩し、病院に行くことが多くなったが、不思議なことに、その日が月は違っても14日ということが度々あった。
 それ以来、私は14日が大嫌いになり、何かを始めたり出かけたりすることがあっても、14日は避けるようにして暮らしてきた。義母は、そんなことを何も気にしていなかったけれど、私はどうしても気になった。そんな義母も最期の時が来て、その日は寒い1月12日だった。そして葬儀が14日だった。最後まで14日なんて、何かの因縁かと思ったものである。
 しかし、私にはまだまだ続きがあった。以前からお世話になっている総合病院の主治医が開業された。私はそちらに転院することになり、最初に受診に行った日、新しく診察券をいただいてビックリ。診察券の番号が14番だった。もう一生、14の文字から逃れられない、どうして?とショックだった。それでも時は流れ、最近はこうじて元気でいられるのは、14という数字が私を守ってくれているからかも、と思うようになった。感謝の気持ちで毎日を過ごしている。”(1月21日付け中日新聞)


 岐阜県土岐市の尾関さん(女・85)の投稿文です。単なる偶然でしょうが、何とも理由の付かない、こういうことがありますね。これほど繋がったことではないですが、ボクもこういう体験があります。中学生の頃です。中学1年の10月6日、父が交通事故に遭い、生死をさ迷いました。結果は2ヶ月ばかりの入院と少しの後遺症で終わりました。そして中学2年の9月26日が伊勢湾台風でした。わが家も大変な被害でした。そして高校1年の9月16日、第二室戸台風でした。この台風の来襲は昼間でしたの、様子がよく分かり伊勢湾台風より恐かった覚えです。このように一時、6の付く日を嫌っていました。時とともにこの意識はなくなりました。
 ところが人生分からないもので、父の交通事故がきっかけで、高校に進学することになりました。中学で止めて農業を継いたら、どうなっていたでしょうか。人生は繰り返すことができないので分かりませんが、全く違っていたものになっていたでしょう。ボクは良かったと思っているので、幸いに動いたと思っています。